第12話 浅村君、マジおもろいわ~
「何これ? ……えーえす、えむあーる……? へぇ~こういうの聞いてるんだあ……。やらしいんだ~」
うっ、うっせ! べ、別にそんなに聞いてねえし! つうか、そんな変なもんでもねえし!
「あはは! 焦ってる焦ってる! ……ねえ、ちょっとあたしにも聞かせてよ。それ」
な、なんでお前なんかに……あ、ちょっ!?
「はい、ゲットー! 相変わらず隙だらけだねえ……。そんなんじゃ、女子にモテないよ」
べ、別にモテたくなんかねえし。女とか、めんどくせえだけだし……!
「あはは、ごめんって。……で? イヤホンを耳に着けて……と。再生! …………んっ……。あっ……。……んはは。へ、へえ~。結構、いい感じじゃん? ……ねえ。あたしも、してあげよっか?」
は、はあ? するって……何をだよ?
「耳かき。好きなんでしょ? あたしもやったげるって。ほら、こっちおいでよ」
ばっ、ばばばっかじゃねえの!? だ、誰がお前なんかに……!
「あっ、そんな態度取っていいんだ〜。みんなにバラしちゃうよ? この趣味のこと」
く、くぅ〜! この鬼女め! 人の弱み握ったのをいいことに……! トホホ……。まったく、今日は厄日だぜ……。
「ん……! よろしい。まあ任せときなって。あたしだって、このくらいできるんだからな。え〜と、まずは……。ふぅ〜」
う、ウワッ……!
「ぅ〜……っと。……どう? 良かったでしょ? ピクってしてたし」
う、うるせえやい! ちょっとだけ、びっくりしただけ……どぁっ!?
身体を預けていた机をガタンと揺らされ、俺の意識は『腐れ縁の幼馴染に弱みを握られて好き放題に耳を弄られた件』の世界から現実へ強制的に引き戻された。
チッ、なんだよ。こっちはな、梓との生産性のない、けれども甘くて輝かしい時間を過ごしてたんだぞ。邪魔しやがってよ。空気の読めねえ奴だ。
機嫌最悪で顔を上げると、目に入ってきたのはヘラヘラと笑う羽咋の顔だった。考えつく限り最低クラスの目覚め方だ。
「うわー、浅村君ごめんね? 起こしちゃった?」
一応、辞書的な意味では謝罪の言葉をかけられる。しかし、その言葉の裏に一切心がこもっていないと感じるのは俺の偏見ではないだろう。三日月形に細められた瞳には、嘲りの色が浮かんでいる。
先日の一見以来、どうも俺は目をつけられてしまったらしい。目を付けられるのはいいんだけど、俺の時間の邪魔はしないでほしいな……。ん? あれ?
俺が使用しているイヤホンは遮音性が高く、装着すると周囲の音はほとんど耳に届かなくなる。そのはずなんだけど、羽咋の声は普段と変わらずクリアに聞こえてくる。
どういうことだ? と思い耳に触れた時、俺はようやくイヤホンが外れてしまっていることに気が付いた。勢いよく飛び起きたため、その際に飛んでしまったらしい。きょろきょろと目を滑らせると、左のイヤホンは机の上に転がっているのをすぐに見つけた。右は……。やばい、無いな。床に落ちたか? 嫌だな……。
「あれ? ひょっとしてこれ探してる?」
そんな俺の様子を楽しむように、羽咋が指に摘まんだものを俺に見せてくる。それは間違いなく俺の愛用のイヤホンだった。ポンコツを面白がるような顔。こいつ、最初から一つ持っていたに違いない。気安く触るなよ。そのイヤホンの銭闘力は五万三千円だぞ。
こっぱみじんにしてやろうか? という気持ちを胸にしまって「ああ、拾ってくれたのか。ありがとう」と手を出すが、羽咋は中々返そうとしない。
「浅村君ってさ。いっつもイヤホンつけて寝てるけど、何聴いてるん?」
「え? 何って……。ヒーリングサウンド……的な? よく寝れるやつ」
嘘はついてない。羽咋はそんな俺の顔を上から見下ろし、「ふーん……」と口角の端を吊り上げた。
「どんなん? ちょっと俺にも聴かしてー」
あっ、おい! と止める間もなく、羽咋は手に持ったイヤホンを自分の耳に装着した。
「ぉおっ……? …………へぇ〜…………」
嘲笑が羽咋の顔中に広がり、ついにゲラゲラと声を上げて笑い出した。
羽咋に起こされてから、俺は動画の再生をストップしていない。つまり、今なお梓が耳かきをする声と音が、イヤホンからは流れているのだ。
スマホを操作し、今更ながら動画を停めて、俺は極力静かな声で「返せ」と言った。が、その声は羽咋の笑い声にかき消される。不自然なくらいに大きな声で笑うもんだから、周りも何事かとばかりにこちらに視線を向けてきた。
皆の注目が十分に集まった時、羽咋は教室中に聞こえるような大声で言い放った。
「あっさむら君……! いや、マジオモロいわー! え、何? いつも聴いてるのって……これ? 幼馴染が? 耳かき? いやホントパねえわ! 腹いてえ〜!!」
肋骨の下で、ドクンと心臓が一際大きく跳ねるのを感じた。熱が頭に昇ってしまう。何より不甲斐ないのは、そんな反応をしてしまう自分自身。自分の趣味が万人に受け入れられるものではないと自覚はしていたが、こうして面白半分に皆の前で晒されるのは正直中々しんどいものがある。堂前のように飄々と受け流すことは、俺にはできない。乾いた唇をぐっと噛みしめた。
「あっれ、羽咋もそれ持ってたんだ?」
そんな空気を切り裂いたのは、遠野の声だった。こいつはいつもそうだ。その場の空気を切り裂いて登場する。それは、遠野藍音が持つ存在感の成せる業だろう。遠野がやって来れば、それまでの話題とか空気とかはもうどうでも良くなるのだ。
「違う違うって! これ浅村君の! 浅村君、これで何聴いてたとおも……」
「へぇー、浅村もそのイヤホン使ってんだ! いいよねそのシリーズ。私も持ってんだわー」
そう言って遠野はポケットから真新しいイヤホンケースを取り出す。それは、俺が遠野に紹介し、遠野がそのためにバイトをした(そしてそれに俺を巻き込んだ)、五万九千円のハイエンドワイヤレスイヤホンだった。
「最近バイトして買ったんだよね~。私の買ったやつの方が新しい方だから、浅村のイヤホンよりも性能が良いね!」
遠野は得意満面の笑みを見せた。その笑みの裏にある真の意図はきっと俺にしか分からないだろう。あの日の着ぐるみバイトだけでは、このイヤホンを買えるだけの報酬は得られない。遠野はあの後も労働に精を出し、目標金額を溜めたのだ。
「あー、最新型か。いいな、羨ましいよ」
そう言うと、遠野はニヤリと笑った。どうだ、買ってやったぞという声が聞こえてくるようだ。
羽咋は面白くなさそうな表情を隠そうともしなかった。
「いや、そうじゃなくてさ〜。大事なのは、浅村君がこれで耳かきを……」
「あ~浅村も耳かき好きなんだ? いいよね、私も結構好きでさ。でもこの前耳堀りすぎて、めっちゃ耳から血出てきて萎えた。浅村も気をつけな?」
あけすけな言葉に周囲からクスクスと笑い声が漏れる。それを聞いて遠野は「いやマジでマジで! やりすぎはヤバいっぽいわ」と、誰かに向けてというわけでもなく呼びかけた。その声により、教室内に立ち込めていた不穏な空気感が、霧が晴れたように消え去った。その一挙手一投足が、場の雰囲気をがらりと変えてしまう。遠野藍音はそういった力を持っている。
ただ一人、不満そうに眉をひそめていた羽咋が口を開こうとしたが。
「そういや羽咋、この前ソフトボール部の助っ人行ったときにたまたま見たんだけどさ。なんか凄いシュート決めてなかった? なんだっけ、オーバーヘッドって言うんだっけ? あれヤバかったわ〜。いつもあんなんやってんの?」
「え? あ〜、あん時ね? や、マジたまたまよ? あんなの毎回できたら、俺この学校来てねえわ! つーかあれ見てたんかよ。だりいわ〜!」
流れるような話題転換。何かを言おうとしていたはずの羽咋は、口では「だるい」とか「ほっとけ」等と言いつつも、その実満更でもなさそうにしている。既に俺への興味は失っているようだ。
「あ、そんで羽咋。田岡があんたのこと探してたよ。なんか借りてるんでしょ?」
「え? あー、やっべそうだったわ! リーディングの課題借りてんだった! 返さねーとマジしばかれるわ〜。サンキューな遠野。……あ、浅村君これ返すわ」
羽咋はポイっと俺にイヤホンを放ると、「やっべーわマジで!」と言いながらドタバタと出て行った。
遠野も俺にパチっとウインクを寄越して「じゃね」と去っていく。もしかしなくてもだが、この場は遠野に助けられたようだ。
けれど、これが頻発するようではいけない。遠野だって、毎度毎度波風を立たせずに事を収められるわけではない。俺のせいで、遠野の立場に傷をつけるわけにはいかないのだ。




