第7話 推しの配信者をご紹介
「こんらぶ……。へへ、今日も始めていくぞお前達。待ってたかー?」
そよ風になびく木の葉のような囁き声が俺の耳を撫でる。音野らぶちの囁き雑談が始まったのだ。
音野らぶちは、ここ三か月前くらいから活動を開始した配信者だ。メインコンテンツは囁き雑談配信と、時折行うASMR配信。
音質的には俺内ランキングに食い込むような投稿者さんと比べると正直今一つで、純粋に音を味わうには向かない。けれど、らぶちはとにかく声がいい。涼やかで繊細な声質なのに身体の芯に響くのだ。仮にこの音質を改善できたなら、ASMR配信者としては上位になるのではと個人的に目をつけている注目株だ。
らぶちの良いところは声もさることながら、話している内容とのギャップだ。あんなに可愛らしい声をしているのに、ダウナー系の喋り方のうえ結構口が悪い。そして話の節々から漏れ出る陰のオーラが、ASMRにハマる弱者男性の心を打つ。チャンネル登録者数に対して活気のあるコメント欄がその証拠だ。
「最近私、耳舐め系のASMRにガチハマりしててなー。可愛いお姉さんに耳責められんの、マジで最高だよなー。お前達も好きか? 私もやってやろうか? ……オイ誰だ今『キッツ』ってコメントした奴。名前覚えたからな」
らぶちの耳舐めか……。もちろんファンとしては聴いてみたいもんだけど、多分らぶちが所持してる機材じゃまだそこまではできないだろうな。まずはもっとチャンネル登録者を増やして収益化を目指し、機材のグレードアップから手を付けてほしいな。もっと高音質のマイクでらぶちの声が聴けるようになったら最高だ。
遠野藍音とは、表だっての交流は今まで通り皆無と言って良い状況だが、その実メッセージや、放課後の時間で少しずつ会話を重ねる仲になった。
全部裏での会話というところがミソで、相変わらず俺はクラスの陰キャどもの「遠野と交わした会話時間」マウント合戦では最弱を極めている。
この会話時間、これまでは自尊心を支えるだけの概念だったのだが、最近はその時間を売り買いして対価を得るような動きが一部の間で現れ始めている。陰キャ界隈での貨幣とも言える代物になりかけているのだ。あの女、一体どれだけの陰キャを無自覚のうちに手籠めにしてると言うんだ……。
そんな状況下なので、俺のスマホに眠る遠野とのトーク履歴はそれはもうとんでもない価値が付くものと想定されるが、残念ながら人前に出せるものでもない。故に現在の俺は、この陰キャ界隈において貧困層に属している。
まあ、今のところこの価値で得られるものなんて精々課題の答えとか、ラーメン屋のクーポンとかその程度のものだ。クーポンは少し欲しくはあるけど、課題なんて自力でできるし不要だ。周りからどう見られてるかは分からないが、俺の頭の出来は幸運なことにそこまで悪いものではない。堂前と比べりゃ足元にも及ばないくらいなんだけど。
スマホを見ると、遠野から「今日行ける?」と相変わらずシンプルなメッセージが入っていた。これはイコール放課後の呼び出し合図ということだ。
遠野はと言えば、遊びに部活の助っ人にと放課後はかなり忙しそうにしているような気がするが、大体週二で呼び出しがかかる。俺も俺で予定されているASMR配信の視聴やら、積みASMRの消化、視聴した作品のレビューで多忙なのだが、可能な限り呼び出しには応じることにしていた。
そういえば、と俺は切り出す。
「毎度毎度この教室使ってるけど、本当は文学部の部室なんだろ? のわりには、遠野以外の部員を全く見ないんだけど」
「ああ、部員は三人しかいなくて、うち一人は完全に名前だけを貸してる幽霊部員。と、私。で残る一人が本当の部員なんだけど、その子バイトもしてて。で、バイトする日はすぐに帰っちゃうんだよね。活動日は、大体週一か週二かな。その子の予定次第」
「なるほどね。部活の時間、遠野は何してんの? 小説……とかを読むタイプには見えないけど」
失礼だな、と遠野は言うと、立ち上がって教室の隅にあるキャビネットを開ける。そこには、旧作新作含めた漫画がずらりと並んでいた。
「その子がさ、色々と漫画紹介してくれるんだけど、これがめっちゃ面白くて。読んでる」
そりゃまた優雅な活動だ。
「ま、そんなことは良くて、どーだった? himariさんの『超舌技巧シリーズ』は!」
待ちきれないと言った表情の遠野。名前が出たのは、二日前に俺が遠野から教えてもらったASMR投稿者の名前だ。
ASMR動画の発掘、視聴をライフワークとしている俺だが、ASMR動画というのは大抵一本の時間が一時間を超える長編であることが多い。時間は有限である以上、視聴できる数も必然的にその枠の中に押し込められてしまう。投稿されるコンテンツの量も膨大になっている今、俺だって初見の投稿者は星の数ほどいるのだ。
そんな中で遠野からおすすめされたhimariさんの動画は……一口に言えば素晴らしかった。
安らぎを与えて……というよりは刺激を前面に押し出した作品で、むしろバキバキに目が覚めそうな仕上がりだった。超舌技巧の煽り文句は伊達ではなく、他の耳舐め動画ではお目にかかったことがないような動きを感じさせてくれる。耳奥をぞりゅぞりゅと、捻りを加えながら出し入れするパートなんて、これ一体どんな動きをしてるの? 気になってお目々ギンギンになっちゃうよぉぉ! と叫んでしまいそうになった。もしかしたら叫んでいたのかもしれない。
感想をそのまま伝えると、遠野は「そうだろそうだろ」と満足気に頷いた。
「でも、安眠するにはちょっと向かない作品だよな」
「そう? 私は気持ちよく寝れるけど」
こいつ、耳舐め耐性が強すぎる。あまり強い刺激を受けすぎると、感覚がバグってしまうぞ。
「安眠用動画っつったら、普通は俺が紹介したYukishiroさんみたいな動画を指すと思うけど」
「あー、まあそういう考えもあるね。というか、そのYukishiroさんも良かったわ。確かにあれは癒される。浅村って、ああいうのも聴くんだな」
ああいうのとは、俺が代わりに遠野に紹介した、ガラスペンでただひたすらに文字を書き連ねていく動画のことだ。話し声とかは一切なく、ごりごりと文字を書く音や紙が擦れる音、インク瓶とガラスペンが接触する音等々、環境音オンリーの作品だ。
ASMRの中には、このように声や刺激でなく、『良い音』のみにフォーカスを当てた作品もある。というより、本来的にはこういう系統の作品が本筋なのだろう。
「ま、遠野と違ってな。俺はどっちかというと寝るときはああいう動画派なんだ」
「ちょっと、それどういう意味よ」
「どういう意味っていうか……。だってお前の勧めてくる作品、どれも耳舐めとかオイルマッサージとか、吐息と水音多めなんだもの。その手のジャンルしか聴かないのかと思って」
「ばっ……! んな訳ないでしょ! たまたま!」
ふくれっ面の遠野だが、別に俺は貶そうと思っていた訳じゃない。あと恐らくたまたまってのは嘘だ。耳を赤くしてこの手の態度を取るときは、遠野が何かを誤魔化している時のサインだ。こいつ分かりやすすぎる。
「や、別に悪いことじゃないと思うぞ。だってお前の勧めてくる作品、どれも最高だもん。さすが、ASMRという特定のジャンルの中でも、さらに狭い分野を聴き込んでるだけある」
この一分野については、俺の知識量と聴き込みを遠野のそれが上回っていると、短い付き合いの中でもはっきり感じていた。
そ、そう……? と遠野は耳を揉む。その表情は……、うん。満更でも無さそうだ。誤解が解けたようで良かった。
「浅村はとにかく、広く詳しいよな。どうやって良い動画探してんの?」
「どうやってと聞かれてもな……。新着動画とか、関連動画とか、とにかく手当たり次第に聴いてみてるだけだから。……あ、それと」
それと? と遠野が目線で先を促してくる。
「活動者の人って、大抵SNSも運用してるだろ? そこでASMRという単語に『初』とか『新人』とかを添えて検索すると、最近活動開始したばかりのASMR投稿者さんに巡り会えるってわけだ」
「へ、へえ~……。それで、見つけたらどうしてるの?」
「まずはとりあえず聴いてみる。そんで、この人は伸びる可能性ありと思ったら、チャンネル登録したりコメントでタイムスタンプを作ったり、SNSで宣伝したりして応援するわけだな。上手く収益化まで繋げられれば、そのお金でより良い機材を買ってもらう。すると、俺たちはより良い品質の作品を楽しむことができる……というわけだ」
未来で大きな実を詰むための、いわば先行投資というやつだな。上手くことが運んで、投稿者が有名になってくれた時は、嬉しさ半分寂しさ半分……。なんとも言えない感慨に浸ることができる。
つらつらとそのやりがいを述べてみるが、遠野の反応は「へ、へぇ~……」と、どうにも食い付きが良くない。ちょ、ちょっと語り過ぎてしまったかも? 引かれた?
「と、ところで……さ。最近、浅村的にアツい新人さんとか、いるの? 私も、興味あるわー」
なんだか探りを入れてくるような口調だな。まあ、いいか。最近の俺的有望株と言えば、やっぱり……。
この人かな、と音野らぶちのチャンネル画面を表示して遠野に見せる。
……気のせいじゃなければだが。今画面を見た時、遠野の口から「げっ」と声が漏れた気がする。一体どうしたというのだろうか。




