第19話 再びの疑念
「……以上が、看板作成におけるレギュレーションとなります。何か質問ある方いらっしゃいますか?」
俺が所属するクラスの委員長かつ、体育祭実行委員の小林が教壇に立つ。この日は体育祭における看板作成係への全体説明会があり、レギュレーションやスケジュール感、当日までに必要な準備事項が一通り説明された。
「はい、じゃあ特になしということで。まずは所定の日までに、各軍デザイン案を実行委員会まで提出するようお願いします。また繰り返しですが、締め切りに遅れればそれだけ最終得点から減点されていきますのでご注意ください。では解散! ありがとうございました」
小林がぺこりと頭を下げると、説明を聞いていた一同は席から続々と立ち上がりはじめ、教室内は椅子を引くガタガタというやかましい音で一杯になった。
この後はまた別の教室に分かれ、各軍の看板製作係での顔合わせ+デザイン検討会が行われる。三年生のリーダーが「青軍は三年四組教室でー!」「黒軍は三組集合お願いしまーす!」とそれぞれ声を張る。ちなみに俺は橙軍だ。
「いよいよですな浅村氏。精一杯力を尽くしましょうぞ」
隣で堂前がやる気満々という面持ちで声をかけてくる。俺にできることは堂前がやりやすいようにサポートするだけだ。成り行きとはいえ、やれるだけのことはやろう。
自分たちの集合場所に向かうため、堂前と連れだって教室出口へ向かうと。
「あっ、浅村君」
「うおっ、愛知か」
文学部部長の愛知奏とばったり出くわした。
俺の推し配信者、音野らぶちの正体が愛知なのでは? という疑念が俺の中に生まれてからは、可能な限り彼女との接触は避けるべきだと考えていた。そんな中にの予期せぬ邂逅に、ぶっちゃけて言うとネガティブな反応が出てしまったのだが、愛知も愛知で恐らく陰の世界に生きる者なので、幸い気づいてはいないようだ。俺たちという生き物は、「あっ」とか「えっ」とかいう枕言葉が無いと喋りだせない習性があるからなあ……。
「浅村君……も、看板係だったんだね。全然気づかなかった」
「そっちこそ。……って、当然といえば当然か」
あの画力を持っているのであれば、この係は適任も適任だろう。また、こうして係を拝命している事実を鑑みるに、愛知はその趣味をオープンにはしていないまでも、そのスキルは皆の知るところとなっているらしい。評価されるべき才能だと思うので、個人的にはひっそりと喜ばしいところだ。
「浅村君も、絵描ける人なの?」
「あ、いや。俺は全然だ。うちはこの堂前先生が中心なので」
ここまで静観していた堂前だが、俺の紹介を待っていたようにぬっと前に出てきた。
「お初にお目にかかりますな。浅村氏の学友で、堂前と申します。以後お見知りおきを」
「堂前……堂前って、あの? 去年、一年生にして白軍の看板をメインで仕上げたっていう?」
「どのような噂が立っているのかは存じ上げませんが、確かに私は昨年白軍でしたな」
ひ、ひぇ~と愛知は声にならない声をあげる。
「し、白軍の去年の看板、私も覚えてるよ。あれ本当に凄かった。これを描いたのが、自分と同い年だって知った時は正直嫉妬もんだったな」
「いえいえそんなことは。恐縮です」
「でも、なんだか噂になってたイメージとは違うな。聞いてた話だと、切れ長の瞳が眩しい超美男子、人呼んで画板上の貴公子……だったらしいけど」
随分大層な通り名だが、そうなった経緯はなんとなく予想がつく。制作の過程で俺はからかい半分で堂前を小突く。
「だってよ、貴公子」
「う、ううむ……。どうやらかなり仰々しい噂話が立っているようですな。恐らく何かの勘違いか、変な尾ひれがついてしまっているのでしょう。現実とは程遠い話ですが」
やれやれ、と堂前は首を横に振るが、その話が勘違いでないことは俺にも分かる。今年ももう少しすれば、噂の貴公子が姿を現すことだろう。
集合にあんまり遅くなってもまずいし、そろそろ行こうぜと俺は二人を促す。言葉通りの理由が半分。もう半分は、なるべく早く愛知との会話を切り上げたかったからだ。
そうですな、ではまた。と堂前。愛知に軽く手を振って目的の教室へ歩を進めようとしたが。
「あっ、ちょ、ちょっと待って……」
思いがけずシャツの裾を引かれ、愛知に呼び止められた。
「うおっ、えっ? ……ど、どした?」
「あ、いやその……。ええと」
愛知は一瞬ためらうと、少し顔を寄せて。
「文学部、興味ない?」
と囁いてきた。それを聞いた瞬間、俺の内臓がぐわり、と不可解な持ち上がり方をしたのを感じた。
「うち、部活認定される人数的にギリでさ。知り合ったのも何かの縁だし、もしだったら名前だけでも……と思って」
話の内容としては、要は勧誘だった。部員数が規定人数に満たなければ、その部は部活として認定されなくなる。そうなれば予算もつかなくなるし、何より活動場所を奪われてしまう。恐らく後者の点が愛知にとって死活問題なのだろう。そういえば遠野も名前を貸すくらいの気持ちで入部したって言ってたな……。
「や、べ別に嫌ならいいんだけど! 本当に、もし良ければ程度で……!」
「いや、名前くらいなら、まあ……いいんだけど。でもマジで全然活動とかは参加できないと思うんだよな。それでも大丈夫か? 生徒会から、監査とか入らないか?」
うーん、そう言われるとあまり良くはない……ような気が、しないでもない……と考え込む愛知。
「まあ、猫の手も借りたいくらいにどうしようもなくなったら入部届送ってくれ。お互いそろそろ行かないとまずいだろ? じゃ、またな」
「あっ、そうだった。ごめん、どうでも良いことで呼び止めて。また」
パタパタッと愛知は俺の目的地とは反対方向に駆けていく。俺も振り返り、少しやきもきしながら待っている堂前に「悪い」と謝罪をして、集合場所となる教室へ急いだ。
「今年も堂前君と一緒の軍なんてラッキーだなー! 今年の看板賞もいただきだね!」
三年生で、東軍の看板係リーダーを務める藤木先輩が堂前の背中をパンパンと叩きながらガハハと笑う。堂前の隣に立っているため目立たないが、この先輩もスラリと背が高い人だ。俺とそう変わらないくらいじゃないかな。そうでなくては堂前の背中を自然と叩くことなどできない。若干ボサついた黒髪は、俺の目から見てもあまり手入れされているようには見えないが、生まれ持った髪質で大分カバーしているように見受けられる。
「いえいえ、先輩のリーダーシップあってのものです。こちらこそ、今年もご一緒できて心強い限りですぞ」
「おいおい少年。おだてても何も出ないぜ? ……で、君は浅村君だったね! 短い期間だけど、一緒に頑張ろうな!」
え、エネルギッシュな人だ。遠野や松山とはまた違った、光のオーラが感じられる。正直このノリはあまり得意な方ではなく、「は、はい……」と空返事になってしまった。
藤木先輩は俺の反応が物足りなかったらしく、「ん~? どーした元気ないぞ? ほら、えいえい……オー!!」と拳を掲げてきた。どうやら共鳴をご所望だったようだが、この俺がそんな簡単にバイブスぶち上げられるわけもなく、とはいえ完全に無視を決め込めるほど肝が据わっているわけでもなく、結果「お、おぉ~……」と中途半端に掛け声と腕を上げるにとどまった。
「う~ん、一番中途半端な反応だ。浅村君、さては君、陰の者だね?」
うるせえよ。その通りだよ。
げんなりする俺を堂前は見かねたようだった。
「藤木先輩、そのあたりにしてくだされ。昨年度もそのようなやり取りをなされていましたが、着いていけた者は一人もいなかったではないですか」
「いや一人はいたぞ。堂前君、君という逸材がね」
「わ、私も当時はまだ一年生でしたのでよく分からず、この学校の習わしかと思ったのです。恥を捨てて先輩に合わせましたが、いやはや……。あの時ばかりは恨みましたぞ」
だっはっは、そんな昔のことはいいじゃんと藤木先輩は笑う。堂前がここまで主導権を握られているのを始めて見た。この三年生、あなどれん。
こほん、と咳払いをひとつして、堂前は続ける。
「とにかく、浅村氏については心配及びませんぞ。少しシャイなところはありますが、浅村氏のパッションの熱さはこの私が保証しますので」
随分買い被られたものだ。「ほほう? それは楽しみだね」と目を輝かせて興味津々といった様子の藤木先輩と対照的に、俺は堂前からの仰々しい評価に少し狼狽えた。
多分、堂前は俺のASMRへかける情熱のことを指して評価している。確かにそれ単独で見れば、並みのASMRリスナーじゃ勝負にならないくらいのレベル感があるだろう。その点は自負している。
が、それが看板製作に役に立つのか? という疑念と、そもそも今現在このASMRについて頭を悩ませていることが、俺の空返事へと繋がっていた。
気になっているのは、先程の愛知とのやり取りだ。
愛知は俺の裾を引っ張って呼び止め、俺に向かって囁いた。そう、囁いたのだ。
愛知奏のことを音野らぶちではないかと疑っていたが、唯一自信がなかったのはその声だった。だが、先程愛知の囁き声を聞いて確信した。これは間違いないと自信をもって言える。
愛知奏と音野らぶちは、全くの別人だ。
声質、話し方もさることながら、らぶちのASMRを聴いている時特有の、あの脳をくすぐるような感覚がなかったのだ。
らぶちの声からは摂取でき、しかし愛知の声には含まれない、さらに言えば、松山の囁き声からも得られなかった成分がある。けれど俺は、その成分を最近リアルの場で感じたことがあるのだ。そのことを、はっきり思い出した。
それはあの着ぐるみバイトの休憩室で。
そして、突然やって来た先生から隠れた文芸部室で。
それぞれ、遠野藍音から感じたものだったのだ。




