10 あの家
翌朝、私立鳳条学園の校舎廊下。
登校する生徒たちの喧噪が飛び交う中、葵の足がふと止まった。
すれ違う人波の向こう、本館と校舎を繋ぐ渡り廊下を静かに歩く一人の少年の背中。
校庭に差し込む朝日に照らされながらも、その佇まいにはどこか周囲を拒絶するような冷ややかな静寂が漂っている。
(……間違いない。あの背中……)
その姿を目にした瞬間、葵の脳裏に昨夜の東雲神社での光景が鮮明に蘇り、意識は深い回想へと引き込まれる。
——昨夜。
東雲神社へ戻った葵は、父と頭領の二人を前にして体育館での出来事を詳細に報告していた。
校内で穢獣の気配を感知し、襲撃を受けたこと。
絶体絶命の状況下、再び黒の退魔師と同じ人物と思われる少年が結界内へ割り込んできたこと。
木刀に穢獣と同種の黒い霧を纏わせて対峙していたが、葵の護符を木刀に貼り付けるや、その力を纏った蒼白い霊光を放つ木刀にて、鮮やかな四方の一閃で瞬時に四体を全滅させたこと。
本来は東雲の血脈の者でなければ扱えないはずの護符の術気を見抜き、使いこなしていたこと。
「……木刀に黒い霧を纏わせ奴らの攻撃に耐え、更には護符の術気を利用し一気に斬って捨てた……か」
報告を聞いていた厳山は、重々しい面持ちで立ち尽くし、深く思いを巡らせていた。
その時、しばらく静観していた頭領が重い口を開いた。
「葵。お前が弓道場へ戻った直後、私が学園近くへ駆けつけた際だが……一人の生徒が急ぎ足で去っていくのを目撃した」
頭領の鋭い眼光が、昨夜の記憶をなぞるように細められる。
「何か違和感を感じてな。気になった私は、認識阻害の結界を展開して姿を消しながら、その少年の後を追った。そして、少年が辿りついた行き先は——」
頭領は一呼吸置き、静かに、だが重くその名を告げた。
「——5年前、あの事件が起きた『暁邸』だ」
「えっ……!」
葵は息を飲んだ。
5年前の事件。東雲一族にとっても、厳山が重傷を負い前線を退くことになった決して忘れることのできない悲劇の夜。その渦中にあった邸宅の名が、まさかここで繋がるとは思ってもみなかったのだ。
しかし、葵の驚きとは対照的に、厳山の表情にはどこか合点がいったような深い納得の色が浮かんでいた。
「……そうか。暁の……あの男の息子か」
父は静かに目を閉じ、過去の記憶を辿るように呟いた。
「聞くに壮絶なる剣技の持ち主、そして木刀に黒い霧を纏う異能の力……。あの子の中に、あの日接触した『マガツの核』の力が宿っていると考えれば辻褄が合う。……あの男が己を犠牲にしてまで守ろうとした血脈が……この街へ戻ってきたのだな」
父の言葉に、部屋を満たす空気が一段と張り詰める。
頭領も静かに頷き、厳格な面持ちで先を促した。
「東雲の護符に応答したのも、その血と宿命ゆえか。……ただちにその少年と接触し、話をせねばなるまい。彼が抱える力と真意を確かめる必要がある」
「その通りだ」と父も力強く頷く。
「葵。彼と話す機会を得なさい。問いただすためではない。東雲として……そしてあの日救われた一族として、彼と向き合うのだ」
——その会話が、深く葵の胸に刻み込まれていた。
回想から引き戻された葵は、自身の教室の前で足を止め、奥の教室内と消えていく蓮の姿をじっと見つめた。
(あの日、父様たちを……そして昨日、私を救ってくれたのは、暁家の……)
抱えるカバンの帯をぎゅっと握りしめ、葵は意を決したように小さく頷いた。




