19 美しき敗北、静かなる終幕
それは、例えば夏の終わりにアイスクリームが溶けてしまうようなものであり、例えば書店で長らく探していた本を見つけた瞬間に財布の中身が千円しかなかったと気づいたようなものであり、例えば少し精巧な策略も、たった一枚のカードによって水泡に帰すようなものである。
――さて、ここに一つの敗北がある。
雫は静かに、それを受け入れる準備を始めた。
勇希のターン、まだ続いている。
「俺は、手札から『死者蘇生』を発動!」
「……まだやるのね。」
勇希のデュエルディスクが光を放ち、墓地のカードが動き出す。
「俺は、墓地から―― 『緑血族の見習い剣士』を蘇生する!」
宣言とともに、かつて散った剣士が蘇る。
その姿はまだ幼く、未熟な剣を手にしている。
それでも、その瞳には確かな誇りが宿っていた。
「……見習い剣士。」
彼女はデュエルディスクの画面を見つめ、そこに示された攻撃力の数値を確認する。
攻撃力1500。
しかし――
「『緑族の見習い剣士』の効果発動!」
勇希の宣言が、部室の空気を締める。
「このカードは、フィールド自身以外の緑血族モンスター×200、攻撃力・守備力が上がる!」
つまり――
見習い剣士(1500)+藍戦士(+200)+覚醒者(+200)=攻撃力1900
「……ふ」
雫は微笑を浮かべたまま、フィールドを眺めた。
「なるほど、完璧ね。」
三つの剣、終焉の一撃
「バトルフェイズ!」
勇希が力強く宣言する。
「まずは、『緑血族の見習い剣士』で、直接攻撃!」
幼き剣士が、迷いなく駆け出す。
その剣は、ただまっすぐに振り下ろされる。
……やるじゃない。
雫はほんの少し、口元を引き締める。
「次に、『緑族の藍戦士』――直接血攻撃!」
今度は蒼き戦士が疾走する。
その一撃は鋭く、確実に雫の命を削り取る。
「……まだ立ってるわよ。」
少しだけ、笑う。
「最後に…… 『緑血族の覚醒者』で、直接攻撃!」
この時、勇希の表情は揺れなかった。
静かに、まっすぐに、その手を差し出す。
緑の魔法陣が展開される。
そこから放たれる光が、すべてを包み込んだ。
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終幕、そして静寂
部室の時計の針が、わずかに響いていた。
「……はぁ。」
雫は、デュエルディスクを下ろす。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
「負けたわね。」
鈴と天保が、息を呑む。
勇希が、完璧に戦いを制したことを。
雫の心、敗北の余韻
負けること自体は、別に珍しいことではない。
大会に出れば負けることもある。
デュエルとはそういうものだ。
そう――
「楽しかったわ。」
そう言葉になった時、自分の心が意外なほどにすっきりとしていることに、雫は気づいた。
少し、残念ですが。
それよりも、この試合は――
彼女は、勇希を見つめていた。
「ねぇ、武東くん。」
「……?」
「あなたは何を目指すの?」
彼女の問いに、勇希は少しだけ考えて――
「……もっと強くなりますよ。」
ちょうど、そう答えた。
雫は、その言葉にそう満足に微笑んだ。
勝負というものは、たいていの場合、ひどく騒がしい。
歓声が上がり、誰かが悔しがり、誰かが誇らしげに笑い、そして静かにうなずく者がいる。
勝った側も、負けた側も、等しくその騒ぎの中に取り込まれ、やがては夜の静寂に溶け込んでいくものだ。
「お、おい……マジかよ……」
部室の空気が、ざわめきによって揺れ動く。
「雫先輩が……負けた……?」
「しかも、プラクティスデッキとはいえ、雫先輩が……?」
「やるな、あの新人。」
誰かがぼそりと呟く。
そして、それを聞いた別の誰かが、思わず「まったくだ」と頷く。
部員たちの動揺、夜の帳に響く
「いやいや、待て待て待て。」
天保が額に手を当てながら、呆然とした声を上げる。
「俺の知ってる『新人』ってのは、もうちょいこう……『これから頑張ります!』みたいな感じのやつじゃねぇのか?」
「普通はな。」
横で腕を組んでいた上級生が、渋い顔をしていた。
勇希が、雫を破った。
それは、間違いのない事実として、部室の隅々にまで浸透しつつあった。
雫、静かなる微笑
「……やれやれ。」
ようやく、雫先輩がデュエルディスクを外しながら、肩をすくめた。
「そんなに騒がないの。まるで私が、もう二度と勝てないみたいな言い方じゃない。」
「いやでも先輩……」
「いいえ、負けは負けよ。」
彼女は、ゆっくりと勇希を見つめる。
「でも、この新人君が本当に強いのか、それともただのビギナーズラックなのか、それはこれから確かめればいいことよね?」
その言葉に、部員たちはざわめきを収め、少しだけ神妙な顔つきを見せた。
確かに。
今日の勝負は、たった一回のデュエルだ。
まだまだ、何も決まってはいない。
勝ったはずなのに、勇希はなぜか、そわそわと落ち着かない気持ちになっていた。
「……すごいな。」
鈴がぽつりと呟く。
「本当に勝っちゃったんだ。」
「……うん。」
勇希自身が、まだ実感できていなかった。
俺が……勝ったのか?
デュエルディスクの液晶には、確かに「WINNER:武東勇希」と表示されている。
だけど、それが現実感を伴うまでには、少しだけ時間がかかりそうだった。
「おいおい、そんなぼーっとしてる場合か?」
天保が肩を叩く。
「これはもう、新人歓迎パーティーでも開くべきじゃねぇか?」
「ちょっと待て、私は認めたわけじゃないわよ?」
雫が目を細めながら、しかしどこか楽しげに笑う。
「まあ、これからが楽しみね。」
その言葉に、勇希ははっと顔を上げた。
「……はい。」
彼は、初めて実感を持って答えた。
夜は更ける、次の戦いの予感とともに
部室の窓の外には、もうすっかり夜の闇が広がっていた。
「……ふぅ。」
勇希は、小さく息を吐いた。
雫に勝った。
それは、紛れもない事実だ。
だけど、何かが始まったばかりだという感覚も、同時に胸にあった。
「これから、どうなるんだろうな。」
勇希は、まだ少し熱を持ったデュエルディスクを撫でながら、ぼんやりと考えた。
それは――これから、少しずつ確かめていくことになるのだろう。
次のデュエルが、始まるまでは。




