第十一話「塔ノ岳~鍋割山・曇天その3」
学力、体力、容姿、エトセトラ……ステータスの低い私の人生は壁だらけだ。乗り越えられない壁ばかりが目の前に立ちはだかっている。
駅で見た何かの広告には「壁をぶち破れ」とか「可能性は無限大」とか、一体どういう生き方をしてきたらそんな物言いができるのかわからない文字が書いてあって、目に入るたびに私をイラつかせた。
こういう文言は少しばかりの努力で壁を越えることができる人間に響くもので、少なくともそういう人間の前にあるのはこれを越えようと思えるくらいの高さの壁なのだ。
私はそうじゃない。手がかりも足がかりもない、垂直で自分の遥か上を行く高さ。こういう壁ばかりだと越えようとすら思えなくなる。根元からとっくにへし折られた希望。代わりに諦観が実を結んでいる。
物心ついた時から私は自らの手で壁を築き上げていた。
どうせ越えられぬのなら、ここで留まっていよう。挑戦とは無縁の暮らしで生きれるところまで生きていこう。それも人生の選択のうちだ。
それで孤立したわけでもないけど、かといって私の壁を叩く人間もいなかった。
気づいたら私の壁の中に一人の青年がいた。
「あれ、吉岡のやってるの最近リリースされたゲーム?」
席替えで隣になったのは意識したこともないクラスメイト。どこの中学校からやってきたかも分からない彼はなんとなく教室内で見たことがあった。それだけの存在だ。
「ん、まぁ、そう」
スマホの画面に映った極彩色のキャラクターイラスト。見られるのは正直恥ずかしいが今更どうしたってことはない。今の時代そこまで物珍らしかったり軽蔑の対象になるものでもないだろう。この流れは、
「俺もやり始めたんだけどさぁ……結構ガチャ厳しくね?」
だろうね。
「まぁ感覚的には他のソシャゲより出づらい気がするけど……ほらSSR」
「えぇー……マジか。課金?」
「無課金」
「マジかぁ……吉岡意外と持ってんなぁ」
あれ、意外と普通に会話できてんじゃん私。
「他はなんかやってたりするん?ソシャゲじゃなくても」
「兄貴がFPSやるから私もちょっと齧ってたりするよ」
「吉岡案外レアな女子だな」
「まぁその辺にはいないよね」
どの口が言うんだろう。でもたぶんそうだ。主観だけどこんな女子あんましいない。でもって需要もない。
「じゃあよかったら今度休みの日にでもやろうぜ。言っとくけど、俺まぁまぁエイムに自信あるよ」
得意げな顔の彼が高山という名前であることを数時間後に知った。そのうん十時間後には彼の腕前がそこまででもないということも知った。
誰の人生に深く関わることもないだろうと思った私は、少しずつ彼のいろんなことを知っていった。もちろん長い月日をかけて。
それなのに。
それなのに。
それなのに。
桐生明日香は高山が辛い食べ物苦手ってこと知ってるのだろうか。高山が犬より猫派ってこと知ってるのだろうか。会長は高山が意外と洋楽好きだってこと知ってるのだろうか。高山がめちゃくちゃ怖い話苦手なの知ってるのだろうか。
私は知ってる。桐生明日香よりも、会長よりも高山のことを。だって色んなことを話してきたから。でも実際に会って話したことってそんなないかも。誰かにそんなところ見られるのはちょっと恥ずかしいって思って断ってきた私のせいだけど。
だから会いにいってやる。次の登山にでも無理やり割り込んで入ってやるのだ。
気づけば私は自宅から二駅先の駅に降りて、登山用品専門店にいた。コミュ障だと自覚してきた自我を捨て去って、その辺を歩いていた店員さんを捕まえる。
「す、すいません!!や、山登りたいんですけど!何持ってったらいいか教えてください!!」
私らしい目も当てられないような躓き。電車の中で、書きなぐったメモを家に忘れてきたことに気づいた。
花立山荘を発った俺はすぐにその道の変化に気づいた。
「あれ……なんか……勾配キツくなってね?」
また天国へ続きそうな階段を登っている。ここで根をあげたら周囲の笑い物だ。俺たち以外に登るのは中高年の登山者ばかり。誰も皆無言で頂上を目指している。
「そうだね。特にこれからはザレ場があるから気をつけなよ」
「ザレ場?」
「要は砂利道ってこと。この石の大きさが上がるにつれてガレ場だとかゴーロって名前が変わってくんだ。特に登山者が多い山だから下から登ってくる人に石を当てないように慎重に登ること。もし落石が確認できたら『ラーック!』って叫ばなきゃだからね」
果たしてザレ場を登る際にそんな余裕があろうか。立ち止まれば風すらないが冷たい空気が肌に纏う。
花立山荘から発って三十分。おそらくは此処一番の急登に出くわす。そこら中に自分と同じくらいの大きさの岩が立ち並び、その間を縫うように登山道は九十九折になっている。見上げるその先、おじさんが軽快に下山してくる。それかなりのスピードで。超人かな?ひとまずは彼が自分たちのところまで来るのを待った。
「おはようございます」
「おはざっす!」
元気に挨拶して駆け抜けていくおじさん。タンクトップに長靴。
無言でその背中を見送る。何も言うまい。もちろんきちんとした装備で行くのが基本中の基本で絶対的条件であるが、こちらがゼエゼエハアハア息切らせながらガッチリ固めた装備なのに、ああいうおじさんがいると自分が大げさに思えてくるのだ。
パジャマ姿で家を出たら装備を整えた登山者に怒られたという小噺すら頭をよぎる。
大きく足を上げながら登る登山道、ここに来てどこに足を運べばいいのか分からない状況が多くなる。登山道は明瞭だが、岩の高低差が激しく簡単には進めない。
「ちょっと先登ってくんね?」
「背の小さい私の方が不利なんだからお前が道示せよ」
「大丈夫!登山は前の人を煽らないのが鉄則だよ」
そうは言っても。会長もわかるだろう。桐生にはオーラがあるんだよ。なんかこう、赤黒いオーラが。背後にいても伝わるんだよ。殺気みたいなのが。
仕方なく時間をかけながらゆっくりと岩を越えていく。足元を掠める霧はまるでゲームの演出のようだ。
這うように岩を乗り越え歩き続ける。足の裏がじんじんと熱を帯びる。まだか。まだ塔ノ岳ではないのか。自分の両脇には「落ちたらタダじゃ済まないだろう」というくらいの尾根が靄の中に見えている。崖ではないのだが踏み入ったが最後どこまでも滑り降りていきそうだ。
「どーよ高山。丹沢は面白いだろう」
「なんつーか、純粋に地獄だな」
「あっはっはぁっ。丹沢で地獄とか言ってちゃ話になんないよ」
「そりゃ分かってんだけどさ」
地獄は体感して初めて地獄なのだ。地獄は今現在の五感と四肢で感じることで初めて地獄なのだ。他人の地獄は共感を誘う文言でしかない。過去の地獄も未来の地獄もそれは思い出や予定に過ぎない。
だから今この瞬間だけ俺はこの大倉尾根を地獄だという権利がある。
「おいお前ら。足元見てみろよ」
桐生がまた久々に声をあげたので足元注視する。いや、なんもないんですけど。
「虫?雨?」
「ばーか。てめえの影だよ」
「いや、影ったって……」
……そういや今日自分の影を見たっけか?
あいにくの曇天、霧は濃く、陽の光も弱かった。それでも足元に伸びる微かな自分の影に俺は後ろを振り返った。
未だ厚い雲と靄の中でその存在を主張するように太陽が見えている。
「うおい高山、左上」
会長が指差す先には雲間からの青空があった。
「会長……これもしかしてワンチャンある?」
「あるね……!」
誇らしげに親指を立てる会長。気づけば急登も少なくなり、山頂まではあと少しとGPSアプリが伝えていた。
頂上に着く頃には空が晴れ渡っている可能性がなきにしもあらず。そうなってくれればこの地獄も天国に変わるというものだ。
足は軽快に運ばれる。塔ノ岳山頂はもはや目前だ。
あくまでも日記の体なのでしょうがないんですが、物語に高低差がないのは個人的に辛いですね。ドラマチックください。日常系アニメとか結構苦行なタイプです。ゆるキャン△は好きです。ヤマノススメは観てないです。でも不思議と聖地巡りしてます。
「仕事から帰ってきてんのに手に汗握るような作品見たくないよ。もっとのんびりしてるだけでいいんだよ」って人も一定数いるみたいだからこれも需要あんのかな。ないかな。これ読んだら山登れよ?




