04 東雲の少女
あの夜から数日後。桜の舞う季節。新たな年度を迎えた私立鳳条学園は、新生活への期待に胸を膨らませる新入生たちの喧騒に包まれていた。
校舎は本館の先に、両翼を広げる鳳凰を思わせる三棟で構成されている。本館の2階が下足箱になっており、正面に渡り廊下があり校舎に移動できる。すぐ脇には階段があり、一階では図書室やメディアルーム、売店があり学生の休み時間の憩いの場となっている。
その賑やかな校舎の二階、一年三組の教室前は、朝からひときわ華やかな雰囲気に満ちていた。
「葵ちゃん、おはよう! 同じクラスになれて嬉しいよ!」
「東雲さん、今日の放課後って新入生オリエンテーションだっけ?」
この鎮市の中心で人々の信仰を集める東雲神社の跡取り娘。透き通るような白い肌と、春の陽光を弾く艶やかな黒髪。誰もが思わず見とれてしまうほど整った眉目秀麗な顔立ちに、誰に対しても分け隔てなく向けられる柔らかな笑顔。誰もが息をのむとびきりの美貌と清楚な気品を兼ね備えた彼女は、鎮市では知らぬ者はいない程の存在であり、学園内においても誰もが惹きつけられる圧倒的な人気者であった。
「みんな、おはよう。うん、オリエンテーションの後に学級委員決めがあるみたいだよ」
朗らかな笑顔で友人と会話を交わす葵。
在校生からの人気も高く、次々にかけられる挨拶にも偏りなく対応しながら廊下を移動していく。
だが、制服の袖の奥——数日前の夜、怪異との戦闘で負った傷を隠す包帯が、動くたびにわずかな痛みを主張していた。
そしてその痛みは、あの日自分を救ってくれた黒の退魔師の残像を脳裏に焼き付かせていた。
(本当に何者だったのだろう……父さんも思い当たる節がないなんて……)
一族として警戒すべき素性不明の存在。だが、あの瞳に宿っていたあまりに深く暗い影が、葵の頭から離れなかった。
——パン、パン、と壇上で両手を叩く乾いた音が響いた。
「はーい、みんな席についてー。ホームルーム始めるぞー」
担任の威勢の良い声に、騒がしかった教室が一瞬で静まり返る。
「えー、鳳条学園へようこそ! 今日からこのクラスを担当する近藤だ。オリエンテーションの前に、まずは簡単に一人ずつ自己紹介をやってもらう。出席番号順にな」
一番前の背が高い男子生徒から順に、緊張交じりの挨拶が始まっていく。
趣味や出身中学、部活の目標などを語る生徒たちに、教室からは温かい拍手やドッと湧く歓声が上がっていた。
そして——「次、東雲」と名前が呼ばれた瞬間、教室内の空気の密度が明らかに変わった。
「はい」
葵がすっと席を立ち上がると、それまでガタガタと動いていた机の音がピタリと止まる。
春の陽光を弾く艶やかな黒髪が、背中でふわりと揺れた。
「東雲葵です。実家はこの街の東雲神社で、昔から神職の手伝いをしています。中学では弓道をやっていて、この学園でも続けて弓道部に入ろうと思っています。これからよろしくお願いします」
澄み渡る鈴の音のような声と、少しはにかんだような完璧で気品あふれる笑顔。
壇上に立った彼女の凛とした美しさに、男子生徒たちは息をのみ、女子生徒たちからも「うわぁ……」「モデルさんみたい……」と溜息のような囁きが漏れ聞こえる。
「……ッ、はい! 葵ちゃん、よろしくね!!」
「俺も弓道部入ろうかな!」
一瞬の静寂の後、弾けたように教室全体から割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
クラスの男子の半分以上がその一瞬で完全にノックアウトされたのは、誰の目から見ても明らかだった。
「こら、男子うるさい! ……よし東雲、座っていいぞ」
担任すらもどこかわずかに目元を緩ませて頷く。
「はい。よろしくお願いします」
葵は深々と綺麗なお辞儀をして席に着く。
クラス全体から向けられる圧倒的な憧れと好意。学園の誰もが惹きつけられるアイドル的存在としての葵の日常が、そこにはあった。
しかし、着席する際にそっと机へ置いた右腕——ブレザーの袖の奥で、数日前の夜に負った傷口がじんわりと痛みを主張する。
(弓道部……今日は挨拶だけで済ませようかな……)
華やかな拍手と歓声の渦の中に身を置きながらも、葵は制服の下の白い包帯を密かに意識し、怪我を誰にも悟られないように振舞った。
東雲一族の退魔師としての役割は限られた血筋のものしか知らないために、親しい友人であっても公言していないのである。
午後、昼食を購入するために葵は友人たちと談笑しながら売店へ向かう廊下を歩いていた。
新入生たちで行き交う廊下の喧騒の中、廊下の先から、ひとり静かに歩いてくる黒髪の少年が目に入った。




