513 聞き耳を立てる
落ち着け、私。
杏子は腐っても選ばれし“運命の娘”。特別な存在なんだから、院に進学するのは当然の流れ。何もおかしいことじゃない。
ほら、それにゲームの主人公なんだから、謎の力が働いて、無条件で進学するのも不思議なことじゃない………………………よね。
この世界はゲームではないと散々否定しておきながら、それは矛盾している?
…………。
まあ、それは置いといて―――……
そもそも、杏子は杏子、私は私。比べる事が間違っているのよ。杏子がいわゆる推薦で進学するなら、私は一般入試で進学すればいいだけのこと。
「あんずちゃん、進学組かー」
「そりゃあ、聖女様だもんな。学院が手放す訳ないって」
「それより聞いたか? ロ組の白根が魔道工学の教授のゼミに勧誘されたらしいぞ」
「白根って、入学試験トップの方か?」
「そう、兄の方。弟の方も剣士科からお声がかかったらしい」
「羨ましい。兄弟揃って将来安定じゃないか。あーあ、俺も院生になりてー。教授に媚び売っとけばよかった」
「何言ってるんだ。お前なんて無理無理。相当優秀じゃなきゃ目にも留めてくれないって」
ヘ組はいつの間にか進学の話題に染まっていた。つい、耳を欹ててしまう。
そうか、白根君も進学が決まったのか……優秀だもんね。弟がいることは知らなかったけど。
私も成績は悪くないと思うんだけど……な。
だって前期の試験一位だよ! でも、印象が薄過ぎるのかどこからも声が掛からない。
あーあ、私にもどこからかお声が掛からないかなあ。
無理か。
私は地道に試験を頑張るしかないな。
「ああ、そういや……今年の進学試験、中止だってな」
は。
は?
はぁ!?
その後のことはよく覚えていない。
講義など碌に耳に入る訳もなく、気が付けばとぼとぼと廊下を歩いていた。無意識の内に選択講義の教室へ向かっていたらしい。
習慣って怖い。
この先には中庭があって、そこを抜けると目的の教室へ近いのだ。以前、精霊達に騙されて、偶然見つけた抜け道である。この辺は教員も学生もほとんど見かけることがなく、いつも閑散としている。年季が入ったボロ……重厚な建物なので、教務棟や講義に使用されていないのかもしれない。
それにしても、進学試験が実施されないってホントかな?
学院側から正式発表がされたわけではないし、単なる噂だよね。
うん、きっとそうだ!
そう信じたい………………。
「あれ?」
顔を上げた私の視界の奥を見覚えのある小柄な姿が横切って行った。
董子だ。
董子の行動を把握している訳ではないけど、今までこの辺で見かけたことがないので、選択講義の教室がこの辺だということはないだろう。
では、何故こんなところに?
―――何か違和感。
私は咄嗟に董子の跡を追っていた。
董子は薄暗い廊下を迷わず進んでいく、いくつかの角を曲がって、階段を上って……
いや、ここどこ?
すっかり方向感覚を失った頃、董子はある部屋に入っていった。
目の前には重厚な木製の扉。
この建物は確かに古ぼけているんだけど、よく見たらとても高級感がある。この階なんて、深紅の絨毯が敷かれているのだ。まあ、結構擦り切れてはいるんだけど……
董子が消えた扉にそっと触れてみる。
「あ……」
扉がすっと内側に動いた。長年酷使されたと思しき扉は、ラッチ部分がかなり擦り減っているようだ。
耳を欹てる。
人の気配はしない。
ちょっとだけ中を覗いてみる。
そこは薄暗い狭い空間で、窓はなく、天井には球状の照明がぶら下がっているものの、明かりは灯っていない。何も掛かっていない外套掛けがあり、その横にはまた扉があった。こちらの扉はさすがに閉じられていたが、鍵穴から光が漏れている。
コクリ…と唾を飲み込む。
これは覗けと誘っているよね。
覗き見なんてみっともない?
いや、だって、やっぱり気になるじゃない。董子はもしかしたら、ゲームのように魔王の手下かもしれないんだよ。
世界を救うのは“運命の娘”である杏子の役目で、私は本筋には無関係のモブのモブだけれど、この世界が滅亡するとしたら、私だって当事者以外の何者でもないよね。
だから私には、董子が魔王の手下に成り下がったのか否か、確認する必要があるわけで……
何だかんだと心の中で言い訳しながら鍵穴に顔を寄せると、切り取られた視界にテーブルとそれを挟む形で配置されたソファーが見えた。まるでどこかのお屋敷の応接間みたいだ。そのソファーに向かい合って座っているのは、董子と……野茨先輩。先輩の背後には、高砂先輩が立哨している。
え……この顔合わせって…………まさか………でしょ………
魔王の手下かも……なんて思いつつ、どこかで本気にはしていなかった。
「……だから……ですわ」
扉の向こうから声が漏れ聞こえる。
「いつまで…をお迎えする……を続けな……りませんの? これ……お待たせする……いきませんわ」
「う………はせっか……ね」
「だって……り返し…飽きた……もの。もうお迎え……環…は整っ……すわ」
良く聞き取れない。
私は会話の内容を聞こうと、鍵穴に耳を寄せる。
「そう、それ…、決行…いつですの? 明…? 明後日?」
「まあ、焦らないで。ちょうど……をお迎えするのにお誂え向きの……巡ってまいりましたのよ。近々聖女任命……があるとか……、まさに……をお迎えするに……ではありません?」
「ついに時が……のですね」
「歌姫が……れた今、慎重に事を運ば……ばなりませんわ」
近々行われるって―――聖女任命式? そこで何かを―――まさか魔王を降臨させようというの?
さらにグイッと耳を扉に押し付ける。
「………そう、聖女任命式で主上をお迎えいたします。邪魔する者は排除なさい」
「シッ」
カツカツカツ。
こちらに近づいてくる足音。
ま、まずい!
私は物音を立てないようにそろそろと、しかし可能な限り急いで廊下へと後退し―――
ギィ……バタン。
「あ、……」
しまった!
ラッチのすり減った扉が完全に締まることなくギィギィと揺れている。
とにかくこの場から駆け出す。
排除とか、何か物騒なことを口にしていたよね?
何だか捕まったらまずいような気がする。直感がそう告げている。
もう音とか構っていられない。とにかく逃げる。闇雲に走る。
廊下を直進し、角を曲がる。階段を駆け降り、また廊下を駆け抜け、突き当りを曲がる。また走り……
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ここまで来れば逃げ切れ……
タタタタタタ……
「ひぃっ」
足音が追ってくる。
私は思いっきり駆けだし……無理。もう走れない。
とにかく何処か隠れるとこ!
私の視界には長い廊下と両側の壁に並んだ古ぼけたドア。死角が無いんですけど!
どこか………
「!」
突然、私の身体が後ろに引き倒された。
「#$%&!」
誰かの手が私の口を塞ぎ、叫びにはならなかった。




