第9話 働け学生 ~ワンランク上の耳舐め体験を求めて~
「浅村! 大変!」
遠野から緊急のメッセージが入っていたのは、その日の夜のことだった。一体何事かと、俺は六道こまりちゃんの『お仕事で疲れたお兄ちゃんにあわあわシャンプーで癒しのご奉仕❤︎』の再生を一度止め、どうしたんだと返信をする。
「ドロ甘お姉さんASMR、今日浅村の携帯で聞いた時となんか違った ゾクゾク感が薄かった」
「どーしよ 私、感覚マヒした???」
なるほど人は強い刺激を受け続けるとそれに慣れてしまい、満足できずにさらに強い刺激を追い求めると聞く。
遠野が愛聴しているASMRは、(本人は否定していたが)恐らく中々に過激な作品達なので、刺激を受容する神経が鈍化してしまったという可能性も、まあなくはない。けれど、多分今回の原因はそこじゃない。
「イヤホンが違うからだろ」
単純明快な理由だ。使ってるデバイスの質が違うのだから、音の質も違うに決まっているに決まってる。それだけのことだ。はい証明完了。まーた難事件を解決してしまったか。
「は? 私のイヤホン、二万円だよ」
ピロン、と流れてきた遠野のメッセージを見て、俺は意地悪くも思わずほくそ笑んでしまった。ぽちぽちと返信を打つ。
「私のイヤホンの銭闘力は五万三千円です」
ですがもちろんフルパワーであなたと戦う気はありませんからご心配なく……と追撃しようとして、「待て、伝わるか?」と躊躇していると「クソッタレー!」と返信が返ってきた。そういや遠野、結構こういう系の知識に明るいよな……。
「つか、ほんとに五万三千円なん」
改めて確認されたが、本当だ。そりゃ値段だけ見れば上には上があるし、ガチガチのハイエンドクラスと比較したら及ぶべくもない。けれど、高校生が日常使いしているイヤホンとして見ればかなり上位のグレードだ。
それに、この手の機器っていうのは、それごとに得意な音がある。ゴリゴリのロックサウンドが得意なものもあれば、クラシックに適したものもあるし、FPSゲームに強い製品なんてものもある。比べて、ASMRに特化したものはそれほど数はないが、そのイヤホンの特性を吟味し、最も適切な品を選んだつもりだ。一流のASMRリスナーは、視聴するデバイスにも妥協しないのだ。
という思いを「マジ」の二語に込めると、「マジかー……」とだけ返ってきて、その後は特にメッセージが来ることはなかった。
まあ、遠野が考えていることは分かる。イヤホンのグレードアップがしたくて堪らないのだ。オタクは、自分が好きなジャンルへの物欲が高まるとそれをもう止めることなどできないのだ。
まして遠野は、一度既にワンランク上の世界を知ってしまっている(まあ無理矢理引きずり込んだのは俺なんだけど)。遠野がASMRにかける情熱も本物なんだろうから、我慢などできようはずもない。
そんな俺の予想通り、翌日遠野から「浅村のイヤホン、どれか教えて」とメッセージが来た。やっぱりなと思いつつ、俺は今使用してるイヤホンの後継品の情報を送ってやる。お値段は少し上がって五万九千円。うーんやばい。製品ページ見てたら俺の物欲も高まってきた。目と財布に毒!
「あんがと 私これ買うわ」
さすがの即決。これぞ遠野藍音だ。しかし、ぽんと出せる金額じゃないけど、結構蓄えあるんだな……「でもお金ない」あ、やっぱり。
「貸せないぞ。俺もそんな大金今もってない。カツアゲなら断固拒否する」
「違うわ バイトする」
続けて遠野から送られてきたのは短期バイトの求人情報だった。なるほど全うな手段で良かった。「頑張れよ」と返そうとしたところ。
「これ、二名募集してる」
「浅村も来い」
普通に嫌ですが……。
「なんで俺も」
「一人だとつまらないし それに 浅村のせいだから」
俺のせい、という文字を見て少しギクッとする。
「浅村が 私にあんなイヤホンつけさせるからでしょ」
「責任 とれ」
短い言葉のなかに確かな圧を感じる。そして、指摘通り遠野を沼に沈めたのは他ならぬこの俺だ。
俺が取れる選択肢は「分かった……」と大人しく返信することくらいだった。
「はいそれでは、遠野藍音さんと、浅村好太さんですね? 今日はよろしくお願いします!」
はきはきと快活に話す島田さんという女性が今日の俺たちの指導役らしい。とりあえず第一印象が大事と、俺もできる限り明るく挨拶を返す。遠野はさらりと、俺の三倍くらい印象のよい挨拶をかました。
平日五日間の通学ノルマを終えてやっと来た週末。珍しく俺は朝から外出し、郊外にある大型商業施設へやってきていた。目的は買い物でも遊ぶためでもなく、労働するためだ。自分で言っていてなんだが、俺の言葉とはとても思えない。
遠野が見つけてきたバイトとはいわゆるイベントスタッフというやつで、俺たちに課せられた業務は集まってくる子供達にお菓子と風船を渡すというものだ。
一人はスタッフ用の制服で、そしてもう一人は……。
「どーよ浅村。結構イケてるっしょ?」
「いや、誰か着ても一緒だろ……」
『ぐれたぬ』という、タヌキをモチーフにしたご当地ゆるキャラの着ぐるみに身を包むこととなる。俺はあまりこういった方面に明るくないので知らなかったが、昔話に出てきそうな風貌とやさぐれた目と性格のギャップでわりかし人気のあるキャラクターらしい。
遠野はガボッと着ぐるみの頭を取り外すと、Tシャツの胸元をパタパタやって服の中に空気を送り込み、その後乱れた髪を手櫛で慣らしてまとめ始めた。頭を被っていたのはそう長くない時間だったが、顔にはじわりと汗が滲んでいる。
島田さんがひょっこり顔を出してきた。
「おーいけそうだね遠野さん! ちょーっとしんどいかもしれないけど、適宜休憩も入れるから頑張ってね!」
「一回着ぐるみの中の人やってみたかったんで、楽しいです! でも、ぶっちゃけ暑いですねー……」
「まーそれは慣れしかないねー。現場によっては屋外なこともあるから、それと比べると今回は屋内イベントな分、かなりマシかな」
「うぇー、外でこれ着るのは辛いです!」
遠野はペットバトルと水をガブリガブリと大きく二口飲んだ。
「ま、頑張ってくださいな。無理はしないようにね。ところで、浅村くんの方は準備万端かな?」
「ええ、はい。いつでも行けます」
「よしきた。着ぐるみの中の人って、動きづらいし視界も悪いから、しっかり隣でサポートしてあげてね」
にっこり笑う島田さんに合わせて、頼むで、と遠野はサムズアップしてみせた。
普通に考えれば遠野か顔出しして子供の相手をし、俺が容姿を問わない役割である着ぐるみ役をやるのが適材適所なんだけども……。
「残念だったね浅村。もう少し背が低ければ着ぐるみ着れたのに」
着ぐるみ役の人間はマックス百七十センチくらいを想定身長としているが、幸か不幸か俺はそれよりも五〜六センチは背が高い。
とは言いつつも、一応試してはみた。直接口には出さないまでも遠野と俺の役割は逆がベストだと強く考えていそうな島田さんの「頑張れ頑張れいけるやれる諦めたらそこで終わりだぞ着たくないのか!?」との熱い声援を受けてなんとか身体を押し込めようと努力した(ちなみに一応言っておくと、全然着たくない)。
けれど、やはり頭上のスペース的に無理があり、かと言って中腰で身を屈めるのは、扮するキャラが凄く姿勢悪くなってしまうのと、何より俺の体への負荷が大きすぎて十分と持たなさそうだったので断念した経緯がある。本当にな、膝と腰が崩壊するかと思ったんだ。そして今なおその余波を感じている。
「じゃあお二人さん、準備は良いかな? そろそろ時間だから、よろしく頼むよ」
島田さんに声をかけられ、「よーし、じゃあ行くよ浅村」と遠野は再び着ぐるみの頭をガボッと被った。その手を引いて、(というよりは着ぐるみの手にあたる部分を掴んで)持ち場へと先導していく。
「お、おお……やっぱ結構歩きにくい……」
「大丈夫か? こけたら結構洒落にならんから、ゆっくり歩けよ。あ、子供」
「え? マジ?」
言うが早いが、遠野は子供に向かって手をぷるぷると振る。ただそれだけの所作なのに、なんだかとても愛らしく見える。きっと俺ではこうはいかなかっただろう。少なくともこの瞬発力でファンサービスはできなかったはずだ。俺が中に入ったほうが……とさっきは思っていたけど、とんだ思い上がりだったな。とにかく、遠野の足を引っ張らないようにしないといけない。




