第23話 ぶっちゃけの対話
遠野が言う「いつもの場所」とは、無論文芸部室のことに他ならない。もうあの部屋にはあまり足を踏み入れることもないと考えたこともあったが、恥ずかしながら前言撤回と相成った。
相変わらず微妙に建付けの悪い引き戸をがらりと開けると、初めてこの部屋に足を踏み入れた時のように、遠野が窓際に腰掛けてパックのレモンティーを飲んでいた。俺の姿を認めると「よっ」と手を挙げる。
「時間くれって言った癖に待たせるなんて何事だ」
「わ、悪かったって。ここまで来るのに結構苦労してよ」
苦労? と遠野が首を傾げる。言葉通りの意味です。
放課後、立ち上がり教室を出ようとする俺を好機の視線が射すくめた。少し嫌な予感がして、少し歩いたのち後方の様子を伺うと、明らかに数名が俺の後をつけているようだった。このまま俺と遠野の密会場所を暴こうというつもりか、はたまた人影がいなくなった所を狙って俺をさらい亡き者にしようとしているのかは分からなかったが、良い目的である訳がない。
というわけで俺は真っ直ぐこの教室には向かわず、一度校舎外に出て愛用の自転車に跨り、近隣をひたすら駆け巡った末にまたここに戻ってくるというクソ面倒な手段を取らざるを得なかった。
まあ色々あるんだよ、と遠野に言うと、興味なさそうに「ふーん」と気のない声が返ってきた。なんだか気のない返答だけど、ぶっちゃけ原因はお前だからな。
「ま、いいや。……で、何の用よ?」
ここに呼びつけたのは遠野だが、そもそも時間をくれと言ったのは俺だ。遠野に対して、何をどう聞くのか。俺が何かを明らかにしたいと思っているのかは、ここまでの時間で整理してきたつもりだ。
スッと一呼吸して、俺は口を開く。
「今の遠野とらぶち……どっちが本当のお前?」
「やっぱり、そういうことだよね……」
頭の中で考えてきた言葉を、可能な限り淀みなく言う。感情を極力廃し、ニュース原稿を読み上げるように伝えたのは、途中で躊躇してしまうのを避けたいと思ったから。
「遠野がらぶちだと知った時、正直俺は……騙された! って思ったんだ。どっちかは嘘の姿なんだなと思って。けど、そんなのあまりにも自分勝手なことだから言えなかった」
でも、と区切って続ける。このまま一気に言いたいことは言い終えてしまいたい。
「考えれば考えるほど、普段見る遠野の姿にも、配信で見る音野らぶちの姿にも嘘の気配が感じられなくて……。それで、もう分からんくなって、今だ。本当にすまん、全部俺の身勝手な考えだ。でも、ここを確認しないと俺は前に進めなさそうなんだ。だから頼む、教えてくれ」
遠野に向けて、ほとんど直角に頭を下げた。
「ちょちょ、頭なんか下げなくていいってマジで。つーか角度やば。つむじが丸見えだよ」
「つむじまでつまびらかにすることが、俺の誠意だ」
なんじゃそら、と言ったのち、遠野は一度口を固く結ぶと、一呼吸置いてから話しだした。
「どっちも本当だよ、嘘をついてるつもりはない。けどまあ、どっちかと言うのなら、らぶちの方が私の素……なのかも」
「……意外だな。正直、全然違うと思ってた」
「そうかな? いや、そう……だね」
んー、と遠野は少し迷って口を開く。
「お母さんが早くに死んじゃって、お父さんと兄貴達に育てられたって話はしたことあったよね?」
いつぞや、愛知と知り合ったタイミングで聞いた話だな。まずいことを聞いてしまったと思ったもんだ。
「だからなのか私、我ながら結構趣味が男っぽくてさ。特に二番目の兄貴の影響で、小学生の頃は本当に、まあその、漫画の中のオタク女子そのまんまって感じだったよ。自分のこと、俺って言ってたし、めっちゃ根暗だった。あの時の同級生が今の私を見たら……まあ、結構びっくりするんじゃないかな」
「へえ、それは……意外だな」
「趣味が趣味だったから。女子からはぶっちゃけ馬鹿にされてたし。でも、それじゃだめだ! と思って。このままじゃ家族に心配かけるだけだな! と。そんでさ」
遠野はボリュームのある明るい巻き髪を、高飛車な令嬢のように演技めかしてかきあげた。
「まず髪を染めて、巻いたね。そんでネイルもして、おしゃれを必死に覚えたよ。それまで少年漫画とかゲームにしか触れてこなかったんだけどさ。少女漫画も読み込んで……読むと結構面白いんだよねこれが。で、好きな主人公の真似なんかして。段々と自分が明るくなってくのが分かると楽しくなってきて、どんどんこだわり出して。それで、出来上がったのが今の私ってわけ」
どうよ? と言って、遠野はくるりとターンを決めて見せる。お見事、と返した。冗談の色も含めていたが、実際拍手もんに綺麗なターンだったのだ。
「だから、今のこの私も本物。頑張って手に入れた、自慢の私。ぶっちゃけ私、可愛いっしょ?」
「まあ、皆そう言ってるしな。その通りなんだと思う」
遠野は少し頬を膨らませながら「こういう時は、”皆”じゃなくって”俺は”で答えるべきだと思うけどな」とブツブツ言った。それは俺もなんとなく分かってたけど、許せ。気恥ずかしくて、第三者というふわっとした存在に頼らざるを得なかったんだ。
「でも、と言ってもらぶちの時は、多少は演技してるよな」
「まあ、分かりやすく陰キャの女の子って感じだから、そういう意味では音野らぶちは間違いなくフィクションだね。昔の私のまま大きくなったら、こんな感じになってたのかな? って感じ」
でもさ、と逆説の接続詞が挟まれる。
「時々、色々と面倒になるときがあるんだよね。人間関係とか諸々。なるべく自然体の自分のままでいたいって思ってるけど、それでもやっぱその、隠しておかなきゃいけないことってのもあるし。ASMRのこととか。好きなものなのに、隠さなきゃいけないことが辛くて。こんなので本当に好きって言っていいのかな? とか思ったりで。そういうのを、音野らぶちの配信に込めて出してたつもり。らぶちの方が素って言ったのは、そういう意味」
それを聞いてしまえば、何のことではなかった。松山柚希が天然な雰囲気に反して、実は周囲の人物のことを的確に捉え考えていたり、堂前仁悟がストロングスタイルのオタクであるくせに、モデル並みに整った容姿を持っていたり。今のところ俺自身にはそういうところを見出すことはできていないが、人間には二面性というものがある。明るく人当たりがよく誰からも好かれる人気者である遠野藍音が、音野らぶちというまた別のキャラクターを抱えていたのも、つまりはそういうことだった。
ただそれだけのことだったのに、どうにも受け入れがたいと思ってしまったのは、偏に俺の未熟さと、あと……そうだな。それだけ俺が二人に入れ込んでいたということなのだろう。こんな当たり前のことにも気が付かなくなってしまうくらい。
俺は深く二度頷くと、遠野に礼を言う。
「その……遠野。ありがとうな、こんなこと話してくれて」
「いや本当だって。普通なら絶対誰にも言わないよ? 浅村がガチのASMR好きで、らぶちのファンだったから言ってんだよ」
「ありがとよ本当に。俺の身勝手なお願いを聞いてくれてさ」
遠野は少し顔を赤くして、両手をぶんぶんと振る。
「いいって。あんまり何度もありがとうって言われると恥ずかしくなってくるからやめてよ。それより……さ。これからも、よろしくね。こっちの方でも……らぶちの、方も」
「え? あー…………」
言い淀んだのを誤魔化すように、頭をカシカシとかいた。
「実は……解除、しちゃって。チャンネル登録」
遠野はええっ!? と叫ぶと、血相を変えて掴みかかってきた。
「ちょっ! 解除って、どういうことよ!」
「い、いや、言葉通りの……意味で……! ちょっと……揺さぶらないで……! あと……近い……!」
「それはごめんけど! でも、なんで解除なんか? 推してくれてたんじゃなかったの?」
「いや、そうなんだけど。でもやっぱ、中の人が知り合いだって分かるとお互い気まずいかなって。あと、どうしても遠野の顔が浮かんできちゃうから、配信聴くにも聞きにくくなっちゃったって言うか……!」
「仮に配信を見なくなったとしても、チャンネル登録解除する必要はないじゃん! 私みたいな底辺配信者にとっては、一人のマイナスでも死活問題なんだよ!」
なんで! どうして! のリズムでぐわんぐわんと揺さぶられ、なんだか酔いかけてきた俺の頭を覚ましたのは、入り口扉から聞こえたガタッ、という物音だった。
俺と遠野はぎくりと身を固める。ちょっと騒ぎすぎたので、うるさいと苦情が入りかけていたのではと思ったが、扉が開く様子はない。
遠野と顔を見合わせると、声を出さずに「俺が様子を見てくる」という意を目配せとジェスチャーで伝え、ゆっくりと扉の方へと向かう。
そっと扉に耳を寄せる。物音は何も聞こえない。
ええい、と一気に扉を開け放つが、目の前には誰もいない廊下が広がっているだけだった。教室を出て左右を見回しても、人がいる気配はなかった。
誰もいない? と聞く遠野に頷きで返すが、「誰かがドアにぶつかっただけかもね」という見解には簡単に同意できなかった。
この教室棟は、普段誰かが立ち入る場所ではない。そしてこの教室の奥には、もう一つ使われていない部屋と、屋上へ繋がる階段があるのみ。しかし、そのいずれも最終的には鍵付きの扉に行き着くのだ。
この棟の、この教室の前までやって来た時点で、目的地は十中八九ここだ。
ざわり、と少しだけ胸の奥で不安の芽が揺れた音がしたように感じた。




