第十話「塔ノ岳~鍋割山・曇天その2」
高山のアップした写真が目に入った時、私の胸は高鳴った。
といえばなんか「行ってみたい!」っていうポジティブな感想に聞こえるが現実はそうじゃない。
「はぁ?」
なんだあいつ。脈打つ心臓が黒い血液を放出させるような感覚を覚えている。渦巻く暗雲。募るのはたぶん嫉妬心。
武甲山山頂と書かれた石の横、並ぶ男女三人。高山と……会長……それから……
「桐生……明日香……?」
なんでこの三人?どういう接点?高山は私の知らない間にこんなレア人間たちと関係を持っていたの?いつ?どこで?なんで?
沸き上がる疑問を写真の中の男に刺していく。
なんて顔してんだ。まんざらでもなさそうな表情。そりゃ楽しいでしょうよ。会長は言うまでもなく人気だったし、桐生さんだって中学生の頃から「性格が良かったら迷わず告ってる」って男子に言われてたの知ってるし。登山が楽しい?美女に囲まれて浮かれてるだけじゃん。
固めた握り拳が熱を帯びる。けれどその握力は次第に下がって、ついには中途半端な空間を作っていた。
「まぁ、そりゃそっか」
高山でも私とこの二人だったらこの二人との時間を選ぶだろう。当たり前の話だ。最近なんだかいい感じかもって思ってたのはどうやら私の勘違いだったらしい。
「馬鹿だなぁ」
そうと決まったわけでもないのに涙なんか流すなよ私。でも、悔しいんだ。初めてだよ。こんなに悔しいって思ったの。
私との時間が楽しいわけじゃなかったんだ。高山だって暇を潰すだけの存在としか思ってなかったんだ。私だってそうだと思いたかったけど、震える胸中がそれを否定してる。
すべてにおいて自信はない。顔も身体能力も勉強も運動もスタイルも性格も全部全部そこらじゅうにいる人の方が上だって分かってる。色んなことを諦めてきた。壁にぶつかれば「仕方ないことなんだ」って引き返してきた。いつしか悔しいと思う感情を忘れていた。
だからこんなに悔しいと思えたことを尊重して私は拳を固めなおす。
SNSのページを乱暴に履歴から消し去って、ブラウザでかける検索「登山 初心者 必要なもの」。
まだ終わってない。始まってもない。自信の無さで諦め切れるものじゃない。できれば、いや、絶対に譲りたくない立ち位置の奪還に挑む。
二人の前でどんな顔してたって構わない。その面を殴りに行くつもりで向かうから首を洗って待っていろ。書きなぐった登山に必要なものリストを手に、私は家を出る。
大倉尾根は道標からしばらくアスファルトの道路を歩いた先にある。鬱蒼と生い茂る林の中をまっすぐ貫く狭い道。これが始まりだ。
すでに数人にいる先行者の背中を追いながら歩き始める。まだ山道らしくはない。勾配はあるが小さなもので、まるで某猫型ロボットアニメの裏山の散歩道のようだ。そんな裏山、どこにあるんだって話だけど。
少し進むとヤマビルへの注意喚起を促す看板が立てられていた。首に巻いたタオルに出来るだけ隙間がないよう意識する。
『丹沢は雨季にヤマビルが発生することで有名だからね。ヤマビルに噛まれても痛みがなくて分からないから肌の露出は最小限にした方がいいよ。靴下を丈の長いものにして、できれば隙間から入られないようにズボンの裾を入れちゃうくらいがいいね。首元とかはタオルを巻いておくこと』
『そんな注意しなきゃいけないくらいいるのか……?』
『至る所に注意喚起の看板があるし、丹沢といえばヒルってくらいにはいるよ。まぁシーズンは少し先だけど、ヒル自体は春ごろから動き始めてるからね。市販のヒル避けスプレーを買ってもいいし、劣化するからきちんと処理しとかなきゃだけど塩水をあらかじめ靴にかけとくのも予防方法の一つだよ』
ヒル。別に命の危険という意味では大したことはないのだが、ヒルに血を吸われるという経験はしたくない。気持ち悪いじゃん。言われた通り、肌の露出は最小限にしておいた。
尾根の傾斜はどんどん上がっていく。それとともに景色も高くなる。大倉尾根にも九十九折はあるがその印象は薄く、ただ一方向に尾根道が伸びていく印象の方が強い。単調だが、進んでいるという実感は保てる。
駒止茶屋という小さな小屋まで登ってくると一度景色が拓ける。振り返るその先、街はすでに小さく、登山気分全開だ。ここまで約一時間。呼吸は安定している。まだまだ経験が浅いとはいえ、高尾山より成長したと思えた。
「ご満悦のとこ悪いがまだ全然先があるぞ」
「いや、分かってるけど」
「鍋割山経由で大倉バス停まで戻ることを考えると十分の一も行ってないよ」
「はいはい。まだまだ行けますよ」
余裕を醸してみたが、会長の十分の一も行ってないという言葉に少なからず落胆を覚えた。
「ちなみにバカ尾根って言ってたけど、この道のこと言ってんの?」
「そだよ。この大倉尾根ってのがそう」
歩きやすさという意味では個人的に評価したい道なのだが、どうしてそんな不名誉な名前がついてしまったんだろうか。そう尋ねようとした時には会長はスマホのGPSアプリを開いていた。
「塔ノ岳山頂までは……そうだね、あと五分の三はあるね。とにかくこの大倉尾根ってのは7キロにもわたる長い長い尾根なんだ。んでもって長い分急登の数もかなりある。鎖場みたいな難所もなくて、ただただこの長い距離を登らされることになる尾根だからバカ尾根って名前で親しまれてるんだね」
「愛称なのか……それ」
登山者はツンデレか。でもってたぶんマゾだ。めんどくさいタイプのヒロインだ。
駒止茶屋から三十分ほどでまた小さな小屋に出る。先行者の一人がお茶を飲んで休憩していた。
小屋の先はなだらかでよく拓けた平坦な尾根道だ。登るというよりも歩くと言った方がいい。
ところで景色は真っ白です。分かってはいたが、それほど登ってきたわけでもないのに林の先は雲の中だ。額から流れるそれが汗なのか霧由来の水分なのか迷うぐらいには湿気が激しい。夏でなくて良かったと思うばかりだ。
「天気よかったらこっからでもいい景色なんだけどねぇ」
「どのみち高山は景色見てる余裕もねぇよ」
それぐらいあるわ。……まぁここに来てようやく。ベンチにザックを置いて水分と行動食の補給。スマホに入れたGPS機能付きの登山用地図アプリを開く。うわぁ、見なきゃよかった。頂上まだ全然先じゃん。
平坦な尾根道が続き、呼吸が整ってきたところで現れる長い階段。すげぇ、先が見えねぇ。階段の終わりは靄の向こうだ。頭の中でレッドツェッペリンのイントロが流れ始める。まさに天国への階段。
「まぁちゃんと階段があるからいいんだけどさぁ」
「そうだね。丹沢は基本こんな感じで階段とか木道を歩いていく登山道だから歩きやすいよ」
「それは助かる」
「登山者がやたら多いからな。木道は登山者のためじゃなくて植生地を守るためのもんだ。道譲る時以外はきちんと木道の上を歩けよ」
「うい」
この平坦な道からの階段歩きという飴と鞭のコンビネーションは続く。どれだけ登っても現れる階段。あと木道。歩き通しだ。道が単調な分、休憩を取るタイミングも図りづらい。辺りを見渡しても靄ばかりで自分がどこまで登ってきたのかすらもわからない。五里霧中の山行が続く。
道が整備されているからまだいいものの、これが獣道のような登山道だったら遭難していただろう。首に巻いたタオルも汗だか水分だかを吸収して重くなっている。平坦な道が時折挟まるので辛いのかそうじゃないのかも分からない。
急登を死にものぐるいで登り終えた先にそれはあった。他の登山客もベンチに腰下ろす、良く拓けた広場、花立山荘。それが地獄と天国の境にあることとはつゆ知らず、設けられたベンチに座ってビスケットを頬張る。
「いやぁ……結構つらいな急登続きのバカ尾根って」
二人は何を言うことも無くそれぞれ行動食を貪って隣に腰掛けている。二人が何を思っているのかは知らないが俺は相も変わらずのガスの中、バカ尾根の辛さを熱を上げた足に感じていた。
酷い勘違いをしていたと思う。俺はまだバカ尾根の急登たる急登を登ってはいなかった。
ふと気になって(嘘です。高頻度で確認しています)どれくらいの人が読んでくれてるのかなって思って閲覧者数見てみたんですけど400人の方々が見てくれてるみたいです。これはつまり登山趣味をお持ちの方やこれから登山を初めてみよっかな。って人が400人いるってことでいいんですよね。スゲー!
それは冗談としてもこれから登山を始めるなら今が良いんじゃないかなって思います。これから梅雨入りなのがあれですけど、晴れた日には低山を登って、夏からどんどんレベルアップして夏~秋の登山シーズン満喫しちゃいましょうよ。筆者は週一くらいのペースで登ってるんで、それと同じかそれ以上のペースで登ってけば今からでも山開きと同時にアルプスにも行ける!
まぁ、アルプスだけが登山じゃないので自分の体力と装備と経験にマッチした山選びはしましょうね。




