十六、一人
森に入っていくらもしないうちに、ときわと秘色は適当な洞穴をみつけた。
そこを今晩の宿にすることに決めて、ときわは隅に腰を下ろした。秘色は薪を拾ってくると言ってふらふら出ていった。
真っ暗な洞穴の隅で、ときわは一人うずくまっていた。
遠くでふくろうが鳴いている。ときわは、またしてもあの感覚、たった一人で取り残される感じを味わっていた。なんだか、しみじみとひとりぼっちだという気がした。やっとみつけたかきわには置いていかれて、一緒にいる秘色のことは理解出来ない。
(これから、一体どうしたらいいんだろう)
答えが出ないことはわかりきっているのに、ときわはそう自問せずにはいられなかった。
両手いっぱいに薪を抱えた秘色が戻ってきて、カッチカッチと石を打ち合わせて火をつけた。洞穴の中はぱあっと明るくなったけれど、ときわは闇から逃れたという気はしなかった。秘色はたき火をはさんでときわの向かい側に腰を下ろした。
「いや、しかし、今日はずいぶん変なのばかり見たわね」
無造作に火に薪をくべながら、明るい声で秘色が口を開いた。
「あたしも初めて見たのよ、あんなの。これからの旅も気をつけなきゃね。どんなおかしな化け物が出てくるかわからないものね」
ときわは返事をしなかった。
ぱちぱちと火のはぜる音だけが響く。
どれくらい時が経ったのか、ときわは秘色に揺り起こされて目を開けた。
「あれ……僕、寝てた?」
秘色は真剣な表情でときわを見ていた。
「どうしたの」
秘色は人差し指を一本立てて、しっ、と制した。ときわは眉をひそめて尋ね直した。
「なんなのさ、一体」
少し身を乗り出してみて、ときわはようやく秘色がうっすらと涙ぐんでいることに気づいた。顔色も真っ青だ。
秘色は必死の形相で洞口の入り口を指差した。その指の動きを追って入り口に目をやったときわは、すんでのところで悲鳴を飲み込んだ。
全身白く長い毛に覆われた狒狒のような生き物が、入り口の外に立ってじっとこちらを窺っているのだ。赤い眼をらんらんと光らせて。
ときわは固くなった体をぎぎぎぃっと秘色のほうに向けた。
「また変なのが出たよ……」
「しゃべらないで。じっとして。知らないふりするのよ。向こう見ちゃだめだからね」
言われなくとも、あの醜悪な化け物をもう一度見たいとは思わなかった。二人共岩のように固まったまま、得体の知れないものに見られている。いつ襲ってくるかわからないという多大な重圧と戦っていた。
火のはぜるぱちぱちという音だけが洞穴内に響く。
背筋を寒くしながら、ときわは化け物が早く立ち去ってくれるように必死で祈り続けた。
その祈りが通じたのか、化け物はやがてくるりと向きを変え、すうっと森の奥の闇に消えていった。
ときわと秘色は思わずほーっと息を吐いた。洞穴内の空気がぐっと軽くなった。
「行っちゃったわよね」
秘色は恐る恐る入り口に目を向けた。ときわもつられてそちらに目をやる。すでになんの気配も感じられない。どうやら本当に立ち去ってくれたらしい。
「よかった。襲いかかってきたりしたらどうしようかと思った」
秘色はそう言って額の汗をぬぐった。
「なんだったのかしら。襲ってこなかったってことは悪い化け物じゃないのかしら。見た目は不気味だったけれど。あたし達に何か用でもあったのかしら」
秘色はしきりに首を傾げていた。ようやく落ち着いてきて、ときわも口を開いた。
「たぶん、襲ってこなかったのは、火が怖いからじゃないかな? 」
「火? 」
ときわはこくんと頷いた。
「ほら、昔話でも鬼とか獣は火を嫌うじゃないか。だから、昔の猟師なんかは交代で番をして火が消えないようにしたんだよ」
「よく知ってるわね、そんなこと。前の世界では猟師だったの?」
秘色は感心したようにときわを眺めた。ときわはちょっと言葉につまった後で否定した。
「違うよ。猟師じゃない。ただ、山姥とか狼とかが出てくる話を、よく聞いたから」
「ふうん。誰に」
「……兄さんに」
ときわの脳裏に兄の顔がよみがえった。ときわは複雑な気分になった。兄が話してくれたおとぎ話さながらの世界を、まさか自分の身で体験することになろうとは思わなかった。
「お兄さんがいたの。じゃあ、お兄さんが猟師だったの」
秘色はときわの兄に興味を持ったようだった。
「違うよ。兄さんは普通の大学生。ちょっと変わってるけど」
「いいなあ。お兄さんか」
そう呟いて、秘色はほうっと息を吐いた。
「いいね。お兄さんがいて。うらやましい。ときわに似ているの?」
「あんまり……ていうか」
ときわはぽりぽり頭をかいて言い直した。
「全然似ていないよ。僕と兄さんはまるきり正反対だ」
秘色はふうん、と呟いた。
「でも、いいなあ。あたしもお兄さんが欲しい。ううん、お兄さんじゃなくても、お姉さんでも弟でも妹でもいい。誰かそばにいてくれたらよかったのになあ」
秘色はさびしそうに微笑んだ。
「だけど、あたしは巫女だから、仕方がないね」
秘色は何気ないふうに言ったけれども、ときわにはそれがひどく悲しげに見えて、思わず聞いてしまった。
「どうして、巫女だから仕方がないの?」
「だって、巫女にはお父さんもお母さんもいないんだもの。兄弟なんて出来るはずがないわ」
「え?」
ときわは目を丸くして聞き返した。
「いないって……死んじゃったの? それとも……」
秘色はふるふる頭を振った。
「ううん。死んじゃったのでも離ればなれになったのでもないわ。最初からいないのよ」
ときわが腑に落ちないといった顔をしているのを見て、秘色は説明をはじめた。
「長い歴史の中で、ときわの巫女というのは何十人もいたけれど、ある意味ではたった一人しかいないとも言えるのよ。つまりね、その代の巫女の寿命がきて死んでしまうとするでしょ。すると、その死んだ巫女の魂を使って、新しい巫女が出来るのよ」
「え?」
「その代の巫女が死んでしまっても、その魂は次の代の巫女に使いまわされるの。だから、あたしとあたしの前に巫女だった人は、別人ではあるけれども魂は同じ、同じもので出来ているのよ。あたしが死んだら、またあたしの魂を使って新しい巫女が出来るの。あたしが生まれてから死ぬまでずっと、ときわの巫女以外の何者でもないのは、あたしという存在がときわの巫女の魂で出来ているからで、それがずっと繰り返されるんだわ。今までもこれからも」
ときわはあっけに取られて聞いていた。理解し難い話であった。けれど、何かひどく残酷な話のような気がした。ときわには、彼女が生まれてから死ぬまでずっと、ときわの巫女という立場に縛り付けられているような気がしたのだ。
「ほら、ときわだって巫女と同じで、その都度、現れる人間は別人でも、その人間を形成しているのはときわという岩なのよ。あたし達、似ている存在なんだわ」
ね。と、秘色はときわに相槌を求めてきたが、ときわには首を縦に振ることが出来なかった。
「それに、あたしは運がいいわ。一生ときわを待ち続けて、会えないまま神殿の中で生を終える巫女のほうがずっと多いんだから」
それきり、秘色は黙ってしまった。ときわも何も言えなかった。




