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脳が溶けるほど大好きなんだ ~クラスの1軍女子は耳舐めASMRを愛しています~  作者: 荒矢田妄


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第21話 別れを告げる

 自覚して、驚いた。そして、自分を強く嫌悪した。

 だって、遠野もらぶちも俺に対して一切の悪意も持っていないし、危害を加えられたわけでもないのだ。二人は何もしていない。それなのに、そんな二人に対して恨み言を吐くなんて。どれだけ自分本位なのだろう。そして、なるほど俺はこの汚い思いを直視するのが怖かっただけなのかと理解した。


 さらに思い返してみれば、遠野は「らぶちの正体を知っている」と言っただけで、自分以外の誰かであると言ったわけじゃない。更に言えば、その先を言うなと封じたのは他ならぬ俺自身だ。なんだ、どこまで行っても遠野に非はないじゃないか。俺が一人で勝手に盛り上がって、勝手に裏切られたような気持ちになってるだけじゃないか。バカなのか俺は?


 しかし、なんとなくの「怖い」ではなく、その裏に潜む元凶の想いをついに自覚してしまった今、このまま見なかったことにはできない。たとえ遠野との交流がここで潰えようとも、確認しておかなければならない。

 俺は努めていつも通りの表情で向き直った。


「そういえばさ……」


 ちょいちょいと手招きするポーズを見せて口元に手を添える。いわゆる、内緒話をする時のポーズだ。遠野はそんな俺の様子を見て「ん?」と一瞬首をかしげるが、思惑通り顔を近くに寄せてきた。少し心臓が飛び上がるのを感じたが、今の目的は別に遠野を至近距離で観察するためではない。……いや別に、そんな目的を持ったことなんて一度もないんだけどね?

 俺は囁き声で遠野に話しかける。


「そういえばさ、愛知の描いた漫画って、他にもあるの?」


「奏の作品? もちろんあるよ。他の作品もすげーいいよ。まあ、奏が読ませてくれるかは分からないけど……」


 そよ風になびく木の葉のような囁き声を聴いた瞬間、俺は自分の感覚が正しかったことを悟ってしまった。


 いかにも内緒話といったポーズで、相手から囁き声で話しかけられた時、人間心理的に、大抵の人が自分自身も同じく囁き声で返答してしまうだろう。話の内容自体が、大っぴらにしたくないようなものであれば尚更だ。

 俺の目的は、遠野藍音の囁き声を聴くことだったのだ。そして、狙い通りその目的は達した。


「やっぱりそうか。遠野、お前がらぶちだったんだな」


 え……? と遠野は目を丸くしたが、すぐに「あ!」と言って口元に手を当てた。「やっちまった!」という表情だ。返答はなくとも、その反応が答えを雄弁に物語っている。

 遠野の囁き声は、音野らぶちの配信で聴くそれと、全く同じと言ってよかった。


「ご、ごめ……私……別に、そんな、つもりじゃ……」


 手を震わせながら言葉を詰まらせる遠野を俺は手で制する。ここは勘違いしてほしくないのだけど、俺は別に遠野を責め立てようなんて思っていない。「騙したな!」などと思うのは、俺自身の勝手な思い込みと期待と失望によるものであって、その責は遠野にはない。ただ単に、俺が愚かで自分勝手なだけの話だ。


「いや、いい。分かってる。口止めしたのは俺だし、遠野は悪くない。ただ、確認したかっただけなんだ。騙し討ちみたいなことして、悪かった」


 そう、これは確認だ。そしてそれが分かった今、俺のやることはもう決まっていた。


「今の調子で続けていけば、もっと沢山のファンが増えると思うぞ。数多のASMR配信者を見てきた俺が保証する。……じゃあ、頑張れよ」


 手をひらりと振り、俺は遠野に背を向けて歩き出す。「あ、ちょっと!」と遠野が言いかけた声は、「藍音ー!」という明るい呼び声にかき消された。直前に、遠野の後ろから、ちょうど松山がこちらに向かって駆けてくる姿を捉えていた。


 歩きながら、俺はスマホを取り出してぽちぽちと画面を操作し、音野らぶちのチャンネルページを表示させた。

 らぶちが記載したチャンネル概要の下に、「登録済み」というボタンが踊っている。俺がらぶちという配信者を推しているという一つの証拠だ。

 そのボタンをタップすると展開されるいくつかのメニューの中に、「チャンネル登録を解除する」という文字があった。


 一瞬だけ、躊躇した。けれど俺の腹はもう決まっている。震える指をその文字に合わせると、そこからは躊躇なくタップした。

 先ほどまで「登録済み」だったはずのボタンが、「チャンネル登録」と変わったのをゆっくり確認すると、俺はふーっと息を吐き、スマホをポケットに閉まった。


 たった今、音野らぶちのチャンネル登録を、俺は解除した。




「浅村氏、つかぬ事を伺いますが……。何か、あったのですかな?」


 ペール缶の中で燃えるようなオレンジ色を作成しながら堂前が問うてくる。応援看板におけるメインの面となるベニヤ板に載せるための色で、我々橙軍にとってのメインカラーともなる。大量のペンキを要するため、事前に山盛りで作る作業の最中だった。


 今年の橙軍のテーマは「鳳凰」に決まった。藤木先輩と堂前が中心となり、今にも飛び立たんとする勇ましくも美しいデザインに仕立て上げた。その出来栄えといったら美術館に飾られても違和感ないくらいで、それ故に看板作成班のモチベーションは高かった。

 色についてはもちろん既製品を使ったって良いのだが、「それでは微妙なイメージの表現が……」と堂前が呟いたことで、大方の色を自分たちで調合する運びとなった。


 流石にこの点については労力の問題から難色を示すメンバーもおり、それ故に堂前も迷っている様子だったが、俺と藤木先輩の後押しと、そもそもの高いメンバーのやる気が合わさり、実行ということで決定している。

 作り上げたイメージ図は、細部はラフであるものの素晴らしい出来栄えで、これが大看板になるのを個人的にも楽しみにしていた。だからこそ、堂前に妥協してほしくなかったのだ。


 そんなわけで、背中を押した責任を全身全霊で果たすべく、俺も堂前が調合した紺に近い紫色のインクをひたすらかき混ぜているところだ。

 ペンキの粘土が高いため、混ぜるヘラが異様に重たい。腕に乳酸がパンパンに溜まっている。中々の重労働だが、技量もアイデアでも貢献できない俺が提供できるのは自分の肉体くらいなので出し惜しみはナシだ。もう、これで終わってもいい。だから、ありったけを。

 額に浮いた汗を拭って、少し間が空いたが堂前の問いに答える。


「何かって……なんだよ?」


「失敬、流石に問いが抽象的すぎましたな。ええとですね、私の勘違いでしたら大変申し訳ないのですが、遠野氏と、何かありましたかな?」


 問われた俺は、ぎくりと身を硬くした。その反応を、堂前は目ざとく見ていたらしい。


「やはり、そうでしたか……」


「な、なんでもねえよ。勘違いだ。堂前が急に変なこと言うから、意図はなんなのかと戸惑っただけ」


「ふむ、なるほど……。しかしですぞ。恐れながら私の所見を述べさせてもらうますと、ここ数日でお二人の会話量はガクンと減っております。と、同時にですが……失礼ながら浅村氏。気持ちが沈んでいるように見受けられます。遠野氏も同様です。それ故に、何があったのか? と尋ねた次第でして」


 遠野が顔に出やすいのはなんとなく分かっていたが、俺もそんなに分かりやすかったのか……? いやここは堂前の観察眼が特別優れているためだと主張したい。


「俺も遠野も体育祭で役割があるし、忙しくて単に時間が合わないだけだと思うぞ。あと、遠野はどうか知らないけど、もし俺の顔が暗く見えたんだとすれば、それは、推しが活動休止したからかな」


「そう……ですか。なるほど、それはお辛いでしょうな。心中お察しします」


 その後は特にお互い口を開くこともなく、「よーし! 今日の作業はここまで!」と藤木さんが号令をかけるまで黙々と作業を続けた。

 作ったペンキが入っているペール缶に、空気が入らないようしっかりと蓋をする。あとはこれを所定の保管場所まで運不必要があるのだが、橙軍の看板係は俺と堂前以外全員女子なので、必然的に力仕事はこっちに回ってくる。


「缶運ぶのは俺がやるから、堂前はこの辺の掃除を頼む」


「いえいえ、一人で持ち切れる物量ではありませんぞ。私も共に参ります」


「二往復頑張れば多分行けるって。それに、俺が役に立てるポイントなんてこのくらいなんだし」


 堂前は虚をつかれたように一瞬真顔になったが、すぐに笑ってペール缶を持ち上げた。


「浅村氏の価値は、浅村氏が一番分かっておられないのですな。まあそれが長所でもあるのですが。さあ行きましょう。……なかなか、重いですな。早く済ませてしまいましょう」


 よたよたした足取りで歩き出す堂前を俺は慌てて追いかける。といってもサクッと移動とはいかない重量だ。マジで重たいなこれ……。


 フゥフゥ言いながらペール缶を運搬している道すがら、応援団のメンバー達が歩いてくるのが見えた。向こうも向こうで練習した帰りのようだ。向こうの一団の中にいた松山が、一番初めに俺達に気がついた。


「あ、堂前ー! と、浅村じゃん。どしたのー?」


 堂前と比べて俺の名前が出てくるのがいささか遅かったような気がしないでもないが、まあ気にしないでおく。


「おや、奇遇ですな。我々も本日の作業を終え、ペンキを返しにいくところでして」


「ええ〜? 毎回それ運ぶの? きっつー」


「ちゃんと保管しておかないと固まっちゃうからな。特に俺達は、堂前先生のこだわりで自分たちで色を作ってるから、なおさら死活問題だよ」


「え、マジで? ヤバくね? ウケるわーマジ効率悪い」


 相変わらず人を小馬鹿にするようなことを言う羽咋が割り込んでくる。その後ろに、どうやら三年生と談笑している様子の遠野が見えた。

 まあ見とけよ凄いからと羽咋に食ってかかる間も、遠野は不自然なくらいにこちらに気がつく様子がなかった。俺の気にしすぎだろうか?

 

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