十五、巫女達
「誰かいるっ」
かすれた声でときわは言った。
「もしかして、さっきの……」
秘色は何も答えなかった。ときわはごくりと唾を飲み込み、己の体に鞭打って根性で速度を上げた。もしかして、かきわが腕に捕まってしまったのかもしれないと思ったからだ。だとしたら、助けなければ。
やがて、前方に二つの人影が見えはじめた。
「おーいっ」
ときわはかすれた声をしぼり出して手を振ってみた。すると、向こうもこちらに気づいたらしく、一人が手を振り返した。
「おおいっ、助けてくれっ」
手を振り返した人影は、まだ若い男の声で叫んだ。
近づくにつれ、ときわにも状況がわかってきた。どうやら一人が腕に捕まり、それをもう一人が助けようとしているらしい。
捕まっているのは、腰まである赤茶色の髪と、袴が茜染めであることと腰の鈴が朱色であることを除けば、秘色と全く同じいでたちの少女だった。そして、それを助けようとしているのは、黒いTシャツとジーパンに黒い刀をベルトに差した背の高い少年だった。
ときわは二人のすぐ向こうの大地が緑の芝草で覆われているのを知った。大きな木々も立ち並んでいる。どうやら、湿原の出口の目の前で捕まってしまったらしい。
「大丈夫?」
ときわは少年の横に立って、一緒に少女の手を引っ張ろうとした。
だが、ときわを一目見た途端、少女は表情を一変させ手をひっこめた。
「お前は、もしかして……」
「そうよ。その子はときわよ」
いつの間にか、秘色はちゃっかり森の入り口で芝草に腰を下ろしていた。
「秘色、君も手伝いなよ」
ときわはあきれて非難したが、少女のほうがそれを遮った。
「あっちへ行って。晴の里のものなどに助けられたくないわ」
「え」
厳しい表情でそう言う少女は、すでに膝の辺りまで泥に埋まってしまっている。少年が必死に手を引っ張っているが、彼一人の力ではとても助けられそうにない。
「緋色っ。お前、そんなことを言ってる場合かよっ」
少年も信じられないという表情をした。秘色のほうに目をやると、気のない表情でこちらを眺めている。助けにくる気はさらさらないらしい。ときわはあらためて里どうしの不仲を思い知った。
(絶対に助け合わない。助けられることさえ望まないだなんて)
「ときわぁ。放っといてこっちおいでよ」
秘色がそう呼ばわった。ときわは秘色をきっと睨みつけ、
「何言ってるんだよ。放っておけるわけないじゃないかっ」
と怒鳴った。そうして、緋色と呼ばれる少女に再び手を差しのべたが、彼女はやはりその手にすがろうとはせず、逆に汚らわしいものを見るような目つきでときわを見た。
「緋色っ。お前いいかげんにしろよ。せっかく助けてくれるって言っているものを」
大玉の汗をかいて一人でふんばる少年は、歯をぎちぎち言わせながら引きずり込む力と戦っていた。
(ええと、どうしよう。どうしたらいいんだろう)
ときわはおろおろと少年と緋色を交互に見た。秘色はときわの態度が気にいらないらしく、一人だけ安全な場所で口を尖らせている。
と、その時、
「うわっ」
泥に足をすべらせて、少年が尻もちをついた。思わず手を放してしまい、支えをなくした緋色も体勢を崩して地面に両手をついた。いや、ついたつもりだった。よろけた勢いで、緋色の両手はずぼっと土の中に埋まってしまった。焦って引き抜こうとする緋色だが、もがけばもがく程両手も泥の中に沈んでいく。
「くっそぉ」
慌てて起き上がった少年も、もうどうしていいかわからないらしく、とにかく埋もれた腕を引き抜こうとその場に屈み込んだ。
(ああ。このままじゃ本当に引きずり込まれてしまう)
どうしよう。どうしたらいい。必死に考えをめぐらせるときわの頭に、先程自分が引きずり込まれかけた時の恐怖がよみがえってきた。あの時、助かったのは秘色が……
(そうだっ)
ときわは手にした刀を引き抜いた。そして、緋色の体の下の地面に斜めに刃を差し込んだ。
だが、手ごたえはなかった。
「……あれ?」
「なるほど。その手があったか」
一瞬固まってしまったときわの横で、少年が黒柄の刀をすらりっと引き抜いた。そして、緋色の、今はもう埋もれてしまった足元辺りの地面に刃を突き立てた。
今度こそ、手ごたえがあったらしく、あの不気味な絶叫が地の底から響いた。
緋色が泥の中から身を起こした。
「大丈夫か」
緋色は青ざめた顔ながらもしっかりと頷いた。
少年はほーっと息を吐いて額の汗をぬぐった。それから、ときわのほうを向いて、
「ありがとう。助かった」
と微笑んだ。
お礼を言われたものの、ときわは自分はほとんど何もしていないという気がして、何か変な気分になった。
「ときわっ。早くこっちに来なさいよっ」
森の入り口で、秘色が仁王立ちになってぷりぷり怒っている。
「待ってよ、秘色……」
「そうよ。早くあっちに行きなさいよっ」
ときわは驚いた。言ったのは、たった今泥の腕から解放された緋色だった。
「緋色っ、お前助けてもらっておいてその言い草はねぇだろっ」
少年が慌ててたしなめるが、緋色はふんっとそっぽをむいて忌々しげに言った。
「かきわ。こんな晴の里の連中とかかわるとろくなことがないわよ。私達の敵なんだから」
(あ)
やっぱり。と、ときわは思った。そうだろうとは思ってはいたが、やはりこの少年がかきわだったのだ。ときわは感激してかきわを見た。かきわもやはりときわを見て、こう言った。
「お前も、山の中で変な光を見たのか? 俺は遠野から来たんだけど……」
「僕もっ、僕も遠野で」
やっと話の通じる相手をみつけたと、ときわは身を乗り出した。
だが、ときわとかきわの間に、立ちはだかるようにして緋色が割り込んだ。
「あっちへ行ってよっ。かきわに近寄らないでっ」
思いきり睨みつけられて、ときわは思わず後退りした。すると、背後から秘色の声も噛みついてきた。
「ときわっ。もうわかったでしょう。そんな連中と仲良くなんかできやしないのよ。早く行くわよ、ほら早くっ」
「私達も行きましょう。かきわ」
緋色はかきわの腕をつかんで、ときわの前から連れ去ろうとした。
「待ってっ」
ときわは慌ててかきわの手をつかんで引き止めた。
「君も、遠野から来たんだろ? 一緒に、元の世界に戻る方法を探さないか?」
ときわは藁にもすがる思いだった。このわけのわからない世界で、たった一人取り残されるのはたまらなかった。それは確かに、秘色はそばにいるけれども。
「そんなこと出来るわけがないでしょう。行きましょう、かきわ」
緋色がせかした。かきわはしばらく黙り込んでいたが、やがてすまなそうに口を開いた。
「悪いけど、一緒には行けねぇよ。ほら、こいつもお前のところの巫女もこんな調子だし。俺はかきわの役をやるって言っちまったし。それに……」
かきわは急に表情を一変させ、人の悪そうな笑みを浮かべて鋭い目をぎらっと光らせた。
「それに、俺はそんなにすぐに元の世界に戻りてぇとは思ってねぇし」
「え?」
「ここはここでおもしろそうだからな。しばらくは成り行きにまかせてみようと決めたんだ。元の世界に戻る方法は、この旅の途中でみつかるかもしれねえし、みつからなかったとしても……別に、俺は、いい」
そう言うと、かきわはすぃっと目をそらして、緋色の後について歩き出した。
「あ……」
ときわは片手をのばしかけたけれど、それ以上言うべき言葉がみつからずに、その場に立ち尽くした。かきわと緋色はさっさと芝草を踏みしめて秘色の立つ森の入り口に近寄った。
「ときわっ。あたし達も早く行くわよっ。全く、余計なことをしなけりゃこんな連中よりずっと先に進めたのに」
「あんたのところのときわはずいぶん頼りなさそうな子供ね」
秘色の横を通り抜きざま、緋色は小ばかにしたように言った。その言葉にかちんときたらしく、秘色はぎっと緋色を睨みつけた。
「ばかにしないでよね。あたし達がその気になったら、あんた達なんかいつでも追い抜かせるわよ。あんた達じゃあ、この森を今夜中に越えることなんて絶対にできないだろうから」
秘色は嫌みったらしい口調でそう言った。緋色はふんっと憎々しげに鼻を鳴らして、ずかずかと森の中へ入っていった。その後に続いたかきわは、一瞬、ちらりとときわを振り返ったが、結局何も言わずに行ってしまった。
「ときわ。あたし達も行くわよ」
秘色に怒鳴られて、ときわはのろのろと歩き出した。けれども、心の中にはじんわりと失望がひろがっていて、体も何もいっぺんに疲れ果ててしまった気がした。
「ほら、元気を出して」
秘色はわずかになぐさめるような口調になった。ときわの手をやさしく握って森の中へと歩き出した。
「森の中で、どこか適当な場所をみつけて休みましょう」
「え? 今夜中に森を越えるんじゃなかったのかい?」
顔を上げて尋ねるときわに、秘色はあきれたような声を出した。
「ばっかねえ。こんな、昼間ですら何が出てくるかわからないようなところ、夜の夜中に歩きまわれるもんですか。それこそ命がいくつあったってたりやしないわよ」
ときわは驚いて足を止めた。
「それじゃあ、あの人達に教えてあげなくちゃあ……」
かきわと緋色の姿はすでに森の闇に消えている。秘色は何も言わずに目をそらした。
ときわは愕然とした。まさか、もしかして——
「まさか、君、わざと緋色をたきつけたんじゃあ……」
ときわは青くなった。秘色はばつが悪そうに呟いた。
「あたし、あの二人に夜の森をうろつけ、なんて言ってないわ。夜の森が危険だということに気付かないなら、あの子の責任よ」
今度はぞっとした。ときわは思わず秘色の手を振り払った。自分の手を握ってくれる秘色の手は、とてもやさしくてあたたかい。それなのに、こんな残酷なことができるだなんて。ときわは心底不気味に思った。ともすれば、先程の泥の腕よりも不気味に思ったかもしれなかった。
ときわは知らないうちに非難がましい、別の生き物を見るような目つきで秘色をみた。そのときわの目を見て、秘色は少し悲しそうな顔をした。




