11 対面
ふう、と静かに息を吐き出し、葵は自らの胸の高鳴りを鎮めるように手で軽く押さえた。
葵の通うクラスは一年三組。蓮が入っていったのは廊下の更に奥に位置する一組の教室だった。
一組の教室へ葵が足を踏み入れた瞬間、教室内を流れていた賑やかな喧騒が、潮が引くようにピタリと止まった。
「あ……東雲さん?」
「三組の東雲葵だよな? なんでここに……」
整った容姿と凛とした佇まい、東雲神社の跡継ぎとしての有名さも相まって、葵は学園内でも注目の的だった。葵の姿を認めるや否や、前方の席にいた男子生徒たちが慌てて立ち上がり、声をかけようと寄ってくる。
「東雲さん、何か探し物? 俺たち手伝おうか?」
「いえ、お気遣いありがとうございます。……少し、こちらの方にご用がありますので」
葵は柔らかく、しかしはっきりとした辞退の笑みを浮かべて差し伸べられた手を断ると、周囲の視線を一身に浴びながら、迷いなく窓際の最背列へと歩を進めた。
教室内はいっそうの困惑とざわめきに包まれた。
葵が向かった先は、普段から誰とも関わろうとせず、クラスでも浮いた存在である——蓮の席だったからだ。
「え、あいつ……?」
「うそ……東雲さんが、なんで暁のところに……?」
「おい、あいつ東雲さんに何かやらかしたのか……?」
周囲の生徒たちがヒソヒソと小声で邪推し、訝しげな視線を蓮へ注ぎ始める。
当の蓮は、周囲の視線や葵の接近などどこ吹く風といった様子で、机の上に鞄を置いたまま、頬杖をついてぼんやりと空を見上げていた。
周りから隔絶された彼の周囲だけが、重く冷ややかな静寂で満たされている。
「……あの、すみません」
葵は蓮の机の横に立ち、凛とした声音で呼びかけた。
蓮の眉がかすかに動いた。
頬杖を外し、ゆっくりと顔を上げた少年の瞳は、あの夜感じたものと同じ、光を吸い込むような深い漆黒だった。集まる周囲の視線を気にする素振りもなく、ただ冷ややかな警戒を込めた眼差しで葵を見つめ返す。
「……何か用か」
低い、無愛想な声。
「少し、お話ししたいことがあります。……放課後、お時間をいただけないでしょうか」
葵は周囲の生徒たちに悟られないよう声音を抑えつつ、まっすぐに蓮の目を見据えて告げた。
蓮はしばらく無言で葵を見つめていたが、やがて心底興味がないとばかりに、再び視線を窓の外へと戻した。
「断る。……お前と話すことなど何もない」
取り付く島もない冷淡な拒絶。
周囲の生徒たちからは「あいつ、東雲さんの誘いを断ったぞ……」「なんなんだあいつ」と不満気な囁きが漏れ聞こえる。
だが、葵は退かなかった。
胸元のカバンを強く握りしめると、葵は蓮の机にわずかに身を乗り出し、彼の耳元へ届く極小の囁き声で言葉を繋いだ。
「……昨日の剣技、見事でした」
その一言が落ちた瞬間。
ピリッ、と空間の空気が凍りついた。
蓮の身体から発せられた目に見えぬ緊張感が、一瞬にして葵の肌を刺す。
さっきまで窓の外を眺めていた蓮の首が、恐ろしいほどの鋭さで葵へと向け直された。その漆黒の瞳の奥には、隠しきれない刃のような警戒と、僅かに焦りを感じられる。
「……お前、——」
「昨夜の御礼も含めて、きちんとお話ししたいのです。……放課後、正門で待っています」
蓮の問い詰める言葉を制するように、葵は静かに、けれど強くそれだけを告げると、返答を待たずに深く一礼した。気まずそうにする一組の生徒たちを横目に、凛とした足取りで教室を後にした。
残された蓮は、周囲の自分に対する悪口を気にする様子もなく、ただ去り行く葵の背中を追っていた。




