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7/20

霧花の咲く場所で

 霧が、白い膜のように山肌を覆っていた。


 ふたりがたどり着いたのは、山の中腹。

 断崖のすぐ手前、湿気を含んだ風が吹き抜ける開けた場所だった。


「……出てきたな」


 ロルフがそう呟く先に、淡く光る小さな花が、いくつも咲いていた。


 葉は青みがかって細長く、花弁は透明に近い薄紫色。

 霧の中でほのかに光るそれは、まるで幻のようだった。


「きれい……」


 ミアは思わず息を呑んだ。


 朝霧に揺れる花々は、どこか現実感がなかった。

 それでもロルフは、当たり前のようにその中へ足を踏み入れた。


「花弁に触れるな。根元を、指二本で包むようにして――

吸い上げるみたいに、優しく抜く。力入れると香気が潰れる」


「はい!」


 ミアは慎重に腰を下ろし、ロルフの真似をして摘み始めた。

 霧の中、ふたりは小さな岩陰に腰を下ろしていた。

 ミアは、咲いている霧花を見つめながらそっと呟く。


「……この花、ほんとに不思議ですね。こんなにきれいなのに、日が出たらすぐにしおれちゃうんですもんね」


「ああ。こいつは“霧花(むかばな)”って言ってな。

空気中の魔素をたっぷり吸い込んで咲く。だから、朝の霧が濃い時間にしか開かねぇ。

酒に使うと、口当たりがまろやかになる――香りの奥に、柔らかい冷たさが残るんだ」


「……なるほど。だから“月の雫”は、あんなに優しい味がするんですね」


 ロルフは懐から、小さな木箱を取り出した。

 中には古びた紙包みがあり、その中に――1枚の手書きレシピが挟まれていた。


「こいつは、嫁さんが書き残したやつだ。“霧の味を残す酒”を作るために、色んな草や実を組み合わせてな。

この花がないと、再現できねぇ味ってのがある」


 ミアはしばらく黙って霧の中の花を眺めていたが、やがて口を開いた。


「……この味が、あたしの“はじまり”なんです」


「はじまり、か?」


「はい。――あの時、病気で倒れて、どこにも行けなくて、誰にも頼れなくて。

でも、“あの人”がスープをくれて、そのあと……この花の香りのする、甘い飲み物をくれた。

あたし、あの時はじめて“生きててもいいんだ”って思えたんです」


 ミアは、少しだけ笑った。


「だから……あたし、この味を守れるくらいに強くなりたいんです。

モンスターに怯えないことも、薬草をちゃんと見極められることも、

でも一番は、“誰かを救える味”を作れる人になりたい。……あの時、あたしが救われたみたいに」


 ロルフはしばらく黙って湯を見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。


「……あいつが生きてたら、きっと同じこと言ってたと思う」


「え?」


「“うまいものは、誰かを救う力がある”――そう言ってた」


 その時、低い唸り声がした。


「っ、また……!」


 霧の中から現れたのは、昨日の個体より一回り大きな《爪斑グリル》。

 どうやら匂いを追って来たらしい。


「やるぞ、ミア。今度は連携だ」


「はいっ!」


 ロルフが前へ出て、グリルの突進を受け止める。

 その隙に、ミアが横から走り込み、低く構えた。


「今!」


「――よし!」


 ロルフが誘導し、ミアが脚を狙って一撃。

 獣が体勢を崩したところに、ロルフの包丁が深く突き刺さる。


 動きが止まるまで、わずか三手。


 ミアはぜえぜえと肩で息をしながら、ロルフに笑いかけた。


「……今の、ちょっと良かったですよね」


「まあまあだ」


「またそれかぁ!」


 帰り道は、行きよりも少しだけ足取りが軽かった。


「……ふぅ。やっと戻ってきた」


 ミアが店の前で息をつく。


 ロルフは、看板をくるりと裏返しながら言った。


「“月夜の杯”、開店だ」


 その一言に、ミアは笑顔で頷いた。


 看板の横に、新しい札がぶら下げられていた。


 そこには、こう書かれていた。


──“あの味”は、遠い山の霧の中。けれど今夜も、ここで会える。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!


「月夜の杯」は、ちょっとだけ疲れた誰かが、ふらっと立ち寄って、あったかい飯と酒で少し前を向けるような──

そんな物語を目指して、のんびり綴っています。


この先も気が向いた時にふらっと読みに来てくれたら嬉しいです。

そして、もし「いいな」「ちょっと好きかも」と思ってもらえたなら、

良かったら高評価やお気に入り登録などで応援してもらえると、とても励みになります!


また、月夜の杯でお会いしましょう。かんぱい!

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