十七、悲鳴
たき火の明かりに照らし出されて、洞穴の壁面に影が踊る。
その時、洞穴の外でじゃりっという足音がした。ときわと秘色はぎくりとして入り口を見た。あの化け物が再びやって来たのかと思い、二人は体を強ばらせた。
だが、闇の中から現れたのは、見覚えのある赤いちゃんちゃんこだった。
「あれ、君」
昼間出会ったあの子供だった。
「もう一人の若子に会ったようじゃの」
子供は全てを見透かしているような目をときわに向けて言った。まるで責められてでもいるような気がして、ときわは思わず目をそらした。秘色が怒った声を出す。
「何しに来たのよあんた。ときわに近寄らないで」
子供はふんと鼻で笑った。それが癇に障ったのだろう。秘色は目を吊り上げて立ち上がった。
「一体なんなのよっ。もう、あたし達は里を出てからというものの奇態なことの連続で疲れてるのよ。どっか行ってちょうだいっ」
「待ってよ。秘色」
ときわは慌てて秘色をなだめた。
「外は危ないから……」
先程の狒狒を思い出したのか、秘色も言葉をつまらせた。
「聞きたいことがあるんだ」
ときわは子供に向き直った。なんだか、この子供はなんでも知っているような気がするのだ。
「何を聞きたいのだ」
何を聞きたいのか、と問われ、ときわは口をつぐんだ。聞きたいことは腐る程あるのだが、それがうまく言葉にならない。子供に目で促されて、ときわは焦った。落ち着け、落ち着け。自分が一番聞きたい、知りたいことはなんだ?
「元の世界に戻る方法……」
口に出してはみたが、それは驚く程弱々しい問いかけだった。ときわは首を傾げた。これは本当に一番知りたいことだろうか。
「それが本当に知りたいことか」
ときわの心を見透かしたように子供が言った。そう言われて子供にじっと見られると、なんだか嫌な気分になった。
「おぬしは何故ここへ来たのだ?」
「え?」
「おぬしは何故ここへ来たのだ?」
子供は繰り返した。ときわはぽりぽり頭をかいた。
「何故って言われても、僕は来たくて来たわけじゃないんだよ」
しかし、ときわのこの答えを、子供はあっさり否定した。
「いいや。おぬしは望んでここへ来たのだ。おぬしはここへ来たかったのだ」
断定的に言い放たれてときわはあっけに取られた。
「なんでそんなことがわかるのよ」
それまで黙っていた秘色が横から口をはさんだ。
「そもそも、あんたは何者なのよ」
その時だった。
けたたましい叫び声が森を揺るがすように響いた。
ときわと秘色は同時に振り返って洞穴の入り口を見た。洞穴の外の闇がぽっかりと丸く見える。だが、そこには確かに先程までとは違う空気が流れていた。何かにせきたてられているような気がして、ときわは慌てて立ち上がった。ざわざわと変な気配がする。一瞬で辺りをのみ込んだ嫌な空気に、全身が総毛立った。
「何……? 」
青い顔をして秘色が呟いた。
「今の声は……まさか、緋色……?」
「ど、どうしよう……ねえ、どうしよう」
ときわは子供のほうを振り向いた。だが、そこにはすでに子供の姿はなかった。
「どうしよう、秘色っ」
秘色もときわと同じことを考えているはずだった。間違いない。森を歩いている緋色とかきわに何かがあったのだ。先程の狒狒か、あるいはまだ見ぬ化け物か。
「……どうしようもないわよ」
秘色は小さく言った。ときわは泣きそうになりながら噛み付いた。
「じゃあ見捨てるのかよっ。霧の里の連中はどうなってもいいっていうのかっ。敵だから。この夜の森を歩き回るようにけしかけたくせにっ。そりゃ、君からすれば、あの二人が死んでくれたほうが都合がいいのかもしれないけど……」
そこまで言って、視界が揺れた。体が傾いで、ときわは二、三歩後退った。一瞬、何が起きたのかわからなかった。
秘色が小さく体を震わせて立っていた。彼女がときわの頬を殴ったのだ。
ときわは頬を押さえて秘色を見た。秘色はうつむいていた。殴られたのは自分なのに、なぜかこの時、ときわは今までにしたことがないくらいに後悔した。殴ったままの格好で片手を上げている少女が、非常に小さく、痛々しく見えた。
しばらくして、秘色はくるりと向きを変え、地面に散らばった薪を一本拾い上げた。そして、置いてあった刀を手に取り、たき火の火を薪に移すと、それを掲げて洞穴から飛び出した。
「あんたは動かないでそこにいてっ」
慌てて呼び止めたときわにそう言って、秘色は闇の中に消えていった。
ときわには、見送ることしか出来なかった。




