第三十二話「赤岳・晴天その5」
急に視界が開けると、木立の中に鮮やかな色が見えた。八ヶ岳の麓に位置する赤岳鉱泉のテント場である。
「……広いねぇ」
「今日はここにテント張るんだよね」
「そそ。まだ時間早いから赤岳に登ってからテント張るけどね」
赤岳鉱泉に設けられた休憩所では朝食を摂る人がいて、味噌汁でも作っているのか和風だしのいい匂いが漂ってくる。お腹は空いてきたような気がするが、ここで行動食を口にすると余計にちゃんとした朝ごはんが食べたくなりそうだ。
静かなテント場をそそくさと移動して行者小屋へと向かう。ここから少しずつ標高を上げていくので、簡易的でないしっかりとした階段の登場だ。
「ん、なにこれ。なんでマンモス?」
見れば一段一段にマンモスが刻まれている。なぜか既視感を覚えるがどこで見たかは思い出せない。
「アレだよ。アウトドアブランドのロゴマークだ。ここがこの階段を提供したんじゃないか?」
あぁ、どこかで見たことあると思ったらかっこいい山ジャケットを買おうと思って値段見て諦めたやつだ。高品質、良デザイン、高価格。登山をする人にとってこのロゴマークが入った服を着ることは周りに一目置かれるような、そんなブランドだ。たぶん。
階段はそれほどキツくなく、早々と足を進めていく。左手の八ヶ岳にはまるで鬼のツノのような二つの岩が見えた。
「ほれ、見えてきたぞ。大同心と小同心だ」
その岩を指差して桐生が言った。名前なんてあるのか。目を引くと言えば引くが、気にしなければ素通りする人が六割ぐらいいそうだ。
「あそこは登山っつうかクライミングするようだけど登れんだよ」
「えぇ……あんなとこ登るの?」
人間少しでも目を引くような場所があればどこにだっていくもんだなと感心、いや、ドン引きする。思えばこの前の妙義山表縦走路もそうだ。あれは見てるだけでいい。人の登る場所じゃない。
徐々に増えてきたガレはこれからのガレ場を予感させるような、そんな道だ。赤岳鉱泉から約一時間、赤い屋根と、テントの集合体が見えて行者小屋に至る。ここでもベンチに座って朝食を摂る人がいたので、一度俺たちも休憩を摂る。
それにしてもすごい人の数だ。高尾山ほどではないにしろ、本格的な登山の場所というものはここまで混み合うものか。
「にしてもよく晴れたねぇ」
「午後まで持つかどうかわかんねぇけどな」
「これだけ晴れてるのにね。山の天気なんて分かんないもんだね」
天気予報サイトではこの後は曇り。テレビでも山間部は雷雨に注意と言っていた。自宅にいるときは山間部なんて一時間半は車を走らせないといけないので完全に他人事だったのだが、ここを山間部と言わずなんと呼ぶかといった場所にいる。そもそも電波が届かない。
この先へ行けばようやく赤岳の尾根に取り付く。ここまで長かったのは確かだが、来てしまえばそれほど苦ではなかったと思う。そりゃそうだ登ってないもの。未だ快晴の空の下、比較的楽だと言われる文三郎尾根へと足を進めた。
朝の涼しい風の中、あたしは流れる汗とともに行者小屋と呼ばれる山小屋にいた。
もう明日は完全に筋肉痛になるのが分かるくらい、ふくらはぎが妙な振動をしている。
「キツい」
思いは言葉になって漏れる。ここまでの山登りが楽しかったのは確かだ。でもひたすらに登り続けるこの長い長い道は普段から運動らしき運動をしていないあたしには地獄でしかない。楽しさと辛さは交わることなく平行にあたしとともに登り続ける。
軽食を食べて、水分補給をし、息が整ったのを見計らって拓ちゃんは「行くぞ」と声を上げて進み始めた。眼前には巨大な山が広がっていて、目を凝らせば山頂近くに人の影すら見える。
あそこまで登るのか。振り返る登山道、あれと比べればさほど高くまであがっていない。
文三郎尾根と書かれた道標を進むと、一気に森っぽくなった。こんなに緑が広がるのに虫はせいぜいアブくらいしかいない。とりあえずつきまとわれるとイライラする。
「……拓ちゃんは他にも色んな山登ってんだよね」
「まぁ、そうだな。結構色んなとこやってる」
「なんで?なんで山なんか登ってんの?」
純粋にそう思わざるを得ない。良い景色なんて山に登らなくたっていっぱいある。車を持ってるなら尚更だ。どっかその辺に停めて、ちょっとだけ歩いて見れる景色なんて数えきれないほどある。
わざわざ遠くまで来て、車停めて、さらにすごく疲れるような距離を歩く必要はないような気がする。
「そうだな。いつか誰かに聞かれるんじゃないかって思ってた。まさか明日香から聞かれるとはな」
「じゃあ答えを用意してあるんだ?」
「そこに山があるから」
「……言うと思った」
「馬鹿にすんじゃねぇ。これはすごい言葉だぞ。最初に言った人はすげぇよ。山を登ることの意味をこの言葉に全て詰め込んでると思う。いや、マジで」
興奮気味に語る拓ちゃんの言いたいことすらあたしには理解できず、急に登り始めた道に喘ぐばかりだった。
「だって、言い出したらキリがないだろ?なんで海に行くんだ?海じゃなくたっていいじゃねぇか。近くに川があるんだったら川に行けばいい。なんならプールだってあるだろ?」
「だってプールとか川とかより特別だもん」
とくにあたしたち埼玉県民にとっては。
「じゃあなんで特別な所に行きたいんだ?」
「それは……」
大きな休みが取れたから。羽を伸ばしたいから。色々並べて見ても結局はその質問にぶち当たってしまう。
「人間だからだよ」
「……意味わからん」
「例えば熊や鹿が海に行きたいなんて思うか?海に住んでる魚とかカニとかが山に行きたいって思うか?絶対ない。それは人間でない生き物にとって自然とは生活圏でしかないからだ。人間だけが住み良い場所に住まいを持って行きたい場所に行こうと思う。そこに理由はない。なんつうか……なんだろうな。複雑な感情を持ってるからだ。景色を見て感動できる心がある。その心が人を無限に動かす。山や、海、果てはこの空のもっと上、宇宙の真っ暗な闇まで」
「言い換えりゃ欲望さ。自分の知らない景色があるのが許せないって誰もが思ってる。渡航費だとかのお金さえ理由にしなきゃオーロラが見たくないなんて人間は誰一人としていない。欲望の生き物だから彼はこう言ったのさ『そこに山があるから』」
……あやうく納得しかけた。
「それでも辛い思いして登るのは理解できない」
「それはお前が登ってないからだ」
そんな『登ってない』あたしの眼前には登らざるを得ない長い長い階段が待ち受けていた。どこまでも、というか、このまま山頂近くまで続いている。
山の楽しさを理解できるかどうかは分からないけど、とりあえず登ってみよう。少なくとも拓ちゃんはこの長い階段を見て、この世の純粋さをほおに蓄えたように笑ってたから。
「山と孤独のススメ」
この物語では「孤独」をポジティブにとらえている。実際に私自身、そうでもしないとやっていけないくらいには孤独寄りの人間だ。そうした思いが「孤独とは贅沢だ」「孤独を孤独と認めるためにここにいる」といったセリフになって表れている。
こんなことを言うと「かっこつけしーでしょ。独りより大勢の方が強いに決まってる」と、孤独に理解のない連中が宣いそうでもあるが、孤独を知る人間はおそらく彼らより強いはずだ。今日から一番かっこいいのも私だ。勘違いも甚だしい。
私が提唱する孤独には二つのタイプがある。一つは「人がいるからこその孤独」もう一つは「一人でいるからこその孤独」である。この言葉だけではまったく違いが分からないので解説していこう。もしくは誰か分かりやすい名称付けて。
「人がいるからこその孤独」
これは実に分かりやすく、社会的な問題であり、おそらく多くの人が抱える孤独だ。
今やインターネット社会。小さい頃からネットに触れ、小学校に入ればおのずと見知らぬ友人と意見交換する。高校生になれば「ネットの友達がいる」と回答する少年たちは決して少なくないはずだ。
そんなネット社会が作り上げたのがいわゆる「SNS疲れ」という一種の流行り病だ。おそらくこの話の読者が最も利用していると思われるツイッターが分かりやすい判例になるだろう。つーかツイッターくらいしか知らねぇ。インスタ?顔本?なんすかそれ。
例えばフォロワーの数、いいねやRTを求めるがゆえにネタ探しに躍起になって軽犯罪を犯して叩かれたり、思ったようにいいねの数が伸びなくてやきもきしたりする一方で、TLには自分でも考え付きそうな(たぶん無理だ)ネタが4桁、5桁とRTされる。仲の良かったフォロワーが他のフォロワーと話し始めた途端、自分とのリプライがなくなってしまったなどいろいろあるだろう。人の傷をほじくり返すな。
ひっくるめて言えば承認欲求の塊だ。SNSを利用する人、そこで行われるやり取りすべてがそれに等しいものだ。
確かに人間とは承認欲求の塊である。仮にインターネットが発展しなかったとしても自分のアイデンティティは誰かに認めてもらいたいものだ。そうでなければ誰もミュージシャンを目指さないし、ラジオにはがきを送らないし、小説家になろうとか微塵も思わない。成功への原動力は承認欲求が根源にあると言ってもいい。
だがインターネットが発展した今、承認欲求が満たされないために心を病んだりする人の数の増加は顕著だ。おそらくこれを読んだ人の多くも同じようなことで悩んだり、荒んだり、夜の校舎の窓ガラス壊して回ったり、盗んだバイクで走り出したり、いつになれば這い上がれるだろうとか叫ぶこともあると思う。
現在では人と人とのつながり方が多様になって、今までは実感がなかったが、自分の周りに想像以上の人がいることが分かる。裏を返せばそれだけの数の人に自分を知ってもらいたいという欲求は大きくなるも満たされず、そうした人の数だけ別れの機会も実に軽く無数に訪れるということだ。おそらくネットがない時代はここまでありふれた感覚ではなかったはずだ。
これが人がいるからこその孤独である。こんな長い説明する必要もない気がする。
さて、次に本当に言いたいことである「一人だからこその孤独」と「山と孤独のススメ」に行きたいところだがあとがきばっか長くてもしょうがないのでまた次回。




