第16話 脳裏を掠めるとある疑念
さすがに目の前で読まれるのは、ちょっとメンタルが持たないかも……と愛知がこぼしたのもあるし、そもそも昼休みの残り時間的に読み切る時間はないので、一度持ち帰らせてもらうことにした。
鞄の類を持っていないので制服のジャケットの内側に本を隠して移動する。衣替えの時期目前で、日によっては暑苦しさも感じる今日この頃だったが、今回ばかりはラッキーだった。俺の存在感の薄さもあり、全く怪しまれることなく自教室に辿り着いた。
「おや? 珍しいですな浅村氏。今日はお出かけでしたかな?」
「まあ、たまにはな」
本当は堂前にこそ話したい内容だったが、愛知本人の了承も得てないのに俺が勝手に触れ回るのは道理が通らない。けど、いつか二人が交流を持ってくれればいいなと思う。きっとお互いにとって良い刺激になるはずだ。そこから生まれる成果物を、俺はまた見てみたいのだ。
そんなことを考えていると、堂前は「おや?」と瓶底眼鏡のポジションを直しながら俺の腹を凝視してきた。
「浅村氏……。もしや何かを隠し持っているようですな? 私、そこまで規則に厳格ではありませんが、法や倫理に反するものであれば、友人として諌めなくてはなりませんぞ?」
こいつ、勘が良すぎないか……?
「ち、違う違う。酒もタバコも変なクスリもやってないって。……でも、何かを隠し持ってるってのは本当だ。漫画なんだ。さっき借りてきた。でもその……、ちょっと、Rの方がな……。それで……」
嘘は全くついていない。愛知の漫画をまだまともに読んでいないが、表紙に描かれているキャラクターの表情や服のはだけ具合からして、年齢制限必須モノであることはまず間違いないと判断している。
堂前は「おぅフ」と笑って、
「これは失礼した。私としたことが大変不躾なことを。浅村氏にも良からぬ疑いをかけてしまい、誠に申し訳ない、ぜひ、ごゆるりと楽しんでくだされ。……そして上等な品であれば、私にも情報共有のほど、よろしく頼みますぞ」
おっフフフ……! と妙に楽しそうに笑って堂前は自席に戻っていく。堂前が想像したことと実態にはズレがあるのだが、誤解……と言われるとそうも言い切れないところので、なんとも訂正がしにくかった。
すぐ翌日のこと。昼休み突入の鐘を聞いた俺は超速で昼飯を腹に流し込み、足早に教室を出た。向かう先は文学部室だ。
俺が二日連続で昼休みに教室を空けるというのは、これは尋常のことではない。俺の昼の過ごし方はASMR鑑賞で決まっている。それを追いやるだけの目的が、今日はあるのだ。
一応、今度は入室前にノックをしてみる。コンコンコンと三度扉を叩くと、中から「うぇっ? ど、どうぞ……?」と控えめな声で入室許可が出た。やっぱりもう中にいたのか。
ガラッガララと建てつけの悪い引き戸を開けると、コンパクトな弁当箱を広げている愛知がいた。ノックの主を確認した愛知は少し安心したように「な、なんだ。浅村君か……」と言った。
「ノックする人なんてそうそういないから、びっくりした。藍音は絶対そんなことしないし」
「昨日は驚かしたっぽかったから、一応な。昼は毎日ここにいるって言ってたから」
「あー……。教室じゃゆっくりご飯食べたり漫画読んだり、描いたり……しにくいから」
確かに日陰者の立場としてはよく分かる。誰にも邪魔されず好きなものに没頭できる空間があるっていうのは物凄くありがたいことだ。特に愛知は作り手側の人間でもあるので尚更だろう。叶うなら俺も俺専用の防音室が欲しい。目的は外に音を漏らさないためでなく、外からの音をシャットアウトするためだ。ASMRを堪能するにあたって、雑音は敵以外の何者でもない。
「そ、それで……。浅村君は、今日は何の用……? 忘れ物じゃ、なさそうだけど」
俺が二日連続、昼休みのASMRタイムを潰してまでここに足を運んだ理由。それは決まってる。
懐から、昨日レンタルした愛知の同人誌を取り出す。
「これ、読ませてもらった」
「えぇ? も、もう?」
「そんなに驚くことじゃないだろ。百ページくらいの漫画くらい一日あれば読めるぞ」
「そうじゃなくて。まさか本当に読むとは……」
「愛知、お前すっげえな!!」
心の底から、俺は愛知へ最大限の賞賛の言葉を送った。勢い余って愛知を若干引かせた気がするが、とにかく伝えたかったのだから仕方がない。
愛知の作品は、一言で言えば素晴らしかった。
単なるボーイズラブと括ってしまうのはもったいない。性別とかではなく、一人の人間と人間が文字通り心と身体をさらけ出し重ねるまでのストーリー。様々な障害、そして彼ら自身の迷い、戸惑い、罪悪感……それらを乗り越え、二人の想いがついに通った瞬間のカタルシス。人が持つ普遍的な感情に訴えかける人間ドラマは感動的の一言だった。
最初は環境音メインのASMRを聴きながら読んでいたのだが、途中でやめた。音が邪魔に感じたのはこれが初めてだ。
「そ、そう……なんだ。ありがと……」
「ジャンル問わず、今まで触れてきた創作物の中でもトップクラスに心に刺さったよ、本当に。終盤の、龍星が獅子舞の装いで踊り狂うシーンなんて思わず泣いちまったし。獅子舞の中の龍星の表情とか、それを見る虎鉄が何を思うのかとか、ちょっとした描写から想像すると……もう、ウワーッと。脳が叫び出しそうな感じだった」
お、大袈裟だな……。と愛知は言うが、そうは思わない。一切盛ってないし社交辞令も混ざっていない。心の底がそう思っているのだ。でもそれを上手く伝えられなく、自分の表現力のなさが恨めしい。きっと愛知や堂前や、もしかたら遠野も、俺よりも良い言葉でこの感動を伝えられるのだろう。つくづく、俺は何かを生み出す側には回れない人間なのだと実感する。
「遠野があそこまで言う理由が分かったよ」
「あ、藍音も藍音で大袈裟なんだよな……。ありがたいけど、ちょっと照れる」
「何、私の話ー?」
ぬっ、と遠野が顔を出してきた。素晴らしきタイミングの良さ。
「藍音。二日連続なんて珍しいね」
「おっす奏。……と、浅村。いやー、普段教室で寝てばっかの浅村が、そそくさと出かけていくんだもん。これはもしかしてと思ったらさ」
遠野は俺が手にあるものを見て、口元ににやりと笑みを浮かべた。
「……読んだね?」
「ああ読んだ。……最高だった」
そうだろそうだろと満足気に頷く。
「BLっていうジャンルに限らず、俺が今まで読んできた漫画とか小説の中でも上位だったわ。教えてくれて、素直にありがとうだ」
「良いってことよ。特に浅村には日頃お世話になってるからね……」
油断するとつるりと口を滑らせるのが遠野の悪い癖だ。「お世話に……?」と訝しげに愛知が復唱したのを聞いて、明らかに「やべっ」という表情が現れた。そのうえ顔に出やすいときた。
「そ、そういや遠野。お前って結構漫画とかアニメとか詳しいイメージあるけど、なんで?」
慌てて被せたので非常に雑な問いになってしまった。「なんでと言われても……」と返されたのも無理はない。
「悪い、聞き方が悪かった。率直に言うと……なんというか。外見とか、クラスでの振る舞いとか、そういうところから受ける遠野の印象からすると、正直意外だなと。ぶっちゃけ、解釈違い?」
えー、そうかな……? と遠野はこぼすが、愛知は深く頷きながら賛同してくれた。
「それは私が分かってあげられるよ浅村君。私も最初びっくりしたし。初めて話しかけられた時は、正直シメられるのかと思ってほんと怖かった」
え……。そ、そんな……? と肩を落とす遠野。
「ごめんごめん。とにかく、イメージと違かったなってこと。でも、お父さんとかお兄さんの影響なんだよね?」
「そうそう。うち、私がまだ小さかった頃にお母さんが死んじゃってさ。そこからお父さんとか兄貴達が面倒見てくれたんだよね。兄貴は三人いて、もう全員社会人なんだけどさ。その兄貴達の影響で昔からスポーツとか漫画とか好きだったんだ。だからどっちかと言えばこっちの方が私にとって素なんだよ」
「あ、そうだったのか……。悪い、変なこと聞いて」
「や、大丈夫大丈夫。もうずっと前のことだしね。まあ確かに柚希とかと比べると私の趣味って変わってるのかも。……この前羽咋にも言われちゃったしな」
へへっと自嘲気味に笑う遠野。それを見て愛知はムッとした表情になった。
「えぇ〜そんなの気にしなくていいよ。人の趣味をバカにするなんてほんとクソだもん」
柄にもなく強い言葉で庇った愛知に「奏〜ありがと〜。マヂラブセンキューだよ〜」とおどけながら遠野が抱きついた。
瞬間、俺の脳内を電流が駆け抜けた。
愛知の意見に深く深く心の底から同意したからではない。日常系アニメのような女子同士のスキンシップをリアルで目の当たりにし、思わず拝み倒したくなったからでもない。
思い返せば、最初から少しだけ引っかかっていたところでもある。愛は、英語に直せばラブ。つまり愛知は、イコールラブちになる。
配信者、音野らぶちは遠野の知り合いらしい。とはいえ友人の多い遠野なので、学校外での知り合いとかの可能性も十分にある。むしろそう考えることで、極力そのことを考えないようにしていた。
しかし、名前の繋がり、オタク的な趣味を持つ陰キャ……という共通項を見るとどうしても気になってしまう。加えて、先日のらぶちの配信だ。あのシチュエーションボイス配信、初めてにしては台本の出来が良かった。その点からも、創作活動をしている愛知奏という人間が透けて見えてくるようだ。
自分の意志とは別にして、考えが勝手に廻り廻ってしまう。唯一確証が持てない点は、声だ。愛知の声とらぶちの声は明確に違う……とも、言い切れない。何せらぶちは囁き雑談がメイン。その声と、普通に喋る愛知の声を比較するのは中々難しい。愛知に囁いてもらえば一発で分かるんだろうけど、そんなことをお願いする度胸は俺にはない。
やめろ、考えるな。考えてはいけない。仮に俺の予想が当たっていたのだとして、それを愛知本人に悟られるようなことは決してあってはならない。少なくとも、顔を突き合わせる機会をこれ以上増やすべきではないだろう。
この部室にも、もう来ない方が良いのかもしれないなと、仲睦まじく話をする遠野と愛知を見て俺は思った。




