03 報告
町の中心に鎮座する『東雲神社』。
樹齢数百年を数える厳かな大木に囲まれたその神社は、普段は市民の信仰を集める歴史ある大社として静かな佇まいを見せている。だがその実態は、この街で夜な夜な這い出る怪異を祓い続ける退魔師たちの総拠点であった。
東雲神社の本殿奥深く、重厚な空気の漂う広大な和室。
静寂の満ちる畳の上に、手当を終えた葵は正座していた。その向かいには、東雲家の当主であり葵の父・東雲 厳山が威厳に満ちた佇まいで座している。
「――なんだと? 一族の者ではない、黒い居合着の剣士だと?」
葵から昨夜の惨状と事の顛末を聞かされた厳山は、深く眉根を寄せた。
「はい……。結界内に突如現れ、護符の霊力や術式に頼ることもなく、ただ一閃のもとに怪異を斬り捨てました。てっきり父様が裏で手配してくださった一族の手練れだと思ったのですが……」
「……我が一族に、そのような戦い方をする者は知らん。そもそも結界の術式を施さず、素身で異覚の領域へ踏み込み、怪異を滅殺するなど……常人の業ではない」
厳山は腕を組み、静かに思考を巡らせる。
東雲神社を拠点とし、この街で人知れず怪異を祓い続けてきた東雲一族。だが、一族の預かり知らぬ場所で、常軌を逸した刃を振るう存在が現れたのだ。
「……葵、その者の顔や特徴は覚えているか?」
「いえ……暗がりでしたし、名乗りもせずすぐに立ち去られてしまって……。ただ、男性退魔師の正装である袴ではなく、黒の居合着を纏っていました。その身のこなしや体格から察するに、私と同年代くらいの男性に見えました」
「……そうか。正体も目的も分からぬ以上、現時点では仮に『黒の退魔師』とでも呼ぶほかないな」
厳山は深く息を吐き出すと、座敷の控えの間に控えていた退魔部隊の頭領へ向け、鋭い眼光を走らせた。
「頭領、聞いただろう。直ちに一族の退魔師全員へ周知徹底させよ。『黒の退魔師』なる未知の剣士に対し、厳重に警戒せよとな。今回は図らずも葵を助けた形となったが、相手の素性は一切不明だ。結界に干渉できるほどの力を持ちながら、どの退魔の一族にも属さぬ独行者……あるいは、穢獣をも凌駕する危険な存在かもしれん。巡回の際も決して不用意に接触せず、十分に警戒するよう全員に伝えよ」
「はっ、直ちに手配いたします」
頭領が深く頭を下げ、静かに部屋を退出していく。
葵もまた深く頭を下げて下がったものの、その胸の奥には消えない波紋が広がっていた。
(黒の退魔師……)
冷たい闇の中で、圧倒的な速度で振り抜かれた一閃。
去り際の背中にかけた声にも振り返らず、ただ無言で夜の街へ消えて行ったあの後ろ姿。
父や一族が警戒するように、確かに恐ろしいほどの剣気だった。だが、あの無駄を削ぎ落とした立ち振る舞いと一瞬見えた瞳には、凶暴さではなく、深く静かな哀絶の影が宿っていたように思えてならなかったのだ。
言葉を交わすこともできなかった、名もなき剣士。
一族として警戒しなければならないと分かっていながらも、葵の心は謎の青年の正体へ強く引き寄せられていた。
(また……あの人に会えるだろうか……)
胸の奥で芽生えた小さな期待を静かに隠しながら、葵は部屋をあとにした。
一人残された厳山は、腕を組んだまま壁の一点を見つめていた。
常人には入ることすら叶わぬ結界へ割り込み、護符の加護もなしに異形を一刀両断する凄絶な踏み込みと刃筋。
(……結界を無視するほどの異質な気配。そして、奴らを一瞬にして倒す力……)
喉の奥に小さな刺が引っかかったかのような、説明のつかない胸騒ぎ。
厳山は顔を曇らせたまま深く首を振ったが、胸底に漂う緊迫感が消えることはなかった。




