第8話 遠野藍音はドロ甘お姉さんに溶かされたい
「遠野、どうかしたのか? なんか顔色変わったっぽいけど」
「え? あっ、いやー……。別にその、なんでも」
しどろもどろのうえに視線が左上の方にふよよよよ……と泳いで揺れている。百二十パーセント何かを誤魔化しているに違いない。こんなに分かりやすく動揺するやつもまた珍しい。
「いや、明らかに変だぞ様子が。……らぶちがどうかしたのか?」
追い討ちをかけると、遠野は少しだけ「ど、どうもしないし、別になんでもないというか……」と、言葉と音の中間くらいのものをもごもご口先でこねくり回していたが、やがて観念したようにがっくりと項垂れた。
そして待つこと暫し。ふっ、と遠野が顔を上げた。
「その……音野らぶち、だよね? 私知ってんだ」
「……何を?」
「音野らぶちが、本当は誰なのかってこと。中の人を知ってるの」
「え? …………ま、マジ?」
「うん。実は……」
「いや待て待て待って! ストップ!!」
遠野が口を開きかけたのを見て、俺は慌ててそれを制した。
「言わなくていい! と言うか、聞きたくない!」
そう……なの? と漏らす遠野。まだまだ浅いなこいつも。非顔出し活動者を推すということを分かってない。
「この人がらぶちなんだなーって分かった上で、それでも平然としてられ自信は俺にはないし、もしそれで本人に、俺がらぶちの正体を知ってるってバレでもしたら、らぶちが活動しにくくなっちゃうだろ。そんなもん本末転倒というか、応援したかったはずなのに……って感じだよ」
「あっ……なるほど……。確かにそれもそうか。浅村って意外と気が回るんだな」
意外とは余計な気がする。まあ、これは日陰物であるが故の思考回路なのかもしれない。けれど、ネットで顔を晒さず活動してる人間なんて、多かれ少なかれ皆日陰者だ。と来れば、やはりここは陰キャである俺の方が有利か。
「分かってもらえたようで何よりだよ。……じゃあ、遠野も約束してくれるか? 絶対に音野らぶちの正体を話さないって」
「……分かった。約束するよ」
いつになく神妙な顔で遠野は言った。俺の伝えたいことは伝えられたと思うし、遠野もよくよく分かってくれたみたいだ。これで多分大丈夫だろ。
カッコつけたことを言ったものの、だ。いざ推しの配信者がすぐ近くにいると分かると、自然と背筋が伸びてくるな……。ここらでいっちょ散髪でも行っとこうか。今なら行ったことのない美容室の予約もできちゃいそうだ。そんでいざ現地に向かったら、あまりのお洒落さに気後れして入店できずに仮病を使って帰宅してしまいそう。そんなことをしてはいけないので、やっぱりいつも通りの床屋に行こう。そうしよう。
ところで……さ。と、遠野がモゴモゴしながら切り出してきた。
「この……音野らぶちって、そんなに良いの? 浅村的にどこのあたりが気に入ったわけ? 私、その……やっぱ友達がやってるって思うと、中々聞いてみようと思わなくてさ。登録者数もそんなに多くないし。だからちょっと気になって」
「ん? らぶちの良いところが知りたいって? 仕方ないなあ!」
実際はかけていない眼鏡をクイッと上げながら食い気味に反応した俺に「い、いきなり何。こわ」と引き気味だが、オタクに推しの良さを語れと話を振ったのだから、こうなることは自明の理だろう。つまり遠野の自業自得ってわけ。
「一口に言えば、声だな。ウィスパー気味だけど声に清涼感があるというか。さながら草原を抜けるそよ風のような感じで、さわさわと耳をくすぐってくれるような、優しいけれど間違いなく光の空気。そのくせ喋り方はダウナー系で、話の内容も思いっきり陰、というギャップが良い。擬似ASMRみたいな感じで囁き雑談をよくやってるんだけどさ、いつまでも聞いてられそうだなーって思ってるよ」
「ふ、ふーん……。そうなんだ。へぇ~……。直接話してみると、そんな感じはしないんだけどな」
「まあ、活動者として話す時はやっぱり少し変えてたりするんじゃないか? だからプライベートの時とは違うのかも。……それより、それも中の人の情報だぞ。俺の夢を壊すな」
「あっ、ごめんごめん……! 気を付けるよ」
そうしてくれ。次はないぞ。
「でっ、でもさ。そんなに良いなら、何であんまり登録者数が伸びないんだろうね」
「まあ、そればっかりは運の要素もあるから一概には言えないけど、正直音質はそこまで良くないからな。安い機材……というわけじゃないんだろうけど、ASMRをガチでやってる他の活動者さんと比べると見落とりする感じ。……って、どうした遠野。急に項垂れて」
体調でも悪くなったか、それとも俺の話が予想を上回るつまらなさだったのか……と心配して声をかけると、遠野はパッと顔をあげて「な、なんでもない! 大丈夫! 続けて!」と不自然に明るい表情と声で言った。
「そ、そうか? じゃあ、まあ……続けるわ。えーと、どこまで言ったっけ? ……あ、そうそう。その上で、今のところらぶちのメインコンテンツは、雑談とASMRなんだけど、音質の問題でマイナスがでかいって感じ。ASMR単体で見るといまひとつだから、総じてコンテンツ力が弱いかな」
「うーん、やっぱり良い機材を揃えるしかないってこと?」
「まあASMRにおいて、そこはペイ・トゥ・ウィンみたいなところがあるから。でも、今のままでもやりようはあると思うぞ」
どんな? と遠野が目線で促してくる。
「ASMRで耳かきとかタッピングとかやってるけど、音を聴かせるってよりは、声を聴かせる方向の内容にすれば良いと思う。本人のやる気とセンス次第だけど、シチュエーションとか台本を練ったりして、ボイスメインでできるといいんじゃないかな。配信とかじゃなくって、販売サイトとかで売られてるASMRボイスが参考になると思う」
「ふ、ふーん、なるほどね……。私、あんまそういうのは買ったことないんだけど、オススメとかある?」
そう聞かれたので、俺は実際はかけてない眼鏡を高速でクイクイクイッと上げて答える。
まず『ダンジョンで助けたスライムっ娘は恩返しにぷるぷるマッサージを施したい』や『目が覚めたら異世界でした ~ご奉仕大好きエルフ達が俺の耳を奪いあっている件について~』を挙げたい。台本も練られており、プロの声優さんによる流石ハイクオリティな作品だ。目を閉じれば、ファンタジー世界のあの子が俺たちの耳を癒してくれる。
また、『あの夏の秘密基地で』はASMRでありながら、限られたセリフの数々からヒロインとの関係性やストーリーを読み取ることができる、味わい深くノスタルジックな名作だし、『社畜サラリーマン僕、隣のドロ甘お姉さんにペットとして飼われる』は年齢制限ギリギリを攻めた挑戦的な内容でありながら、お姉さんの包み込むような優しさが心に染みて思わず涙してしまいそうになる。それと他には……。
選りすぐりの逸品たちを遠野に熱くプレゼンすると、遠野はやや表情を硬くして「わ、分かった分かった。ありがと……」と軽く引きながら制してきた。何故止めるんだい? お前が始めた物語だろ。
ええいまどろっこしい、文句言うなら聴いてからにしてみろと、俺はカバンから愛用のワイヤレスイヤホンを取り出すと、スマホと接続して遠野の耳にずぼっと突っ込む。
「わっ! ちょっ、急になにすん…………あうっ!」
すいすいとスマホを操作し、「ドロ甘お姉さん」を再生し、イヤホンを通じて遠野の耳に音声を流し込んでやった。
「ほーらほらほら。どうだ気持ちいいだろう。だが本番はこれからだぞ? ん?」
手っ取り早く良さを理解してもらうため、美味しいところをかいつまんで再生していく。それに合わせ、顔を赤くした遠野がビクンビクンと身体を震わせる。
「んっ……ちょ、待っ…………はぅぅ…………!」
なんだか、とても絵面的にまずいことになってきた気がする。こんな現場を見られたら、間違いなく俺は捕まり世間に晒されバッシングを浴び、クラスの陰キャ達に惨たらしく始末されることは間違いない。
なんだか背筋が寒くなってきて、音声を停止した。
「はぁ、はぁ……! 千尋……お姉ちゃ……! …………ん?」
「ま、まあこんな感じで、商業作品も良いもんだぞ。遠野も興味ある作品があったら——」
突如現実に引き戻された遠野は、俺の説明など耳に入らない様子で素早くスマホに指を滑らせる。
「社畜……ドロ甘……ペット…………よし購入!」
お、おお……。俺としたことが、うっかり一作品を売ってしまった。気に入ってくれたのは嬉しいけど、判断がとても早いな。ひょっとしたこいつ、鬼狩りの素質があるのかもしれない。
「お買い上げありがとう」
「いや、そりゃ買うっしょ! つか買うしかないっしょ! 何あれ最高なんだけど? 脳溶けそうになったわ! 電子ドラッグってああいうやつのこと? 浅村も酷いわー。あんな中途半端に聞かされちゃ、すぐ禁断症状でちゃうし」
「それは何よりだけど、あれ結構……その、過激目な作品じゃん? お前、割と好きだよな」
「なっ……。べっ、別に、そういう作品だから好きなわけじゃないし。単純に、声と、音と、雰囲気が気に入っただけだから。変な意味じゃなくて、良いものだから買っただけって言うか、芸術鑑賞と変わらないって言うか」
口が回る回る。エロ本バレした中学生並に回る。なるほど客観的に見ると口を回せば回すほど、言葉からみるみる信憑性が失われていくのが分かる。人のふり見て我がふり直そう。
そんな様子を見ていると、遠野に対してこれまでにないくらいの親近感を感じる。暖かい目でうんうんと頷いていると、肩にどしんと手痛い一撃を食らった。腰の入った良い一撃だった。




