第四十四話「金峰山~瑞牆山・晴天その1」
桐生と私の関係を一言で表すなら……考えても言葉が出てこない。彼女はどう思ってるか、そんなことは知らないけれど少なくとも私には親友のようなありふれた関係でもなければ、かといって恋人といっても語弊が生じるそんな関係に思える。
高校生活の中で、私たちはそれこそ親友くらいの付き合いをしていた。普通の親友と違うのは、いつどこでも話ができるわけでもないところだ。
なんとなくクラスの友達には知られたくなかった。生徒会長の私が彼女達にとっては不良である桐生明日香と親交を持っているからという保身的な理由でないことは確かだ。
単純にこんな魅力的な彼女を誰かに取られたくなかった。
家族も友達も、桐生でさえも私が大学に行くと信じて疑わなかったから、大学に進学した。あくまで自分でレールを引いたつもりだ。本当はそうじゃないのかもしれない。
名門でなく、一応聞けば誰もが知っているような大学。そこにやりたいことはなかった。そういう選択を取ることでだんだんとレールから外れて行くのは私自身理解していた。
そんな大学生活が始まって、一年生の秋、友達から誘われた飲み会で彼と出会った。
私の向かいに座った、どこにでもいるかと言われればそうでもなくて、町でたまに見かけるくらいの男の人。
長身で髪はいたずらに長くて、お酒を注いでもらったその指は長く細く、繊細な形をしていた。
「楓さん、だっけ?お酒は苦手?」
若干面長な顔がはにかんで言った。
「苦手っていうか……まだ未成年ですし」
「そっか。そりゃそうだよな。どうする?烏龍茶とかにしとく?」
「そうしてもらえると、」
「了解!すいませーん。烏龍茶お願いします!」
恋に落ちるという感覚はよく分からない。ただ良い人だなとは思った。
連絡先を知り合った私と彼はよく会って話をするようになった。
彼はバンドを組んでいて今はライブハウスで客の少ないライブをやって、赤字になったハコ代をバイト代から払っている。いつかメジャーデビューして、日本中に俺の音を聴かせてやる。熱意とともに彼は語った。
目標のない私にはそれが羨ましくて、夢を語る様は輝いたように見えて、桐生と同じくらい綺麗に映った。
ある日、下北沢の小さなライブハウスに誘われた。
「3マンだからあんまし曲数やれないけど来てよ。チケ代は俺が持つからさ」
初めてのライブハウスだった。暗い照明の下、聞いたことないけどオシャレな曲が流れている空間。ベーシストの彼が左手に立つと知っていたから私は最前列を陣取った。
陣取ったと言うと聞こえが悪いけど、もともとお客さんも少ない。他のバンドの顔馴染みみたいなおじさんだとか、たぶん今から出てくるバンドのファンなんであろう三十代の女性とか。最前列もまばらで、どちらかというとお酒を片手に後方で見てる人が多かった。最前列を取るのは容易かった。
照明が一気に落ちて流れ出す曲。他のメンバーとともに彼が現れて、私の前に立つと「ありがと」と声を出さずに言った。
髪を乱したボーカルが歌う。ドラムとともに楽器隊がそれぞれの音を奏でる。歌詞は全部英語で、私にはその曲が孤独を叫んでいるくらいしか分からなかったけど、寂しさの中に滾る情熱を見出した。
ベースを弾く細い手が踊るように跳ねて音を出す。スポットライトに当てられた彼は、飲み会や普段話す時とは違って鋭利なカッコよさを持っていた。触れたら怪我をするなんて言葉もあるけど、それくらいかっこよかった。そのはずだ。
私は、この人のことが好きなのかもしれない。そう思い始めていた。
ライブが終わって、しばらく近くのカフェで暇をつぶして、打ち上げを抜け出した彼と落ち合う。
「今日は来てくれてありがとう。ごめんね、なんかピンと来なかったでしょ。大衆向けの曲やってないからさ」
「そんなことなかったよ。私、こういう音楽初めて聴いたけど、すごくよかった。三曲目のさ、女の子が年上の男性と恋落ちる曲なんて、すごく切なくって良かった。ほらCDも買ってきたよ」
「……すごいな。作詞はやってないから俺も分かんないのに何歌ってるとか分かるんだ」
「いや、別に、分かるところ理解した気でいるからたぶん作詞した人と違う解釈かも」
「そんなことないよ。タクヤがさ、あぁ、作詞作曲ボーカルやる奴ね。作った曲一通り説明してどんな感じでやるのか説明するのよ。だから楓さんの言う通りであってるよ。タクヤも似たようなこと言ってたしさ」
「でも細かいとこまでは流石に……」
「いや、十分だよ。俺たちの思い伝わったよ。すごいなぁ。今までファンの女の子とかとも喋ったことあるけど、楓さんくらい知性を感じる人いなかったもん」
「流石に言い過ぎだよ」
彼はコーヒーを飲んで満足げな表情で言った。
「やっぱり、楓さんは俺にとって特別な人だ」
光栄、というよりどんな感情でその言葉を受け止めればいいのか迷った。でも次に彼が口を開いた時にそれが分かった。
「楓さん、俺と付き合ってくれないかな」
その時の私は失礼な話、彼が私に好意を持っているなんて思いもよらなかった。嬉しすぎて、言葉もなかった。
「……やっぱダメかな?」
「そんなことないよ!私、今日誘ってもらってさ、俊哉君がベース弾いてるの見てちょっと、惚れたっていうかさ。私なんかで良ければ、お願いします」
「……ホント!?ホントに!?マジか!!やった……!!やったよ!」
秋山俊哉。私の初めての恋人だった。
「最近都合つかねぇじゃねぇか。忙しいのか?」
しばらくして、もう一人の特別である桐生と会った。言おうかどうか迷って、言わない理由もないかと思った私は打ち明けることにした。
「彼氏ができた」
「……まさか初めてってわけでもねぇだろ?」
「いや、そういうわけでは」
「まぁ、いいや。良かったじゃねぇか。今までわざと作ってないもんかと思ってたからな」
思った通りのドライな反応だった。桐生は相変わらず桐生のままだ。最近少し穏やかになったような気がするけど、よく考えたら私よりはいくらかストレスフリーな生活を送っているのだ。
「嫉妬しないの?」
「嫉妬する理由がねぇだろ。アホか」
「桐生も彼氏作りなよ。なんだかんだ言って楽しいよ」
「ここで惚気話してみろ。髪の毛引っ張るぞ」
「なんだかんだ嫉妬してんねぇ」
「うだうだ話されたくねぇだけだ。……まぁ、楓の選んだ男だから大丈夫だとは思うが、なんかあったら連絡しろよ。そいつぶっ飛ばしに行くから」
「こりゃあしばらくは彼氏できないな。安心、安心」
「一生言ってろ」
桐生の心配とは反面に、彼はとても優しかった。モテるから、たぶん女の子の扱いに慣れてるんだろう。
誰かのために生きてきた私が、私のために生きてくれる彼に出会えたことは、とても幸せだったように思う。
そう思っていたのは私だけだったみたいで、幸せに思えていた時間も長くは続かなかった。恋とは錯覚だと誰かが言った。私は違う。錯覚でもなんでも本当に愛していた。見ないフリもしなかった。大らかな愛で受け入れた。
私なんかがこうしてフラフラと生きてたって誰かのためにならないから。彼が目標をもって人々に感動を与えるその夢のためなら、なんだって受け入れる、その覚悟でいた。
桐生と出会ってから何かが変わったと思う私が結局何も変わっていなかったと思い知るのはそれから数カ月後のことだった。
またまた一話目から山に登らないスタイル。バンドマンの人、特にベーシストの人、ごめんなさい。でも学生時代は月6ぐらいでライブハウス行ってたんですよ。何も全くの無知でそういう偏見を持ってるわけじゃないんです。また下北沢あたりにライブ見に行くから許してください




