第19話 夜の庭で泣いてもいいですか?
レイの前から逃げ出したあと、どこをどう歩いてきたのか、私は、初出勤の日に勤務先の城で迷子になっていた。
八つ当たりしたあげく、迷子って……、サイテー、私。かっこ悪いな……
城の中を、やみくもにうろつくのは人の目も気になるし、新人メイドが夜に彷徨いていたら不審者と思われても仕方がない。やっぱりセキュリティ的にダメだろうと思って、とりあえず庭に出てきたけど、今は途方に暮れて噴水の縁に腰掛けていた。
夜の静けさの中に、噴水の水の音だけが響く。
これからどうしよう……。
私には、レイの家しか行くところがないのに、今さらレイに「一緒に帰りましょう」なんて言いづらい。
地面に投げ出した自分の足先をぼんやりと見つめる。
「こんなところにいたのですか?ミツキ」
いきなり声をかけられて、驚いて顔をあげた。
少し離れたところに、優しく微笑むルーセルが立っていた。
全然気配とか、何も感じなかった。驚く私の傍に、彼は優雅に歩いてくる。
「お隣に座っても?」
彼は柔らかく笑って、わずかに小首をかしげる。
さらりと絹糸のような長い紫色の髪が肩を滑り落ちた。月の光を浴びて、淡く輝いて見える。
ほんとうに彼は綺麗だ。
彼の周りの空気が優しくて穏やかで、不思議と緊張もなくなっていた。
私は素直に「はい」と頷いた。
「ありがとう」
ふわりと空気が動いて、隣りにルーセルが座った。
「ミツキはいい人ですね」
いつもと変わらない穏やかで優しい声。
「そんなこと……全然、ないです。さっきもレイに八つ当たりしちゃいました」
「でも、そう言うってことは、今は反省してるってことでしょう?」
ルーセルの言葉に思わず顔をあげて、彼を見る。
紫の瞳が濡れたように綺麗だ。
とても優しくて、包みこんでくれるような瞳。
私は視線を自分の足先に戻す。
「レイに言ってもどうしようも出来ない事なのに、ひどい言い方してしまって」
「ん?」
「どうして、聖女様じゃない私が、ここに来ちゃったのかな。私には聖女様の代わりなんて、できないのに……」
「ねえ、ミツキ。ここからは宰相としてではなく、僕個人としての意見なんだけど。キミは確かに聖女じゃない。でも、キミがここに来たのは、何か意味があると思うよ」
「私が来た意味?」
思いもよらぬ言葉に、俯いていた顔をあげて、もう一度ルーセルの顔を見る。
彼は、まっすぐに私を見つめて、ゆっくりと言葉を続けた。
「ああ。キミにしか出来ないことが、何かあるはずだよ。だって、現にこうして、僕たちは出会って、お互いの時間が流れ始めたじゃないか。キミはこの世界へ来た、それが証拠だよ」
「ルーセル……」
何も特別な力も持っていない私に、大したことが出来るとは思えないけど、友達が励ましてくれるように、寄り添って言ってくれたことが嬉しかった。
「なんか……ありがとう。元気が出た気がする」
自然と笑みが浮かぶ。すると、ルーセルが大きな手で私の頭をぽんぽんと撫でた。
「な、なに!?」
「ミツキは、ほんといい子だね」
「はい!?」
恥ずかしくて、頭ぽんぽんの手から逃れて立ち上がる。
「ミツキはここに来てから、どうして自分なんかが来てしまったのだろう、って、自分ばかり悪いように責めてるけど。とても優しい子だね」
ルーセルはいったん言葉を切って、長い脚を組んだ。
「だってさ、そもそもこの国の僕たちが召喚などしたりしなければ?いきなり穴に引きずり込まれて、二週間この国で過ごしてくださいなんて、僕たちの勝手なのに、キミはちっとも僕らを責めることもしない。ほんとはもっと泣いて、怒って、わがまま言ってもいいんだよ」
「そんな……」
「ミツキは受け入れるだけ?不満はないの?」
「不満?」
「だって、キミはこの国の、僕たちの問題に巻き込まれた、とも言えるよね。
ほんとは、聖女の代わりに、こんなとこ来たくなかった。そうは思わない?」
「あ……」
さっき、私が思ってこと。
『私だって、こんなところ来たくて来たんじゃない。
聖女様の代わりなんて、どうしたって無理だし、来たくなかった。
このまま二週間、ここにいるの……辛いな……。』
図星だ。
ただ口に出して、彼らに言ってはいけないと思ったから、言わないだけ。
私が何も言い返せないでいると、ルーセルは目を伏せてクスッと小さく笑った。
「ほら、やっぱり優しい」
そして、彼も立ち上がると、私と向き合って立った。
「ねえ、僕たちはもう出会ったんだ。僕はキミを仲間だと思ってる。だから、一人で抱え込まなくていいんだ。辛いときは辛いって言えばいいし、一人で泣くこともない」
私より頭ひとつ分以上、背の高い彼を見上げる。
「ミツキは一人で頑張り屋さんだ。でも頑張りすぎず、ときには周りのものに甘えるのも、いいと思うよ。少なくとも、僕はそう思う」
「……ルーセル」
彼の優しい微笑みが滲んでいく。
せっかく泣き止んでいたのに。彼の優しい言葉のせいだ。
「ほら。貸してあげるよ」
彼が笑って腕を広げる。ダメだよ……もう涙で彼の顔が滲んで見えない。
「ほーら、ミツキ」
「……うん」
思い切って彼の胸の中に飛び込んだら、もう涙が止まらなかった。
彼のぬくもりにしがみつく。
「思いっきり泣いてみるといいよ。きっと、すっきりするから」
頭の上から優しくて甘い声でそんなこと言ってくれるから、余計に泣けてきて、私は今まで溜まっていたものを全部吐き出すように、わんわん泣いてしまった。
ほんとは、私も聖女様の代わりになんて来たくなかった。
特別な力もなくて、何も出来ないのに来てしまって、ほんとは辛いし嫌だ
……って。
そう言って、まるで子どものように泣く私の背中を、ルーセルはとんとんと優しくあやすように叩いてくれた。
どれくらいそうしていたのだろう。
いい加減、身体の中に溜まっていたものを、全部吐き出してしまったように思う。
もう涙もなくなった気がする。
私はルーセルの胸から顔を離した。
「もう、大丈夫……」
「それはよかった」
変わらず明るく優しい声だ。
「えっと、ルーセルの服、濡らしちゃったね、ごめ……」
謝ろうとしたら、ルーセルが私の口に人差し指をたてて、言葉を遮る。
「ミツキ、また謝るのは無し。これは、僕がそうして欲しかったんだし、男にとってこの涙は勲章だ」
「は?」
彼はウインクなんかしちゃってる。
何を言ってるんだか、この人は……
タリアンさんが“あの口から生まれてきたような男”と言っていたのを、思い出してしまった。
でも、不思議とルーセルが言うのは嫌じゃない。
いっぱい泣いてしまったから、瞼の上も腫れぼったさを感じる。
「あ、私、今ひどい顔してますよね」
俯いて、手で目の辺りを隠す。
「今夜はもうお帰り」
「え、でも」
レイは?と言おうとして、さっきひどい態度を取ってしまったのに、一緒に帰るのは気まずいかと躊躇ってしまった。
「ああ、レイは急な任務で、今夜は帰れなくなったんだ」
「え?」
「宿直でね」
「そう、なんですね」
ほっとしたのと、どこか残念な気がした。
でも仕事だし仕方がないよね。今朝も早かったのに、大変だな。
「あの、レイにごめんなさいって伝えてもらえますか?」
「んー、いいけど、そういう言葉は自分で言うほうがいいんじゃないかな」
「あ、確かに。うん、そうします!……ルーセル、ありがとう」
「いや。すっきりしたかな?」
「うん!私がなぜ、この世界に来たのか意味があるのかは分からないけど、せっかく来たんだもの、この世界のこと、大好きになって帰りたいな。みんなとも仲良くなりたい!」
「そっか。すっきりしたみたいだね。お手伝いができたようで良かったよ」
私は、もう作り笑顔でなく、自然と笑うことができた。
「さてと、ランドルフ家には僕の家の馬車で帰るといいよ」
「え?いいの?」
「ああ、もう手配は済んでいるから。ランドルフ家にもミツキが帰ることは、先に伝えておくから、大丈夫だよ」
わ、さすがルーセル。仕事のできる人だ。
「何から何まで、ありがとう」
「今日は疲れただろう。帰ってゆっくりおやすみ」
「はい!」
笑顔でおやすみと言って去っていく美月を、ルーセルは軽く手を振って見送った。




