第3話 秘密の交流、スタート
連絡先を交換して「色々教えてよ!」と言われたものの……。まあどうせ社交辞令なんだろ? どうせ、そこからやり取りをすることはなくって、俺だけが「め、メッセージ来るかな……。まだかな……。お、俺から送ってみてもいいのかな……」とそわそわして、待てど暮らせど一通のメッセージも表示されない会話画面を毎日開いたり閉じたりする羽目になるんだろ? と、半ば自分を慰めるように考えていたが、そんな俺の懸念をよそに遠野からのメッセージは当日に来た。
風呂に入って部屋に戻り、机に放ってあったスマホの画面に「あいね」からのメッセージ通知が来ているのを見て、俺の肝が少しだけ飛び跳ねた。お、おおお落ち着け俺。冷静に、クールに対応しろろろ。
遠野から送られてきたメッセージは実にシンプルだった。
「今日はごめん」
「別にいいよ」
「寝るときにおすすめの動画教えて」
「いきなりだな」
てへぺろ、とスタンプ。
俺は椅子に座って一拍考える。ただ単におすすめと言われてもな……。実に雑な注文だ。「好みが分からないとなんとも言えない」と返そうとしたけど、下手にあれこれ聞くのも面倒くさいか。
俺内月刊ランキング最上位の耳かき動画を二つペタペタとメッセージに貼る。
「いい塩梅に囁いてくれるのがいいならコレ」
「純粋に音だけ楽しみたいならコレ」
「おっけー聞いてみる!」
こういう時にスタンプを貼るのかもしれないが、無課金陰キャたる俺は誰も使ってないような初期ラインナップしか持っていないので、少し迷って「おう」とだけ返した。
既読がつくが、それ以降遠野からの返信はない。ふうと一息ついて、スマホをベッドに放った。
思いもよらぬ交友ができたのは素直に嬉しいことだけど、いかんせん慣れていないので少し疲れた。こんな時こそ優しいASMR動画で心を癒さなくっちゃ! さて、予定通り今日は音野らぶちの配信を……と思ったけど、予定日が変わってる?
おかしいな? とチャンネルのお知らせ欄を確認すると、『今日体調不良につき配信延期で! お前らすまん!』とのことだった。少しがっくりしたが、彼女たちの身体が最も重要なのは疑う余地もない。ゆっくりと休んで、身体を労わってほしいな。
じゃあ、代わりと言っては失礼かもだけど、Momiさんの『お姉さんが徹底的に甘やかす頭撫で&ポンポン』を聴くとしようか。Momi姉ちゃん、俺、疲れたよぅ……。
春の陽気も過ぎ去り、気温もさることながら湿度が徐々に上がり始めてきた。朝の時間とはいえ、何もしなくても背中にじっとりと発汗の波を感じる。もうすぐ梅雨の時期。チャリ通勢の俺にとっては辛い時期だ。雨が降るとバスと電車を乗り継いで行かねばならないのだけれど、これが中々に面倒なのだ。
汗ばんだ体に、チャリで切る風が心地よい。シャカシャカと漕いでいたほうが快適なので、ペダルを踏む足にも調子が出てくる。
そして、俺の足を軽くしている要因は他にもあった。
「めっちゃいいじゃん!」
朝に入っていた、遠野からの短いメッセージだ。
相手の好みを外さずにおすすめできたという安心も勿論あるのだが、何より自分の好きなものを相手も好きになってくれたということが、思いがけず嬉しかった。自分の「好き」が受け入れられ広まっていくのは心の充足感がある。なるほど布教勢の気持ちも分かるなと思った。当然お世辞かもしれないけど、それでも今のこの喜びは嘘ではない。
普段の通学時間を三分ほど短縮して正門を通過して自転車置き場に愛車を置くと、いつものように両耳にイヤホンをはめる。教室までのわずかな移動時間でも俺は無駄にしない。風波ゆらん『ブラコン気味な妹が仕事に行きたくない俺を応援してくれる』で、一日のエネルギーをチャージだ。
お兄ちゃん、朝だよ。お仕事つらいの? でも、頑張ってるお兄ちゃん、カッコいいよ! とゆらんちゃんの励ましを受けながら玄関へと歩を進めるが、後ろから背中をバンッと叩かれて中断した。いってーなオイ。誰だァ? 俺とゆらんの大切な時間を邪魔する不届き者はよォ……!
じろりと振り返ると、満面の笑みを浮かべた遠野がそこにいた。
「めっちゃいいじゃん!」
「そ、それはメッセージで聞いたぞ」
「あはは。いいじゃんか。直接言いたくてさ。……それよりごめん、なんか聞いてた?」
「え? ああ、まあ聞いてたけど……。大丈夫」
下手人が遠野だと分かると、不思議と急激に怒りも冷めてきた。相手によっては俺これブチ切れてた。相手によって態度を変える俺、かっこ悪い。ゆらんのお兄ちゃんとして恥ずかしい。
しみじみと内省していると、遠野がすっと俺の耳元に顔を寄せて来た。
「何聞いてたの?」
これまでの人生で味わったことが無い距離で女子の顔面を直視した俺の身体は、反射的にその場から飛び退いてしまった。遠野と言えば、「何その反応? 受ける~」と悪戯っぽく笑っている。
こ、こいつ……悪魔か? 俺みたいなサア! 日陰者にサア! そんな真似したらサア! もうどうなっちまっても文句は言えねえゾ!
そう言い返してやろうと口を開いたが、後ろから投げかけられた「藍音ー!」という声を聞き、喉元で声を押し留めた。女子のブレザーが俺の脇をすり抜けて、振り返るか振り返らないかの遠野に飛びついた。
「あ、柚希。おはよー」
「ねえ聞いてよマジでー! 今日朝から最悪でさー!」
「あんたの最悪は毎日を更新されるよね……。で? 今日は何があったのよ」
それがさ……と言いかけて、松山柚希は俺の存在に気が付いたようだ。
「あれ、誰? ごめん話途中だった?」
い、一応、同じ教室で一か月授業を受けていたんですけどね……。
「ゆ、柚希。浅村だよ、同じクラスでしょ?」
「げ、マジ? あー……ごめんごめん。あたし、人の名前覚えるのが苦手でさー」
たはは、と松山はショートカットのくせ毛をくしくしとかく。
「い、いや、大丈夫。俺の存在感が薄いのが原因だから」
「あはは、何それウケるね。あ、ごめんそれでね藍音。実はさ……」
流れるように松山は俺との会話を打ち切る。おそろしく速い切り替え……俺でなきゃ見逃しちゃうね。
でもまあ……これが普通だ。遠野が少し外れ値なだけで、大抵はこんなもんなんだ。それを忘れて、勘違いしてはいけない。
そうこうしているうちに、遠野の周りにはまるで引き寄せられるように人が集まってくる。「よう、遠野、松山」「まーた松山が何かやらかしたって? どしたん、話聞こか?」「は? うざ」と、決して俺が混ざることのない会話が展開されていく。
ひときわ目を引くようになった一団の中心に遠野がいる。皆と連れだって玄関へ向かう時、遠野はちらりと俺を見て申し訳なさそうな顔を浮かべた。俺は右手を上げてそれを制すると、再びイヤホンを取り出して耳に突っ込む。ゆらんが変わらずに俺のことを励まし続けてくれる。ゆらん……お兄ちゃん、今日も頑張るよ……。
ちょっぴりおセンチな気持ちで教室に向かうと、数少ない友人である堂前が俺に気づいて天パを揺らしながら声をかけてくれる。
「おお、浅村氏。今日も勤しんでますな」
「勤しんでるってなんだよ」
聴いてるんでしょ? と堂前は耳を指差してフハハと笑った。すらりとした長い手足と身長、それと牛乳瓶の底のようなどぎつい眼鏡がアンバランスな奴だ。ワイシャツの下にインナー代わりに着ているTシャツには、往年の名作深夜アニメ「らぶ☆ぱん」のメインキャラである月ノ瀬あかりがデカデカとプリントされていることを俺は知っている。チラッと空いた胸元から、彼女の特徴であるアホ毛が見えている。
口調といい趣味嗜好といい、絵に描いたようなステレオタイプのオタクだが、推しへの愛を前面に出すその生きざまは、人目を忍んでこそこそASMRを聴いている俺にとっては眩しく映るものだ。
「どうですかな? 今日はどなたを味わっているので?」
「波風ゆらんちゃんだ。最近一押しでさ。堂前も、妹ものに興味が出たら、どうだ?」
「ううむ……。浅村氏珠玉の逸品であれば、品質に間違いはないのでしょうが……。私、宗教上の理由で妹だけは……」
「なんだ? また妹に邪険にされたのか?」
いつものように堂前をからかう。
この堂前には双子の妹がいるのだが、やはりフィクションと現実は違うようで、家庭での堂前の立場は中々に苦しいものらしい。ちなみに月ノ瀬あかりは、主人公の幼馴染である月ノ瀬しずくの姉で、大学二年生のお姉さんだ。堂前は彼女を女神と呼び崇めている。その入れ込みようと言ったら、狂信者と呼んでも差し支えないくらいだ。
堂前と互いの推しについてひそやかに意見交換していると、ふと視界の隅に遠野藍音の姿を捉えた。どうも一瞬目があったような気がするんだけど、視線を向けてみると、遠野は松山達と談笑中だった。まあ、気のせいかな。




