第九話「塔ノ岳~鍋割山・曇天その1」
日付変わって深夜十二時。ベッドの上で横になって見上げる天井。退屈を持て余していた時に光った枕の横、携帯の画面。私はすぐさま手を伸ばす。
高山:ごめん、今日も山に登るからログインできん。
「はぁぁぁぁぁぁ」画面に表示された文字に自然と出るため息。もはやため息かどうかも怪しい。
高校時代から一緒に色んなゲームで遊んできた同級生、高山昇太はどういう風の吹きまわしか、急に登山にはまり始めた。何が良いんだか私には分からない。もともと体育が苦手どころか体を動かすのだって億劫な私だ。そんな登山なんて私の苦手分野の結晶体みたいな趣味、仮に「お前もどうだ?」なんて言われようと全く以てごめん被るというものだ。
でもそうなってくると、私は暇を持て余す。今のご時世オンラインゲームが主流だ。名作RPGだってオンライン要素を詰め込んで市場に展開している。最近の話でもない。
オフラインも嫌いでは無いが、人と一緒にやらないと長く続かない。オフライン世代の人が聞いたら笑うか呆れそうなな性格をしている。
もちろん高山がいなくたってゲームはできるけど、ボイスチャットを通じてって意味では高山がいないとできない。コミュ障でもある。ええとこなしやん。
都合が合えば他の友達と遊びにも行けるけどそれはひと月に一回、あるかないかだ。どのみち、毎日の暇を潰せる相手と言ったら皮肉なことに異性である高山のみ。他の異性とか、正直やってける気がしないです。
「そんな楽しいものなのかな」
疲れるだけじゃん。登って何になるのさ。ふと、高山が登山を楽んでいる理由が知りたくなって、彼のSNSを覗いてみた。思えばそれがすべての始まりだった。
天気予報は曇りのちちょっと晴れて曇り。登山のコンディションとしてはいまいちだが桐生との都合をつけるためにはあまり逃せない日程だ。会長はといえば武甲山の帰りの車中で「私はいつでも空いてるから」と言った。
「いや、この中で言えば一番会長が忙しいんじゃないの?」
「ふふん」あくまで得意げに会長が鼻を鳴らした「高山、それは固定観念ってやつだよ」
「そういや高山に話してなかったのか。会長今無職だぞ」
唇を噛んだまま何も言えなかった。それは……触れていいやつなんですか?
「気にすんなよ高山!今充電期間中なの!バッテリーチャージが終わったらまた就活始める気だからさ!」
「あぁ……そうなの」
しかしあの将来を有望視されていた会長が無職とは。おそらくいろんな理由があってのことだろうけど人生本当に何があるか分からないものだ。
「ちなみに桐生はフリーターだぞ。高山は会社員なんでしょ?」
「まぁ会社員の前にブラックが付くけど」明日も朝早くから夜遅くまで。休みがあるからまだグレーの範疇と半ば感覚を麻痺させながら働いている。
「とにかくこの中では高山が一番成功しているわけだ」
成功というのかそれ。辞められるならすぐにでも辞めたいくらいなんだが。
「ってことだ高山。あたしたちのために財布の紐緩めとけ」
「少しは遠慮って言葉をだな……」
とにかく、車は今、神奈川県は秦野市に向けて高速を走っている。案の定朝日の恩恵は得られず、どんよりとまではいかないが晴れる見込みのない曇り空が広がる。あれから車をメンテナンスし、バッテリーもオイルも交換してきた。どちらも結構ギリギリだったらしい。車のパンクが幸いしたというべきか。
集合時刻は武甲山の時と同じ。駐車場と登山口のある大倉バス停の到着予定時刻は七時前といったところか。
車は高尾山ICを通り過ぎる。高速で来ればあっという間じゃないか。比較的新しくできたこの圏央道は非常に便利な高速道路だ。高尾山にICができる前には何やら一悶着あったらしいが、アクセスの良さに磨きがかかったので反対派には申し訳ないが出来て良かったと思う。
圏央道から東名高速へ。それから割とすぐの秦野中井ICで高速を降りる。秦野市に入った時の看板には登山者が描かれていた。これが丹沢山系、登山の名所か。
なだらかな坂を市街からゆっくり登り、予定通り、大倉バス停前には七時前の到着となった。バス停前の有料駐車場で車を止め、各々のザックを下ろす。
「あぁー!猫ちゃん!また会ったねー!覚えとるかー!よしよし」
会長がザックを置き去りにしたまま駐車場でたむろする猫へと駆けていく。人間が走り出したのに全く逃げるそぶりを見せないこの猫は余程人慣れしているか放し飼いの猫なのだろうか。腹を見せるわけではないが箱座りのまま動くことは無い。
「桐生!ほれ!前に撮った写真あった!この子だよ!撫でなくていいの!?」
「いや……別に……」
「えーなんでよ!今更不良ぶったってもう高山はいろいろギャップ見てて慣れてるよたぶん!」
ああ、そっか。そういうとこね。不良が捨て猫に優しいみたいなね。大丈夫。俺もう桐生がそんなことしてたって驚かないから。
『んだ手前ら。西中の男どもが何の用だってんだよ』
なんとなく振り返る過去。あれはたしか帰宅途中の空き地で見たような気がする。ふと視界に入ったその場所に早退したはずの桐生とその前に立ちはだかる他校の男子生徒四人。日暮れ時、立ち入り禁止と書かれた看板の向こう。当然のように血の気の多い奴らが集まっていた。
『てめぇ翔也の彼女ひっぱたいたんだってなぁ!』
『いくら女でも俺の女に手ぇ上げる奴は許さねぇからな!覚悟しろよ!』
昭和か。内心突っ込まざるを得なかったが、同時に他人事ながらビクビク怯えていた。
『誰のこと言ってんだかわかんねぇよ……めんどくせぇ。それでカッコつくと思ってんのか?』
学校指定のジャージ姿の桐生は堂々としたいでたちで他校の男子を睨みつけていた。レベルの差というか、必要以上の声を上げる男子はきっと桐生にビビってんだろうなくらいには、そういう世界と無縁な俺にも分かった。
関わりあいたくないから帰ろう。そう思う一方でこの顛末を見てみたかった俺の足は動かなかった。
『どう許さねぇんだ?見せてみろよおい』
『覚悟しろや桐生!』
いや、だから昭和か。
殴り掛かったリーダー格の翔也君を足払いで転ばせると砂利道に転がる頭を踏みつける。『ぎゃっ』直前の威勢とは真逆の情けない悲鳴。分かる。めっちゃ痛いと思うもんそれ。っていうか早すぎだろ今の。桐生が強いのか翔也君が弱いのか。たぶん前者だ。
『次』
怖えよ。いまだ翔也君の頭を踏みつけたままで、明らかに喧嘩向きではない桐生の百三十五センチの身長が前傾で残りの三人を威圧する。
『女だからって手ぇ抜かねぇぞコラ!』
『だからやってみろってんだろカス』
タイミングを合わせたカウンター。身長差の利か、小さな拳が深々と相手の腹を抉った。思わず『うまい!』と口走りそうになるくらいだ。
『うぷっ』
あーらーらー。今日食べた給食が出ちゃった。
『次。さっさとしろ』
怖気づく二人が同時に桐生に襲い掛かる。時代劇の殺陣かな?なんかここまでいくと本当に現実感がない。
桐生はいつの間にか拾い上げていた比較的大きな石を迷うことなく顔面へと投げつける。ああ、すげぇ音が鳴った。投石に躊躇したもう一人はその挙動の隙をつかれ、顎を打ちぬかれた。
強い、強すぎる。桐生の体格からして四人組の方が力はあったのだろうが、そこはスーパー問題児。教師や親に怒られたらどうしようという躊躇が一切ない。
いくらムカつく奴だろうがデカい石を本気で頭めがけて投げる奴がどこにいるというのか。幸い痛がってるところを見るに死んじゃいないようだが。
『っ……桐生さん後ろ!!』
あれ、叫んじゃった。だって翔也君が起き上がってたんだもの。さすがの翔也君も構わずに桐生の頬をグーで殴った。
『もう許さねぇからな!!』
切れた頬から血を吐き出した桐生に躊躇なしの二打目が襲い掛かる。割って入る俺、計画性は皆無。後ろから教科書のつまったスクールバッグで翔也君の後頭部を殴る俺、騎士道精神はいずこ。重い音が響いて翔也君が顔面から前に倒れる。ああ、やっちまった。手足が異常に震え始めた。
『……高山?なんでてめぇが』
桐生は驚いたようには見えなかった。ただ俺を睨みつけていた。
『いいから桐生さん。逃げようよ』
『ふざけたこと言うな。あたしはまだ満足してねぇ』
狂戦士かな?でもそんなことより俺が彼らに手を出してしまったことがまずい。顔を見られる前に一刻でも早くここから立ち去らなければ。気づけば俺は桐生の手を強引に引いて走り出していた。
『ちょっ……ふざけんなお前!どこ行く気だよ!』
『とりあえず!遠く!できれば人目の多いとこ!!』
思い返せばよくもまぁあんなマネができたものだ。女の子がリンチされるのを見たくないとかそういうありがちな正義感でもあったのだろうか。
確かそれからライトをつけた自転車が横行する住宅街まで走ったのだっけか。
『助けてくれてありがとうとか言うとでも思ったか?』
『いやっ、今、そんなこと、どうだっていい、あれ、俺の顔、あの人たちに見られて、ないかな。どうだろ、その辺、いや、マジで』
その時の桐生の一瞬だけ綻んだ顔はうすぼんやりと覚えている。
『だったらてめぇだけで逃げりゃ良かったじゃねぇか』
『あっ……そっか、それもそうだ』
『ばっかじゃねぇの』
思えばかつてまともに話したのってあれくらいかもしれない。結局本当に礼を言われなかった。この際だからあの時の礼を今言ってもらうってのはどうだろう。一割くらい言ってくれそうな気がする。
後で聞いた話では桐生のことが気に食わなかった他校の女子が、桐生に殴られたとでっち上げて男どもを招集させたらしい。「やってない」と言えば助かるわけでもなかったのだろうが、桐生はその旨を話すことはなかった。立ちはだかるものはぶっ飛ばすのみってところか。男よりも漢らしい。
そんな漢の中の漢系女子、桐生明日香は猫の愛くるしさに負けたのか、しゃがんであごを撫でていた。
「お前はおとなしくていいなぁ」
「ねー。やっぱ人慣れしてんだよこの子」
一体全体何があってこんなに丸くなったんだ。まぁ一般人の感覚からすればまだ角が多いのだろうが。
「あ?何ニヤけてんだ高山」
「いやぁ、言わずもがなでしょ」
「覚えとけよ」
午前七時半。秦野戸川公園。あれ、まだ登山口ですらない。っていうかさっきから場所が変わってない。
結局猫との戯れで十分近くをロス。それから大倉バス停前にあるここ、秦野戸川公園で意味なくぶらぶらする。
というのもこの公園、広くて綺麗。すごく綺麗。埼玉ではなかなか見ない規模の公園だ。正面には風の吊橋という大きな橋が架かっていて、ここから左手の丹沢山塊を見るだけで満足してしまいそうだ。吊橋の下にも公園の広場が広がり、川まで通っている。吊橋自体、結構な高さで架かっていて、山塊から吹き下ろす風は冷たく心地よい。
秦野戸川公園にはビジターセンターがあり、その正面のベンチではバスから丹沢までやってきた登山客が登山の最終準備をしていた。
おじさんがよにん、とざんぐちまであるいている。ぼくももういかなきゃ!
ビジターセンター前には早くも道標が。さすがは登山の名所。高尾山張りに手厚い。
「どっち行くんだ?」そういえば行先は聞いていなかった。丹沢というのはこの辺りの山の総称であるということは調べて分かったことだ。
「今日はどっちも行くよ。最初に大倉尾根から塔ノ岳を目指して、そっから鍋割山に行く感じだね」
「じゃあ今日は結構長い?」
「ああ。お前の体力次第だけど武甲山のようにはいかないからな」
そりゃあ結構なことで。
そうして始まる丹沢山系、塔ノ岳~鍋割山縦走。『そりゃあ結構なことで』なんでそんなことを思ってしまったのだろう。桐生はあくまでまじめだった。そう思ったのは登り始めて割とすぐの事だった。大倉尾根はゆっくりと、着実に牙を突き立てていく。
始まりました大人気の丹沢山塊。これからたぶん高山君目線で「地獄だ」って感じで進めてくんですけど、筆者は好きです。丹沢。何回でも行きたい。いいとこですよね。バカ尾根含めても。
ってのも前々回の登山で奥多摩に丹沢より厳しい地獄を見つけてしまったからなんです。あそこにくらべりゃ丹沢なんて……と言いたいとこですが辛さのベクトルが違うので丹沢もそこそこつらい。詳しくは「奥多摩三大急登」で検索!まぁいずれこっちでも書きますわ。
感想ちらほら頂いてます。ありがとうございます。やっぱ山が好きな人は心が優しいね。
自分は他人に厳しいなって人は山登ってほら。自然が厳しい分、人にやさしくなれるからさ。




