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『銀座の地下にある小さな店は、異世界で狩った食材でできている。祖父の遺したレストランを再建していたら、無口な狩り相棒と悪役令嬢みたいな常連お嬢様が今日も帰ってくれない』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第47話 見張りの失敗

 人は、見ているつもりで見られていることがある。


 朝倉恒一は、その夜の営業が始まる前から、何となくそんな予感を持っていた。


 店の前をうろつく人間。

 地下への階段を確認する目。

 入るでもなく、立ち去るでもなく、ただ“そこにあること”を確かめるような気配。


 最近の玻璃亭の外には、そういう視線が少しずつ増えていた。

 だからこそ、こちらも“見せ方”を整えようとしている。

 普通の良い店として、人が自然に出入りする場所として、先に輪郭を取るために。


 だが、見張る側にも焦りがあるのなら、いつか綻びは出る。

 その綻びが、今夜は少しだけ表に現れそうな気がしていた。


 営業前、恒一は黒板を立てながら、店の入口の方向をちらりと見た。


 本日のおすすめ

 角兎の赤ワイン煮込み

 帰りの白

 季節の小皿あり


 今日も、皿は安定している。

 帰りの白も、角兎の煮込みも、客に安心して出せる状態だ。

 そして、“次の看板候補”の皿も、今日は一部の常連へ試せるかもしれないところまで来ている。


「顔、悪くない」

 澪が言った。


 火乃坂澪はパン籠を整えながら、珍しくあっさりした口調でそう言った。

「最近の採点にしては、だいぶ甘いな」

 恒一が返す。

「今日は店のこと考えてる顔だから」

「森じゃなく?」

「半分は森だけど」

「半分残ってるじゃないか」

「それはしょうがない」

「便利な」

「今日は使わせる」


 そこへ、足音がした。


 少しだけ速く、でも今ではかなり自然にこの地下へ下りてくる足音。

 東條院紗雪だ。


 扉が開く。


「ご、ごきげんよう」


 今日は薄い藤色のワンピースに、小さな銀の飾りだけ。店へ入る時の仕草が、もうほとんど“常連の客”のそれになっている。少し前のような、ここへ来ていいのか測る空気はかなり薄れた。


「いらっしゃいませ」

 恒一が言う。

「ええ」

 紗雪は頷き、今日はすぐに店の外を振り返らなかった。

「本日は、普通の客でおりますわ」

「宣言するんですね」

「必要ですもの」

「最近それ多いな」

「必要だからですわ」


 このやり取りも、もはやかなり店に馴染んでいた。


 開店してしばらくすると、いつもの常連が入ってきた。


 四十代後半くらいの、少し猫背で、人当たりの柔らかい男性。最初は帰りの白に驚き、次に角兎の煮込みを気に入り、今では月に何度かふらりと来るようになった人だ。恒一の中では“静かに定着し始めた常連”の一人だった。


「こんばんは」

 男性は軽く手を上げる。

「こんばんは」

 恒一が返す。

「今日はね」

 男性は席へ着きながら言う。

「ちょっと腹減ってるんで、最初から煮込みいこうかな」

「ありがとうございます」

「あと、白も」

「かしこまりました」


 そういう順番を迷わず口にする客が増えてきたことが、最近は少しうれしい。


 その常連客が、最初のワインを飲んで一息ついた頃だった。


 店の外を、またあの男が通った。


 入口のガラス越し、ビルの前を行き過ぎる影。

 立ち止まりはしない。

 だが、速度が不自然にゆっくりだ。


 恒一も澪も、視界の端でそれを捉えた。

 紗雪も、カップを持つ指先がほんの少しだけ止まる。


 けれど、先に反応したのは意外にもその常連だった。


「あれ」

 彼が何気なく言う。

「……?」

 恒一は店主の顔のまま顔を向ける。

「今の人」

 常連客はワインのグラスを置いた。

「最近よくいるよね」


 店の空気が、ほんの少しだけ張る。


 だが男性は、こちらの緊張など気づいていない様子で続けた。


「この辺で何回か見たなあ」

「知り合いですか?」

 恒一はあくまで自然に訊く。

「いや全然」

 男性は首を振る。

「でもさ、前に向かいの喫茶店の前でも見たし」

「……」

「このビルの前でも二回くらい」

「……」

「地下の店、気になってるけど入りづらい人なのかなって最初思ったんだけど、違うんだよね」

「違う?」

 紗雪が静かに訊いた。

「うん」

 男性は気軽に頷く。

「入る気がある人の見方じゃないっていうか」


 その一言が、妙に鋭かった。


 秘密を知らない普通の客でも、わかる人にはわかる。

 店の前へ立つ人間には、入りたい人間と、そうでない人間の違いがあることを。


「店じゃなくて」

 男性は少し考えるように目を細める。

「階段見てる感じなんだよね」

「……」

「ほら、地下へ下りる入口そのもの」

「……」


 澪が厨房の内側で、わずかに目を細める。


 その時だった。


 男が、また戻ってきた。


 今度は店の前でほんの一瞬だけ止まる。

 そして、ガラス越しに店内を見た。


 たまたま目が合ったのは、その常連客だった。


「あ」

 男性は思わず小さく声を出す。

「……?」


 見張りの男も、完全に予想外だったのだろう。

 気づかれていない前提だった。

 なのに、店の中の客から“最近よく見る人”として認識された顔で、真正面から目が合ってしまった。


 男は一瞬だけ表情を固める。

 そして不自然な速さで視線を逸らし、そのまま歩き去った。


 その“不自然さ”が、逆にすべてを語っていた。


「……ほら」

 常連客が苦笑する。

「やっぱりあの人、ちょっと変だよ」

「……」

 恒一はすぐには返せなかった。

「すみません」

 紗雪が柔らかく言った。

「気になりましたの?」

「いやー、地下のお店って好きなんだけど」

 男性は肩をすくめる。

「だからこそ、変に見られてるとちょっと覚えちゃうんだよね」

「……」

「大丈夫?」

 その何気ない問いが、店主としては妙に重かった。


「ありがとうございます」

 恒一はようやく答える。

「今のところ、店は普通に営業しておりますので」

「ならよかった」

 男性はそれで納得したように頷いた。

「ここ、気に入ってるからさ」

「……」

「変な人がいて入りづらくなるの、もったいないし」


 その言葉を、恒一はまっすぐ受け取るしかなかった。


 変な人がいて入りづらくなる。

 それこそが、今まさに一番まずいことだったからだ。


 営業はそのまま続いた。


 だが、三人の意識は同じ方向を向いていた。

 見張りの男は、常連に顔を覚えられた。

 しかも“最近よくいる変な人”として。


 それは小さい。

 けれど確実な綻びだった。


 閉店後、最後の客を見送り、店内に静けさが戻ったあとで、三人はその話をした。


「……向こう、焦ってるね」

 澪が言う。

「うん」

 恒一が頷く。

「完全に」

「前なら、あそこまで店の前で立ち止まらなかった」

「……」

「慣れてきたんじゃなくて」

 澪は続ける。

「雑になってる」

「急いでるから」

 恒一が言う。

「たぶん」

「ええ」

 紗雪も静かに言った。

「そして、焦っている者ほど、見えなくてよいものが見えますのよね」

「……」

「何ですの」

「いや」

 恒一は苦笑した。

「今日はまた、かなり店の人みたいなこと言うなって」

「客ですわ」

 紗雪が即答する。

「便利な」

「本日はもうお許しくださいまし」

「今日はたくさん使ってるな」

「必要だからですわ」


 その返しに、少しだけ空気がやわらぐ。


「でも」

 恒一が言う。

「向こうも完璧じゃない」

「うん」

 澪が頷く。

「常連に顔覚えられるくらいには雑」

「しかも」

 紗雪が続ける。

「“店を見ている人”ではなく、“階段を見ている人”として認識されましたわ」

「……」

「そこ、かなり大きい」

 恒一が言う。

「うん」

「普通の客から見ても、“地下の入口だけを気にしてる人”は不自然ってことだ」

「ええ」

「だったら」

 澪が言う。

「うん」

「こっちはこっちで、もっと“普通の客が普通に出入りしてる店”を強く見せていけばいい」

「……」

「見張りが浮くように」

「なるほど」

 恒一は小さく頷く。

「それ、かなり使えるな」

「ええ」

 紗雪も同意した。

「向こうが雑になるほど、こちらの普通は武器になりますわ」

「……」


 普通が武器になる。


 少し前の恒一なら、そんな考え方はたぶんしなかった。

 料理店は味で勝負するものだと思っていた。

 もちろん、それは今も変わらない。


 だが今は、味だけでは店を守れない。

 普通に見えること。

 ちゃんと常連がいて、新規がいて、地下の良店として自然に息をしていること。

 それ自体が、この店を通路ではなく“店”として固定する力になる。


 そして、見張りの男が今夜一度顔を崩したことは、そのやり方が間違っていない証拠でもあった。


 向こうは焦っている。

 完璧ではない。

 ならば、こちらにもまだ打てる手がある。

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