第14話 俺とあいつの秘密の花園
「わ、私が一番だって、お前あの時言ったもんな? 嘘じゃないよな? もし嘘だったら……刺しちゃうからな」
一段とトーンを落とし、耳元でらぶちが囁く。ぞわりと、俺の首元に鳥肌の波が立つのを感じた。
今日の音野らぶちは「独占欲高めならぶちが嫉妬にかられて君に迫る」というタイトルで、シチュエーションもののASMR配信を行っている。過去らぶちはこのような形式のASMRを行っておらず、今回が初めての試みだ。概要欄にもその旨の投稿者コメントが「はじめてなので、クオリティへの文句は受け付けません。文句言ってきた奴は消します」と記されている。
恐らく。恐らくだが、俺がこの前遠野に話した「ぼくのかんがえたさいきょうのらぶち配信案」は何らかの形で遠野かららぶち本人に伝わったものと思われる。もちろん絶対そうだと言える証拠があるわけではないのだが、逆に全くの偶然なんだとしたらあまり運命的なタイミングだと言える。
推し配信者であるらぶちのボイスが聴けたことを嬉しく思う気持ちもあり、本来であれば一視聴者に過ぎない存在である俺が、(それが良い方向にせよ悪い方向にせよ)音野らぶちとその活動に影響を与えてしまったことを少し心苦しく思う。今後はこのようなことが一切無いように気を付けよう。仮に遠野から何かを言われたとしても、口は固く閉ざすと誓おう。
とは言いつつ、やはりらぶちとこの手のコンテンツとの愛称は良いように思える。コメントの反応もすこぶる好評で、自分の感覚が的外れでなくて本当に良かった。
また、個人的に意外だったこともある。このような形式の配信をやるのが始めてなわりには、想定していた以上に作品のクオリティが高いのだ。らぶちの台詞読みもさることながら、台本が良い。
独占欲のが非常に強いヤンデレっ娘、という設定で、他の女子生徒と会話をしたことをきっかけに空き教室に連れ込まれ、他の人にバレないよう小声で愛を囁かれまくり、同時にカッターナイフを突きつけられまくるといった内容になっている。台詞はフィクションでありながらもどこか現実味を帯びており、リアルな肌感と共にぞわぞわと聴く者の耳に突き刺さる。
想定していた以上に、らぶちとシチュエーションボイスの親和性は高い。これなら本当に一気に伸びることもあるかもしれない。
下手に干渉してしまったことは後悔だが、これは結果オーライと考えても良いのかもな。らぶちの今後が、より一層楽しみだ。
文学部室への忘れ物に気がついたのは、登校してすぐのことだった。午後に提出するはずの、数学の課題が見つからないのだ。
正確に言えば、昨晩の時点で鞄の中にあると思っていたそれがないということには気が付いていた。けどまあ、どうせ教室の自席引き出しの中にでも置いてきたのだろうと高を括っていた。そのあてが外れた格好になる。
ここで俺は改めて昨日の行動経路を振り返る。教室でもない、家でもないとすれば、思い付くのは一つしかない。というか、課題を仕上げて以来鞄からそれを出したのはそこでくらいだ。
「え? 浅村って結構勉強できんの?」
何かの拍子でそんな話になり、「まあそこそこ」と答えた俺は、その流れで遠野にねだられ、数学の課題を見せていたのだ。絶対に丸写しはしないから! マジで頼む! 私数学ほんと終わってるんだ! との懇願に負けて、一度遠野に渡した。その後用が済んだ遠野から返却してもらって、勉強する際の作業用ASMRの話になって、そのままだ。鞄の中にしまっていない。
絶対ではないが、九分九厘あの空き教室にあるはずだ。そう当たりを付けたが、授業間の小休憩ではちょっと時間が短すぎる……。
というわけで昼休み。爆速で飯をかっこんだ俺は、いつもの通り甘美なるASMRの世界へ……ではなく、文学部室へと向かっていた。
やれやれ、貴重な休み時間をこんなことで消費してしまうとは……。だけどこれは自分の不注意が招いたこと。今後無いように気を付けよう……。
そう思ってガラりと扉を開けると。
「うぇっ? び、びっくりした……」
空き席に女子が一人座っていた。黒のセミロングはところどころがボサついていて、言葉に気を遣わず表現すればやや野暮ったい。前髪も長く重たく、瞳に暗い影を落としている。その隙間の奥から、小動物の用な瞳が見開かれて俺に向けられているのが分かった。
その女子は開いていた文庫本をいそいそと閉じながら、怪訝な表情で「だ、誰……? 何か用……ですか?」と問うてくる。かなり怪しまれているが、俺も俺でまさか人がいるとは思っていなく、そこそこ頭もテンパッているようで上手く言葉が出てこない。
「あっ、いや……。まさか誰かいるとは思わなくて……すんませんでした」
「いると思わなかったって……。私、大抵昼はこの部屋にいるから、こっちからすれば知らない人が入ってくるとは思わなかった、って感じなんですけど……」
「あー、まあ確かにそうだな。ごめん。昨日この部屋にちょっと忘れ物しちゃったみたいで、それを取りに来ただけなんだ」
そう言いつつ、俺は昨日自分が座っていた箇所に目をやる。すると、やっぱりあった。無防備に丸出しで机の上に放置されている。これ以上妙な疑いをかけられる前に、さっさと回収して退散してしまおう。
女子生徒は「昨日……? 忘れ物……?」と何やらぶつぶつ呟いていたが、俺がススっと移動したのを見て、
「あっ! そそそそっちはダメ!!」
と、わちゃわちゃ腕を振り回しながら俺に飛びついてきた。小柄な女子とはいえ、不意のタックルを受け止め切れるほど俺の身体と体幹は仕上がっていない。「ワ……! ワ……!」と悲鳴にもなってないような情けない声を喉から発し、俺は彼女の体重を感じながら倒れ込む。
瞬間。ガン! と鈍い音が頭骨内に響き渡り、目の前が白く瞬いた。脳みそが揺さぶられる感覚、そしてドサドサバサっと頭上から何が降り注ぐのが分かった。踏んだり蹴ったりだ。
ジンジン痛む頭をさすりながら半身を起こすと、棚が半開きになっているのが見える。どうやらそこに頭をぶつけて戸が開き、中身が崩れて落ちてきたらしい。で? 一体何か落ちてきたんだ……?
散らばっているのはどれも比較的薄い冊子だ。文庫本よりは一回り大きいが、よく見るA4サイズのコピー用紙よりは小さく見えるサイズ感。一冊手に取ってみると、美男子達が繊細なタッチのイラストで描かれている。タイトルは……。
「だっ、ダメっ!」
「俺とあいつの秘密の花園……?」
慌てて制止する声とタイトルを読み上げる俺の声が重なる。そして、お互い固まった。
教室内の時が止まったかのようだった。その空気をガラガラリと年季の入った引き戸の音が切り裂く。
「かっなでー! 読んだよー新作! もうマジさいこ……」
遠野藍音が口元をゆるゆるにとろかせながら入室してきて、そして固まった。
荒れた教室。床に倒れる俺。そして、その俺の上に乗っかるような形で女子生徒。傍から見れば、まるで俺が押し倒されているように見られてもおかしくない光景。
「キャー!」と遠野が叫ぶ。まあ当然のことだろう。
「わぁー!」と俺の上で女子生徒がパニくる。これも分かると言えば分かる。
「キャー!!?」と遠野がダッシュで近づいてきて、俺に鋭い平手打ちを食らわせる。うーん、こればっかりは理解不能! というか痛ぇ! この女しっかり振り抜いてやがる。ひょっとして慣れてらっしゃる?
グルグルグルっと、一瞬のうちにそんなことが頭の中を廻ると共に、俺は再び地に伏した。ジーンと熱を持つ頬が、年季の入ったフローリングで冷やされていく。学校の床って、ひんやりしてて気持ちいいなあ……。




