第15話 文学部部長、愛知奏
「あのー、ホント、その、ごめん……」
平謝りする遠野。「お前の平手……世界を獲れるぜ」と、まだ熱を持っている頬を押さえながら返す。
「わ、私も、ごめんなさい。焦って、変な状況にしてしまった」
俺にタックルをかまして押し倒した女子、もとい文学部部長の愛知奏もぺこぺこと頭を下げた。
「いや、いいんだ。元はと言えば、部員でもない俺が勝手に部室に出入りしてたのが問題だから」
「そうだよ奏。奏は悪くないって!」
両手をパタパタさせて愛知にフォローを入れる遠野。ちなみにこれは言わないでおくが、この場所の存在を俺に教えて連れ込んだのは他ならぬこの遠野藍音なので、責任の半分くらいは遠野にあると俺は考えている。
「う、うん……。ところで、藍音はなんで浅村君をここに……? ここに出入りしてること、あんまり知られたくないのかと思ってた」
「いや、別にそんなことないよ? 私が正式には文学部所属だってことは皆にも言ってるし」
「そうなんだ……。でも、他の人を連れてきたことはないよね? なんで浅村君を?」
愛知からすれば当然の疑問を投げかけているだけなのだが、遠野は「うっ」と分かりやすく返答に詰まった。そしてこの反応を見て分かった。遠野は愛知に、自分のASMR趣味をオープンにしていない。
遠野が俺をこの部室に引きずり込んだのは、人目につかないところでASMRの話がしたかったからだ。けれど、ASMRのことを伏せるのであれば、ここを使うに足る他の理由を作らなくてはならない。遠野はそれを作り出すのに苦慮しているようだった。
しゃーなし、と俺は割って入る。
「実は昨日、遠野に勉強教えてほしいって頼まれてさ。そんで、教室だとうるさすぎるし図書館だと静かすぎて教えられないしでどうしようかと思ってたら、遠野がここに連れてきてくれたんだ」
つらつらっと、自分でも驚くほど流暢に作り話が出てきた。でも、そこまでおかしな点はないはずだ。遠野もこれに乗っかって、「そうそう!」と首をブンブン縦に振っている。
そんで、昨日これを忘れたってわけ、と俺が残置してしまった課題を見せると、愛知も「はぁ、勉強……」と一応は納得をしてくれたようだ。
「じゃ、そういうわけで……」
「奏、ごめんね? 私の勝手な目的で部室を使ったりして……」
俺は教室に戻るわ! と続けるつもりだったが、遠野に被せられてその先を口に出せなかった。
「いや、藍音も歴とした部員なんだから、それはいいよ。毎日活動してるわけでもないし」
「そっか、ありがとう。じゃ俺は……」
「ていうかさ、座らない? 私たち何故か立ちっぱだったし」
教室に戻るわ! と続けるつもりだったが、遠野に被せられてその先を口に出せなかった。
遠野の言葉を受けて、そういえばそうだねと愛知も椅子に座る。立っているのは俺だけだ。
「…………? 浅村、どしたん?」
妙な同調圧力に負けて、俺も椅子を引いて腰を落ち着けた。
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
ほ、ほら! やっぱこうなる! 意地でもここを立ち去るべきだった!
愛知の視線はあっちへ泳いでこっちへ泳いでと、一向に定まる気配がない。俺の存在を視界に収めながらも、けれども決して目が合わないように揺れている。一般的な男子高校生(よりは心なしか青春の色が褪せているが)である俺的には、同世代女子にこのような反応をされると普通に傷つくところなのだが、先ほどあった騒動を顧みるに、さもありなん、と言ったところだ。
で、遠野はと言えば「まずったな~。何話そうかな~」という心の声が聞こえてきそうなくらいに分かりやすく困っていた。お前が招いた状況だろ。なんとかしろ。
き、気まずい。別に俺は話好きではないし、初対面の相手と能動的にコミュニケーションを取るタイプでもない。けれど、こうして席に座り相対している上でなお会話が無いというのは、これは普通のことではない気がする。故に愛知も非常に困惑している。
仕方ない。ここは俺が口火を切るか。許されるなら、ちょっと聞いてみたいこともあるにはある。
俺は愛知に目線を向ける。愛知はそれを受け、ビクッと少し体を震わせた。
「そういえば、さっき見た同人誌たちだけど」
「す、ストップ! ストォップ!!」
愛知は机にばんと両手を着いて立ち上がった。焦りの色が顔中から放出されている。
「そ、その話する? そこに戻る!? 何も見なかったことにしない? その方がお互い幸せじゃない!?」
「い、いや待て。俺は別に……」
「根暗な女が分かりやすくBL好きなんだ(笑)って思ったでしょ? なんなら自家発電してやがる(笑)(笑)って思ったんでしょ? ああそうだよ私はBL作家だよ! 即売会に入り浸って、なんなら発行もしてるよ! 分かったよ君がその気なら私にも考えがある。まずは君の頭をかち割って……」
「絵、めっちゃ上手いなって思っただけ!!」
愛知の勢いに負けないように叫んだ。
何か凄い方向に勘違いされかけたが、俺は単純にチラと見たイラストに感服しただけだ。女性作家らしい繊細なタッチと描き込まれた乱れ髪。人と人が絡む複雑な構図でありながらバランスの崩れもなく、確かな画力を感じさせる。
そして何より口元が良い。数本の線で形作られる単純な顔のパーツだが、妙に色っぽくついつい目が吸い寄せられる。この線を引くのにどれだけの研鑽を積んだことだろう。このポイントに、愛知の技量とこだわりと性癖が詰まっていた。
遠野の時といい、どうも俺は頻繁に頭かち割られの危機に瀕しているが、別にそういう嗜好があるわけでもなく普通に嫌なので、必死に愛知のイラストの凄さを思いつくままに語った。
「そうだよ浅村! やっぱマジ分かってんね!」
身を乗り出すようにして勢いよく賛同してきたのは遠野だ。その瞳には燦々とした輝きが灯っている。
「奏の絵は本当に綺麗でさ。でもそれだけじゃないんだよ? 単なるBL同人誌じゃなくって、ストーリーがしっかり練られててキャラが生きててさ……。私奏の描く漫画が好きなんだよね」
「遠野お前、BLも読むんだな」
そう言うと、遠野は「あ」と一言。どうやらノリでカミングアウトしてしまったらしい。まあそもそも、扉開けながら「読んだよー新作!」とかなんとか言っていたので、遠野が愛知の作品の読者であることは容易に想像がついてたんだけど。
「あ、浅村君……は、私のこと変だと思わないの? BL好きで、自分で漫画まで描いてるなんて」
「いや、全然そんなことは。むしろ凄いと思ってるよ。これは本当に」
そもそもだが、俺だってASMRのヘビーリスナーだ。ジャンルは違えど、好きなものにかける熱量は同じ。そのうえで、コンテンツを享受するだけでは飽き足らず、自らがコンテンツの作り手となり、その熱を広めていこうと活動する人を俺は心の底から尊敬する。それは、生半可な『好き』ではやれないし、続けられないことだ。俺には決してできないことだ。
「俺の友達にも、愛知と同じように絵とか……ほかにも刺繍とか色々やってるやつがいてさ。そいつは、『らぶ☆ぱん』ってアニメの月ノ瀬あかりっていうキャラが……あ、知ってる? そうそう、ヒロインの姉の。で、そいつも凄えんだ。『生半可な覚悟ではあかり氏の魅力は表現できない』って言ってな。デッサンとかスケッチとか、そういう基礎的なところからきっちり勉強してんだ」
「あ、それってひょっとして堂前のこと?」
遠野の質問に、「そ」と短く頷いて肯定する。俺は堂前の、月ノ瀬あかりに対する熱量を知っている。一つのコンテンツ、一人のキャラクターに捧げている時間と技能と覚悟を知っている。それを見て賞賛こそすれ、変だと思うなんて、それこそおかしいことだと思う。そして、愛知からも同種の熱を感じるのだ。
それにな、と前置きして、俺はいつか遠野に見せたのと同様に、自分のスマホを開き動画投稿サイトのマイページを開く。
「見ろこの登録チャンネルを。これが俺の趣味だ。愛してやまないものだ」
愛知はまじまじと画面を凝視して、「月曜朝に聴きたい動画……四月の俺的ランキング【耳かき部門編】……将来息子に伝えたい作品集……。ふ、ふえぇ……。狂気的……」と漏らす。そ、そんなにヤバいか俺って? ただASMRを聴いてるだけで、それ以外にはちょっと便利に再生リスト分けしたりタイムスタンプ押したりしてるだけなんだけどな。
気を取り直して俺は続ける。
「こ、これで分かったか? だから俺はお前を絶対にバカにしたりはしないし、お前のことを尊敬するんだ。所詮俺はただのリスナーでしかないし、だからこそ愛知みたいな作り手の偉大さを知ってるつもり」
「あ……。う、うん……分かった……ありがと……」
俺が本気で言っているのだとようやく愛知も分かってくれたようで、ほっとしたような表情を見せた。ふう、ひとまずはこれで一件落着か。
「ところで、遠野はどこでこのことを知ったんだ? 作品も読んでるくらいなんだろ?」
「一年の時、私と奏が同じクラスでさ。好きな漫画が同じだってことが分かってさ。色々話すうちに『他にもおすすめしたいのある! 絶対好きだから!』って、ここを紹介してくれて。そんで貸してくれた漫画の中に……」
「私が描いた漫画が混じってたの……」
愛知はずーん、と分かりやすく肩を落とす。
「ままま、いいじゃん! それでますます仲良くなれたんだからさ」
「ま、そうかもだけど……。でもびっくりしたよ。『これ! これが一番好きなんだけど!』って言われたのが、自分が描いたやつだったんだもん。あの時はびっくりした。……けど、嬉しかったな。もちろん」
「絵が凄いのはすぐ分かったけど、そんなに話も良いのか?」
手を出したことも、正直出そうと思ったこともないジャンルだったけど、そこまで言われちゃさすがに気になってくる。
読んでみな? 飛ぶぜ? と遠野が一冊手渡してくる。愛知はと言えば、どう対処しようかあわあわしている様子だったが、やがて諦めたように「……どうぞ」と手のひらで促してきた。
(本心のところはどうであれ)作者からの許可もいただいたわけだし、ここは一読してみることにしよう。




