第五十一討 攫子天王
「ふんぬぁりゃぁっ!!!」
ガズンッ!!!
全力全開、全身全霊の右拳。それが白壁を打ち、異界を震わせるかのような轟音を響かせた。ヨーコの一撃である、が壁はビクともしないどころか傷一つ付いていない。
「せーのっ、せっ!!!」
ダガンッ!!!
疾走、跳躍、そして飛び蹴り。壁よりも上、何もない空間を蹴りつけたサラの脚が何かに阻まれて衝撃音を響かせる。しかし打ち破る事は叶わず、弾き返された彼女は空中でクルクルと回転して着地した。
「だぁめだぁ~~~、この壁壊れないぃ」
「乗り越えられない、蹴ってもダメ」
それなりの試行回数を経て、二人は大地に座り込む。蹴って殴って斬って突いて。何をどうやっても壁には傷一つ付かず、乗り越える事も不可能だった。
異界明奉寺。
前回発見した元界との最大の違いにして、おそらくは危険な幻魔が生じる根源。既に無く、されどそこにある亡霊の如き寺院である。だが、その山門は固く閉ざされており、参拝する者すらも中へと通さなかった。
正面がダメなら別の場所。
漆喰で固められた土塀を罰当たりにも破壊するか、それとも盗人の様に乗り越えるかを考えた。ちょうど二人いるのだから、手分けして犯罪実行である。
ヨーコは取り敢えず、奇械を纏った左手でガリガリとその表面を削ってみた。金属質な腕と土塊の壁、どちらがより高い強度を誇っているかなど火を見るよりも明らか。だがしかし土塀から欠片一つ落ちる事も無く、傷付ける事は叶わなかった。
少し考えて、今度はぐるりと身体を回して蹴りを叩き込む。並の幻魔であれば、吹き飛ぶ以前に破裂するような一撃だ。しかしそれでも壁は頑丈であった。
刀を抜いて斬りかかる。鋼鉄の塊を叩いているかのように刃は弾かれ、びぃぃんと腕に衝撃が跳ね返ってきた。しばしの休憩の後に全力の拳をお見舞いしたのだ。
対するサラは乗り越えようとした所で不可視の壁に当たり、壁を登る蛙の様に手でペタペタとその障壁を確認した。ノックするようにコンコンと叩いてみると、金属、土、木、考え得る全ての素材と異なる感触が返ってくる。
彼女は細剣を抜き、その柄尻でゴンゴンと叩くも打ち破れる感覚はナシ。少しだけ考えた彼女は壁の上から飛び降り、助走をつけて不可視の壁に突きを放った。だが壁は強靭、吞み込まれるように切っ先が沈んで、そして跳ね返される。
業を煮やした彼女は蹴りを叩き込んだが、結果は同じであった。
「博士、どうします~? 帰って良いですか、良いですよね、帰りますね~」
「良いわけが無かろう。破壊もしくは侵入が可能な場所を見付けるのだ」
「え~~~~~」
不満タラタラでヨーコは立ち上がる。座っていた事で付いた砂をパンパンと叩いて落とし、同じく座っていたサラに手を伸ばした。その手を取って彼女も立ち上がり、二人は行動を再開する。
「といっても、手掛かりも何も無いですよ?虱潰しにするにしても、二人じゃ手が足りませんって」
「ふむ、珍しく正論を言うではないか」
「いつも正しい事しか言ってませんよ!」
猛獣のようにヨーコは吠えた。
ゲンジョウがそんな事を意に介さないのは、もはや常識といって良いだろう。彼は顎に手を当てて少し考えてから、頷いた。
「では考え方を変えよう。壁を破壊も乗り越えも出来ないのならば土竜攻めだ。さあヨーコ君、犬らしく大地を掘るがいい」
「だっれが犬ですか!」
猛獣あらため大型犬が吠える。ぶつくさ言いながらも、不毛な虱潰しよりはマシと考え大地へと立ち向かう事にした。
とはいえ土を掘るような装備などない。そこらの建物から適当な板を引っぺがし、ガリガリと大地を掻いた。少しずつではあるが順調に成果が出ている。
「よいしょ、よいしょ」
「ヨーコ、がんばれー」
「応援ありがと、頑張るぞー」
隣で自分を眺めながら声援をくれるサラに感謝の言葉を返す。ぐいと右の袖を捲り、気合を入れた。が、すぐにその違和感に気付く。
「応援してないで手伝ってよ!」
「あちゃ、バレた」
しまった、とばかりにサラは舌を出す。
ヨーコが『でんせつのいた』を手に入れたあばら家へと、彼女はトコトコと小走りで駆け寄って壁を破壊した。さて手伝おうと振り返った時、彼女の目に驚きの光景が飛び込んできた。
「あ」
「え?」
驚愕にポロリと声を出す事しか出来なかった。それを不思議に思ったヨーコが疑問の声を上げて振り返る。が。
「あえ?」
おかしい。屈みこんでいたのに立ち上がったかのように視点が高い。それに何だか首が締まっているような息苦しさがある。
「ヨーコ!」
サラが全力で駆ける。
既に足が付かない高さにまでヨーコは身体を吊り上げられている。その身を取り戻そうと、彼女は大地を蹴って跳び上がった。
が。
ギュンッ
「わぅえっ」
服の襟首を掴まれた状態のまま、ヨーコは横へと勢い良く引っ張られる。サラが伸ばした手は空を掴み、彼女は白壁を蹴って再度奪還を試みた。
バサッ
鳥が羽ばたくような音がヨーコの耳に入る。それと同時に身体が後ろに向かって、途轍もない速さで移動を開始した。その速度、自身やサラが駆ける速度を遥かに上回る豪速である。
「わっ、わっ、わあああぁぁぁ…………」
声を置き去りにして彼女は闇の中へと、道の遥か向こうへと連れ去られていった。
「たいへんっ」
「急ぎ追うのだ、キミの脚ならば距離を詰められるやもしれん」
「もう走ってる」
ゲンジョウが指示するよりも先、着地と同時にサラは走り始めていた。馬よりも速く、汽車よりも速く。幻魔に連れられて飛んでいった友を追いかける。
「吾輩の側では姿を確認出来なかった、キミは見ていたな」
「うん、三日月みたいに体を反らせた逆さまの仏さま。背中から鳥の羽が生えてた、鷲みたいの」
会話をしながら、サラは自身が見たものを説明する。彼女から得た情報を元に、ゲンジョウとユウコは資料から同一の特徴を持つ仏像を探し始めた。
「どっち」
井の左上、北西の十字路に到達したサラは三方を見回す。だがどの方向にもヨーコと幻魔の姿は無い、随分と引き離されてしまったようだ。
手掛かりが無い。どちらへ行くべきかとサラは迷う。
その時、彼女の嗅覚が何かを捉えた。
「これ、匂い袋の香り?」
特徴的な丁子の香り、それが南の方から漂ってくる。
「こっち!」
独特な香りはヨーコが持つ匂い袋から発されたもの。それを理解すると同時に、サラは南へ向かって走った。南西の十字路でも同じように匂いを辿り、今度は東へ向かって走る。
サラが井の上辺の中心から反時計回りにぐるりと半周した頃、ゲンジョウとユウコはそれを発見した。
「浚冴天王。雑念を捨てさせ思考明瞭とさせる、転じて知恵を授ける石仏だ」
ゲンジョウの声にサラは答えない。なぜならば。
「門、開いてる」
何をどうしても開かなかった山門、それが開け放たれていた。完全に開放されたそこからは、広い広い境内が全て確認できる。
「十中八九、ヨーコ君はその内に連れ去られたのであろう。慎重に進みたまえ」
数段の階段を上り、警戒しながら山門を潜り抜ける。途轍もなく広い境内には、当然の如く人の気配は無い。真っすぐ本堂まで伸びる参道、それは途中で左の五重塔と右の鐘楼へと枝分かれしていた。
コツカツと何もいない境内にサラの足音だけが響く。青白で元より薄暗い世界、その中でもこの七堂伽藍はより一層に暗い。建物がぐるりと自身を遥か遠巻きに囲んでおり、それらが己を監視しているかのように感じるのだ。
「あっ」
平らに均された玉石の原の中、人が踏み入れた痕跡のないその場所にヨーコがいた。倒れ伏し、意識の無い状態で。
「ヨーコっ」
「待て、危険だ!」
サラは駆け出し、ゲンジョウはそれを止める。
正解は後者であった。
ヒュワッ
「!!」
ザドンッ!
「あぐ……っ」
まるで鷹が地を這う鼠を捕らえるように、上空からそれがサラを襲撃した。回避行動よりも攻撃が早く、細剣を盾にして斬撃の直撃は避けたものの、体当たりを食らって大きく吹き飛ばされる。
玉石をまき散らしながらサラは転がり、痛みに耐えながら彼女は襲撃者を見た。
宙に在るは逆さの三日月、石で作られた海老反り姿勢の仏像だ。
その身はヒビに覆われ、背の羽が動く度に欠片が散る。背から生えた羽は鷲のそれ、だがしかしその色は緑である。翼を大きく広げて、石仏はバサリと大きく羽ばたいた。
それは空を自在に飛び、人を攫う。
連れ去った者を安息など存在しない反転涅槃へと連れて行くのだ。
人に死を齎す禍々しき三日月、その名は攫子天王。
「大丈夫か」
「うん、でも痛い」
打撃を受けた腹を擦りながら、サラはよろよろと立ち上がる。出血や骨折はしていない、行動に問題は無さそうだ。
「助けなきゃ」
ヒュッと細剣を振る。普段は飄々として何を考えているか分からないサラの目が、鋭く逆さ石仏を睨む。初めて出来た友達、一緒に同じアルバヰトに精を出す仲間。それを奪わせはしないという強い意思が、灰色の瞳に宿っていた。
バサァッ!
攫子天王が緑鷲の翼を広げる。人間ならば苦しいであろう海老反り姿勢のまま顔をサラへと向け、かぎ爪代わりの両手の指をベキベキと動かした。
バッ!
「うっ!?」
表現するならば、目にも留まらぬ速さであろう。
宙で滞空していた仏像は、翼を広げたと思った次の瞬間には目前にまで迫っていた。驚愕の声を上げるも、サラは最適解といえる行動をとる。
「ふっ!」
ギュワンッ!
大きく身体を沈み込ませ、仏像のかぎ爪をやり過ごしたのだ。頭の上スレスレを通過した攫子天王は勢いのままにしばらく進み、上昇して再び滞空姿勢に移った。ゆっくりと振り返り、またもや両手の指をかぎ爪状にしてバキバキと鳴らしている。
バサッ!
「しっ!」
ヂィンッ!
三度の強襲。
だがサラは細剣を横薙ぎに払い、反撃を繰り出す。剣と爪が打ち合い、バチンと火花が散った。空中で数度回転した石仏は、先程と同じく空中で静止する。
彼女は剣の柄を強く握り、弓を引くように腕を引き絞った。
ゴォッ!
「何度も」
ジャゥッ!
「同じ事は」
バズガンッ!
「通用しないっ!」
前方を見たまま、サラは大地を蹴って後方へ跳ぶ。攻撃地点から対象が消滅した事によって攫子天王の爪は空を切り、その一瞬だけ速度が低下した。
それを彼女は狙っていたのだ。
着地と同時に引き絞った右の刃を放つ。強弓から放たれた矢は、石仏の腕を貫き砕いた。片腕を吹き飛ばされた攫子天王は、サラが到達する事が出来ない高さまで飛翔する。
だがしかし。
「逃がさない」
タッ
背を見せて、いや反り返っている事から腹を見せて逃げる仏像。上空へと逃げ行くそれを見上げ、サラは大地を蹴る。
タッ
トンッ
バッ!
跳躍、跳躍、跳躍。彼女は、宙を駆けていた。
まるで鹿が崖を登っていくように、一歩一歩大きく跳ねていく。
常識が非常識に、正常が異常に。異界に在っては不可能は可能となる。宙を走るのも、異界においては常識であり正常な事なのだ。
「逃が」
ダンッ!
「さな」
ドンッ!
「いっ!!!」
ドズンッ!!!
何も無い空中を蹴った勢いを載せて、サラは全身全霊の突きを放つ。気炎がヱレキテルを動かし、彼女の身を、刃を包んだ。
形容するならば大地より放たれた光の矢。一切の障害物が存在しない空を駆けたそれは一直線に、逃げ去ろうとする破戒仏を撃ち貫いた。
光矢一閃。
胴を撃たれて粉砕された攫子天王は、空中にその身である岩石をまき散らす。粉々になって消えゆく体、最後に残った二つの緑羽が千々に弾けて空に舞った。
「よしっ」
空中でサラは拳を天に突き上げる。
ヒュウッ
「?」
彼女は首を傾げた。身体が下に引っ張られるような感覚がするのだ。
ヒュウゥ~
「???」
段々と地面が近付いてくる、何故だろう?
ゴオォォォッ
「あ、そっか」
飛んだら落ちる、当然である。
つまり彼女は、ただ単純に自由落下していたのだ。
「よっ、と」
くるくるくるくる
すたっ!
サラは身体を前方へと数度回転し、体操選手顔負けの素晴らしい着地を行った。十点満点でも足りない、百点満点花丸満点である。
「ヨーコっ」
すぐさま彼女は伏したまま動かない友人の下へと走る。倒れたままの彼女の両肩を掴み、意識を取り戻させるために前に後ろに勢いよく振った。ぐわんぐわん、とヨーコの頭が振り子のように動く。
「ヨーコっ」
「ちょ」
「ヨーコっ」
「まっ」
「ヨーコっ」
「待ってって!」
掴まれていた両肩の手を払う。ほぼ攻撃である善意から解放されたヨーコは、首を押さえて俯いた。
「ヨーコ、だいじょうぶ?」
「う、うん。なんとか、ね」
正直、破戒仏から貰った一撃よりもサラの攻撃の方がダメージが大きい。
「めっちゃ高い所から落とされて失神してたけど、うん、大丈夫」
「よかった」
ほっ、とサラは胸を撫で下ろす。
危機もあったが、こうして二人無事に元界へと帰還したのだった。




