09 鮮やかな一閃
壊された体育館の扉の向こうへ、少年の背中が夕陽の光の中に溶けるように消えていく。
葵は弓を構えた体勢のまま、しばらくの間、呼吸をすることすら忘れて呆然と佇んでいた。
(……すごい……)
胸の奥から湧き上がるのは、激しい戦慄と、圧倒的な剣技に対する純粋な感銘だった。
背後への急襲とも言える一刺しから、無駄を一切削ぎ落とした最短の軌道で四方を断ち切った鮮やかな一閃。あの極限まで研ぎ澄まされた剣術の域には、並の修行で到達できるものではない事くらいは、刀を使わぬ葵でも十分に理解できた。
静けさを取り戻した体育館で、葵は去り際の少年の姿を脳裏で反芻する。
(あの制服……間違いなく、私立鳳条学園の制服だった……)
夕陽の強い逆光によって顔立ちまでは判別できなかった。
しかし、背格好、纏う冷ややかな空気、そして何より——あの夜、路地裏で自分を救った黒の退魔師と全く同じ異能の気配。
(やっぱり、あの時の……! この学園の生徒だったんだ……)
疑惑は少しずつ確信へと変わりつつあった。
さらに葵の思考は、戦闘中の不可解な点へと向かう。
東雲の術者が展開した結界の内部へ、何の躊躇もなく容易に入り込んできたこと。
本来、東雲家の護符は血脈の者でなければ真価を発揮できないはずなのに、瞬時にその術気を見抜き、自らの武器へと応用してみせたこと。
そして何より異質だったのは、彼が木刀を構えた瞬間に立ち昇った——あの怪異と同種の黒い霧。
(結界の中に一族以外の人が入ってこれるなんて……。それに、ただの木刀にあんな禍々しい霊気を纏わせて戦う……。一体、どういう力なの……?)
助けられた安堵とともに、その少年の持つ深遠な謎と底知れぬ力への疑問が、葵の胸に深く刻み込まれた。
やがて亜空間結界の効果が薄れ、周囲の空間が現実世界へと滑らかに収束していく。
体育館を出て弓道場へと戻った葵の、どこか青ざめ疲弊した様子に気づいたのは、部活動の準備を進めていた弓道部の先輩たちだった。
「あれ、東雲さん!? 顔色があまり良くないみたいだけど、大丈夫!?」
「あ……はい。少し風に当たっていただけです」
葵は努めて明るい笑みを浮かべ、心配する先輩たちに「見学とご挨拶に伺いました」と丁寧に礼を述べた。
弓道場での挨拶と入部の意思を伝え終えると、葵は和弓を抱え直して静かに学園を後にした。
同刻、茜色から濃紺へと移り変わる夕暮れの学園校門。
その門から遠く離れた陰から、一人の厳格な人物が静かに学園方向を見つめていた。
その人物は急ぎ足で夕闇の街へと去っていく一人の制服姿の少年の後ろ姿を、何も語らず、ただ遠くから、鋭い眼光でじっと見つめていた。




