05 似ている少年
すれ違いざま、その少年が纏う空気に葵はわずかに粟立った。
新入生で賑わう廊下の喧騒から、そこだけがぽっかりと切り取られたかのような静寂。誰とも目を合わせず、ただ虚に前だけを見つめて通り過ぎようとする黒髪の少年の横顔を、葵は思わず目に焼き付けていた。
「ねえ、今歩いていった男子……見慣れない顔だよね。」
隣を歩く女子生徒が首をかしげて呟く。すると、友人グループの中にいた男友達が、すれ違いざまに去っていく少年の背中に視線を向け、どこか寂しげに肩をすくめた。
「あいつ……昔、この町にいたんだよ。5年前に急にいなくなったんだけど、今年戻ってきたみたいだな」
「えっ、知り合いだったの? 声かけないの?」
女子生徒の問いに、男友達は気まずそうに視線を落とし、首を横に振った。
「いや……クラス分けの時に、名前をみてあいつかなと思って。久々に声をかけようとしたんだけどさ。無理だった」
「無理ってなんで?」
「なんて言えばいいのかな……昔はもっと明るくて、よく笑う奴だったんだよ。なのに久しぶりに見たら、別人の目になっちまっててさ。周りのやつ誰とも関わろうとしてないし、なんていうか……『近づくな』って壁を作ってるっていうか、すげえ話しかけづらい雰囲気出しちゃってんだよな。近寄りたくても近寄れないっていうかさ」
「へえ……なんか暗くて近寄りづらい雰囲気、確かにあるかも」
「確かに午前中も声かけられてたけど、対応も結構酷かったかも……」
ひそひそと交わされる友人たちの話を他所に、葵の足は自然と止まりかけていた。
(5年前に……急にいなくなった……?)
友人の言葉に引っかかりを覚え、立ち止まって振り返る。
ゆっくりと歩みを進め、遠く離れた一組の教室へと一人で入っていく少年の後ろ姿。
そして、教室のドアをくぐる直前、ふと見えた彼の横顔。
(あの横顔……)
闇の中で自分を救い、無言で去っていった『黒の退魔師』。
あの夜、一瞬だけ視界に焼き付いた横顔と、纏う雰囲気が——あまりにも重なって見えたのだ。
(……似ている……? あの時の『黒の退魔師』に……?)
「……葵ちゃん? どうしたの?」
「あ……ううん、なんでもないわ。売店、行こっか」
友人に声をかけられ、葵は慌てて笑顔を作って歩き出した。
午後の新入生オリエンテーションと、それに続くホームルームでの学級委員決めは、つつがなく進んだ。葵はその人徳と信頼の厚さから、クラスメートたちの満場一致の推挙を受け、学級委員を引き受けることとなった。
やがて放課後を知らせるチャイムが校内に鳴り響く。
部活動の見学や勧誘に向かう生徒たちで、廊下は朝以上の熱気に包まれていた。葵もまた、友人たちに「弓道場へ挨拶に行ってくるね」と別れを告げ、教室を出た。
本館二階の下足箱で上履きから外履きへと履き替え、葵は校舎を出る。
左手に本館の特徴的な壁面であるガラス張りのメディアエリア、右手に広大なグラウンドを見渡す道を抜け、校門へと向かっていく。校門からまっすぐに伸びる道には桜並木が広がり、その正面向かいには体育館と武道場がどっしりと佇んでいた。
その桜の舞い散る道を、カバンを片手にひとり静かに歩いていく後ろ姿が目に入った。
春の陽光の下、楽しげに群れる生徒たちの輪から脱するように、誰とも言葉を交わさず、一度も振り返ることなく校門を出ていく黒髪の少年。
放課後の賑やかな喧騒の中で、彼の周囲だけがどこまでも孤独で、冷ややかに澄んでいた。
葵は弓道場へ向かう足をとめ、遠ざかっていく彼の背中をじっと見つめていた。
クラスも違い、言葉どころか視線ひとつ交わしていない。
それでも、肩口の疼くかすかな痛みが、あの夜間の路地裏で追いつめられ、壁に背をつけて息を呑んでいた自分と、今の光景をどこかで繋げているような気がして、葵は彼の姿が見えなくなるまで、その場から目を離すことができなかった。




