第六十五討 皆デ戦ウ
ゴポッ
「いやー、死ぬかと思ったけど何とかなったね」
「黒こげになるかとおもった」
安堵の笑みを浮かべるヨーコと、焦げてしまったスカートの裾を弄るサラ。
ゴボッ、ゴボ……ッ
「まったく、成功したから良かったものの無茶するわねぇ」
「成功したんだからヨシ! なはは~!」
呆れの笑いを漏らすユウコに、ヨーコは自慢げに胸を張る。
ボパッ、ボパッ
ゴボボボボッ
「ヨーコ! サラ! 後ろ!!!」
「え、な―――」
ドズンッッ!
「かっ、は…………っ!」
振り向いた瞬間、腹部に強烈な衝撃が打ち込まれる。突然の痛打に呼吸すらままならず、口から生じるのは腹から無理やり押し出された空気のみ。
ミシミシと身体が軋む音が明確に聞こえた。足が大地から離れ、身体がくの字に曲がる。そして、肉体が弾き飛ばされる。
ダァンッ!!
「がふぁっ!!!」
漆喰壁に背中から衝突し、それを粉砕した。瓦礫に倒れ、その身体に瓦礫が降り積もる。
「ヨ―――」
バズンッ!
「あ……ぐ…………っ!」
胸の中央に鋭い一撃。それの衝撃は一切の無駄なく肺と心臓を揺らし、体内を襲う。よろけながら数歩後退り、打たれた胸を押さえてサラはうつ伏せに倒れた。
「貴女たち! くっ、コイツは…………」
ヨーコもサラも、たった一撃で纏装が解けてしまった。
それ程の攻撃を実行した存在を、ユウコは見ていた。
細身で金色の観音像。
穏やかな顔で何らの変異の無い仏像だ。
大きさも人間と同じ。
体も何も異形ではない。
それが動いている。
ただそれだけ。
そう、それだけなのだ。
見る者によっては有難さすら感じる、その姿。
だがしかし崩壊して炎に包まれた七堂伽藍の中にあっては、完全に整った体と優美で穏やかな顔は異質でしかない。違和感からくる恐怖、それを体現するかのような姿だ。
「ヨーコ! サラ! 起きなさい!」
ユウコの声。
それはヨーコとサラに届かない。
カァン、カァン、カァン!
火災を知らせる鐘が打ち鳴らされる。
人々は一丸となって事態に立ち向かい、炎を押しとどめようと戦闘を続けていた。
「ここはもう駄目だ、下がれ!炎に巻かれるぞ!」
退路を奪われる前に後退する。
「一区画後退だ!」
炎の壁を前に、東西南の三方の包囲がじりじりと広げられていく。
「マズいぞ、これ以上広がったらガス爆発の可能性も……」
考えを巡らせる者の頭には、最悪の事態が思い浮かぶ。
「ああ、街が……。仏様、どうかお助けを…………」
もはや祈るしか出来ない程の事態だ。
しかし、そんな中でも戦いは続けなければならない。
自分達の街を炎なんぞに焼かれてなるものか、その一心で。
「椎津警部補! 人員が全く足りません、本署からの応援もまだ……っ」
「くっ、よりにもよって今日。帝宮晩餐会の警備で大幅に人が割かれている状況が災いしているか…………」
ギリッと歯ぎしりする。
外ツ国の要人との会談、そして晩餐会。それが今日この日に行われていた。官憲はもちろん、軍すらも相当の数が警護のために使われているのだ。
下町の火災の為に割ける人員など、いよう筈がない。それでもこの状況では援軍を願い続けるしかないのだ。
「久坂部の旦那、大変だ! 火が北に向かってすげぇ速さで広がり始めてる!」
「馬鹿な! 風上に向かって延焼するだと!?」
風は変わらず北から南へ吹いている。火の粉は南へ飛ぶのが当たり前の状況で、それを遡る形で燃え広がるなど、そうそうない事だ。そして当然、北には人員を割いていない。そちらに向かって拡大した場合に防ぐ事は不可能である。
下町火災の被害は拡大の一途となっていた。
その中で、一人の男が動いていた。
「おやおや。祈りを奉げるならば、仏よりももっと良い先が有りますぞ」
そう言って男は懐から一枚の札を取り出す。
その炎が焦がす空をリヨは、逃げおおせた先の七星百貨店の前で見ていた。
「ああ…………」
逃げるしか出来なかった自分。
護衛の手を払ってでも行くべきだったという後悔。
それが彼女の心を苛んで、顔を俯かせていた。
「リヨさん、そんなに気になさらないで」
「そうだよ、リヨ。ボクたちに出来る事なんて無いんだからさ」
彼女の肩に手を当て、その顔を覗き込むようにレイナとレンが慰める。
そんな二人の顔にも口惜しさとも苦しみとも言えない表情が浮かんでいた。
「レイナちゃん、レンちゃん…………」
幼馴染二人の顔を見てリヨはグッと身体に力を込め、ギュッと着物の裾を握る。
後悔。
悔いる事は何かの後にしか出来ない。
事象の前に悔いる事は無いのだ。
しなければ、しなかったという事への後悔が。
したならば、一度は逃げてしまった事への後悔が。
今、何かをしなくても、しても後悔は変わらない。
ならば。
「二人とも、お願いがあります」
口に力を込めて、強いまなざしでリヨは顔を上げる。
彼女の何かしらの言葉を受けて、レイナとレンは一つ頷いた。
そして彼女達は、自らについている護衛達へと正対する。
「私たち、商店街へ行きます。皆さんを手伝いに」
「我々の責務として、行かせるわけには参りません」
「退きなさい。私たちは己の意思で向かうのです」
「申し訳ございませんが、我々は貴女様方を守るためにあるのです。危険に自ら飛び込まんとするのを止めずして、なぜ護衛が務まりましょう」
「さすが、立派だね。だけれど、こうも考えられないかい?」
押し問答となりそうな状況で、レンが一歩進み出る。
「目に付く範囲の者すら助けられずに、どうして四摂家であり続けられようか、と」
「…………」
護衛としての責務を遥かに超える、家としての責務。それを前にして、彼らは閉口する。だがしかし、その身を退かそうとはしていない。
三人が言葉を接ごうとした、その時。
彼女達の背後から、年の頃四十半ばと思われる一人の紳士が進み出た。
「守る者として、実にご立派。ですがお嬢さんたちの意思も立派なものです。どちらも大切な心でございますな」
「貴方は……?」
突然割って入った男に、護衛が訝しむ。
だが紳士はそれを意に介さずに言葉を続けた。
「こちらのお嬢さん三人だけが行くならば、貴方様がたも当然に不安というもの。それこそ燃える炎の中に、小さな玉を三つ放るようなものです」
男の言葉に護衛達もリヨ達も口を挟めない。
何故か、そうなってしまう力があった。
「であるならば、数を増やせば良い。玉三つを危険にさらす必要が無い程に、砂粒があれば良いのです。それを私がお出し致しましょう」
紳士はリヨにニコリと笑いかけた。
今の話の流れで言う砂粒は人。彼は無数の砂粒を動かせる、という事である。
「失礼ですが、貴方は―――」
「総帥! 従業員みな、準備完了しました!」
驚きの表情を浮かべる護衛達。彼らが見る先を見るために、リヨは振り向く。
そこには、百を超える背広を来た者達がいた。
商店街から避難してきた者達ではない、その逆から出てきた者達だ。
すなわち、高くそびえる七星百貨店の従業員たちである。
そして、彼らが総帥と呼ぶ相手はただ一人。
七星財閥を取りまとめる者。
つまりサラの父だ。
「共に進む者あってこその人生。誰かの為に何かをする、立派な事ではありませんか。お嬢さんたちの為を想うのであれば、貴方がたも共に参りましょう。彼女達が成したいと行動するその場でこそ、貴方達の責務が成せるというものですぞ?」
そう言って、彼は人を惹き付ける柔らかな笑みを浮かべた。
異界での戦いは終結していた。
ヨーコとサラは地に伏し、対する訃施火観音は静かに立っている。どちらが勝者であるかなど、誰に聞いたとしても答えは変わらない。
その状況で、ユウコは二人に言葉をかけ続けていた。
「起きなさい! 立ちなさい! 寝てる場合じゃないわよ!」
ただひたすらに激励する。
その言葉がヨーコ達の耳に届いているのかどうかも分からない。だがしかし、今の状況で出来る事などそれくらいしか無いのだ。
「……私が行くしか―――」
ヨーコ達ですら敵わない相手、それに戦いが得手ではない自分が勝てるとは思えない。それでも今、動く事が出来るのは自分だけなのだ。
ユウコは決意し、異界へと向かおうとする。
その時。
「わああぁぁぁっ! 怖いぃぃぃっ!」
ドォンッ!!!
場違いな悲鳴とそれに似合わない砲撃音。
突然発生したそれに、ユウコは驚き固まった。
バガァッ!
砲弾が直撃し、崩れかけていた本堂まで観音が吹き飛ぶ。
扉を破砕して柱をなぎ倒し、それによって建物自体がズシンと潰れた。
「……フタミちゃん!?」
流石のユウコも、気弱な彼女の登場に驚く。
フタミが操るのは、およそ二米の背がある横幅の大きい人型の機械。その丸太の様に太い腕には大砲を内蔵し、大木の根の様に頑強な足の裏には巨大な車輪を持っている。
彼女自身は上半分が取り払われた頭部に乗っており、操縦用のレバーを涙目でガチャガチャ動かしていた。
発明家、平賀幻尉作。
試作型無双歩兵。
ヱレキテルを燃料として駆動する、異界における古今無双の勇士である。
「うえーんっ! 博士がやれってぇ……」
ドドドドォンッ!
言っている事とやっている事の差が大きい。
機械の腕がヱレキテルを弾丸とする砲を放ち、観音が突っ込んで潰れた本堂へ向かって追撃を続ける。もし元界で実行したならば、敵の軍勢一つを崩壊させられるであろう猛攻だ。
「は、ははは。何というか、先回りするわねぇ、あの変人博士は」
ここまで読んでいたか、とユウコは笑う。
と、その時。
「あぅんっ!?」
ビクンと身体を震わせて、彼女は喘いだ。
「え、なに!? これ……力が…………?」
ユウコは自身の手のひらを見る。
神としての力を込めると、ざばっと手の内で水が生じた。異界でならば分かる、だが彼女が今いるのは元界だ。元よりほんの少し火を灯したりなどは出来るが、それどころではない程に身体に力が満ちる感覚がある。
神の力の本来の源は、人の信仰心。
つまり彼女、日照雨宇迦之比売神に対して祈りを奉げている者がいるという事だ。それも一人や二人ではない、それ相応の人数だ。
『ユウコ君、キミの力を貸してもらおう』
研究所を出ていく前のゲンジョウの言葉を思い出す。そしてそれが、異界に在るヨーコ達の助力のみを意味していたのではない事に彼女は気付いた。
「あんの、変人め。ほんっとうに神使いが荒いわねぇ、まったく」
ユウコは肩をすくめて首を横に振る。
つまりは火災現場の最前線で自分の目的のために布教する、という鬼畜の所業をやったのだ。悪鬼幻魔よりもゲンジョウの方が怖い、ユウコは素直にそう思う。
「ま、私がやる事は決まったわね」
ふう、と一つ溜息。
「ほらヨーコ、サラ、いつまで寝てるのよ。元界の火はどうにかしてあげるから、そっちの幻魔は頼んだわよ」
フタミが泣きながら戦っているその後ろ。瓦礫の下と玉砂利の上にある者たち。その二人はよろよろと立ち上がり、身体中の痛みも構わずに笑顔を浮かべる。
「もちろんだよ、ユウコ!」
「ん、がんばるっ!」
ヨーコとサラは一歩一歩前へ進む。
「あ、あれ? あれ? 動かなく……」
「フタミ、ありがと」
試作機ゆえに早々と限界がきた無双歩兵。その上でレバーを弄る自身の鏡写しに、ヨーコは微笑んで礼を言う。それを受けて気弱な彼女は、涙を浮かべながらもニパッと笑った。
瓦礫を微塵に消し飛ばして訃施火観音が姿を現す。相当量の砲撃を受けても、その身には傷一つ付いていなかった。
「さて、やりますか、っと!」
気合を入れるヨーコ。
その声に呼応するかのように、
「がつーん、ってやろっ!」
サラはぐいーっと大きく伸びをした。
そして二人は左手首にある金色の腕輪を握り、その言葉を放つ。
「「奇心、纏装!!!」」




