第二十四話「妙義山・晴天その2」
「見晴台だってよ。行ってみようぜ」
表妙義縦走路・一般登山道への分岐点にはもう一つ分岐点がある。見晴台と書かれた道標からは歩いて数十秒。狭い空間に大きめの岩がポツンとあるだけだ。見晴らしは言うほど良くない。
しかし、見晴台と言うからにはここを登れば良いのだろう。
手足を使い岩によじ登ると、あまりの絶景に言葉を失った。
立ち上がって見る三百六十度の大展望。目下の新緑から天を衝くような岩が生えて、見上げればスケールの違う妙義の各ピークたちが雲を突き刺している。
「なんか、日本じゃないみたいだな」
ぽつりと呟いた桐生の言葉を飲み込む。普段慣れ親しむ日本の風景とは逸脱したここにしかない景色。朝の風が強く吹いて桐生の髪を揺らす。
金色が青空になびくその姿に目を奪われた俺は、意図せず小さな嘘をついていた。
「写真……撮っていいか?会長に頼まれててさ」
「……ったくしょうがねぇなあいつ。ほら、早く撮れよ」
桐生が位置に着くと、その瞬間に強い風が吹いた。スマホの画面には強く吹く風に髪を抑えた桐生が収められている。登った朝日が金色の粒子を彼女の体に纏わせたその画を美しいとさえ思う自分が悔しいくらいだった。
「今のでいいのか?よく映んなかっただろ」
「桐生も映りとか気にすんのか」
「てめぇこの野郎」
「やめろ!ここ柵もねぇんだから簡単に落っこちるわ!」
大展望を存分に堪能して一般道を行く。
見晴台に行く前にも思ったことだが、登山道が狭い。肩をすぼめなければ垂れる草に思いきり当たる。また、左側は岩山なので晴れていても薄暗く、なんとなく心細い。
歩いて数分、第四石門と呼ばれる大きな石のアーチが現れる。自然が誰に言われるでもなく作り上げた芸術作品。その真下に立つとこの門の大きさが際立って見える。
「これ他の門はどこにあんの?」
「地図くらい見とけアホ。後ろに石門登山口ってのがあんだよ。第一〜第三は向こう側だ」
そうなのか。木陰でその道も道標も見えないが、時間があればあそこから帰ってみてもいいかもしれない。
さらに先へ進む。といってもやはり数分。この辺りは見どころ続きだ。寄り道ポイントがたくさんある。またも一般道と別れて大砲岩への分岐があり、そちらへと進む。
道はすぐに無くなって代わりに現れたのが下へと下る鎖付きの岩だ。棒ノ嶺とは違ってそれなりの高さがあり、若干足が竦む。
「いきなり下るのか……」最初に現れる鎖場のイメージは誰だって登りの方のはずだ。
「大した高さじゃねぇだろ」
確かにそうなのだが飛び降りれば死ぬはないにしても怪我は免れない高さだ。先行した桐生に倣って慎重に降りていく。
降りきると道の奥に見える二個目の鎖場。下ったので登るのかと思いきや、岩の側面を伝って向こう側へといくような鎖場だ。上り下りが鎖場ではないということか。
岩の側面を登ると今度こそ上りの鎖場になる。続く鎖場、まるでアトラクションのよう。
「なんか本物って感じするな」ほとんど垂直のように見える岩壁を見上げる。
「大した高さじゃねぇって」それさっきも言ったぞ。
垂直の壁にぶら下がる二本の鎖。立ち往生しながらも手がかり足がかりを探すと大きく足をあげなければいけないところに窪みを発見する。股関節が僅かな悲鳴を上げた。
「いったた……体硬えな俺って」
「いいから早く登れよ」
急かすなと言っとろうに。……言ってないね。
どうにかして岩に這い上がると(自分でもどう登ったのか覚えていない)薄暗かった鎖場周辺とは打って変わった大展望が待ち構えていた。
見晴台よりも確実に高さはあって、また奇妙な形に名札のついた奇岩に囲まれたその場所は見晴台とはまた違った風景だ。
「まだ鎖場あるぞ」
「えっ、あっ本当だ」
天狗の評定と名付けられた岩からまたも鎖がぶら下がっている。どうせならそこまで行ってみようという話になったのだが、そこまでの道が異様に狭く、バランスを崩せば真っ逆さまだ。一般的な登山道で命の危機を覚えるのは初めてのことであり、手をつきながら鎖まで向かう。
「高山、すっげぇ情けねぇカッコだな」
「うるっせえよ」
鎖場はこの前のよりも突起が多く、高さもないので簡単に登りきれる。
景色は変わらないが、まるで船の船首に立っているようだ。
文字通り大砲の形をした大砲岩、落ちそうで落ちないゆるぎ岩、小さなアーチを作る胎内くぐり……あの胎内くぐり、くぐったら崖下に真っ逆さまなんだけど。
「来てよかった。こんな景色が見れてさ。お前と二人っつーから一時はどうなることかと思ったけどさ」
妙義の先端、天狗の評定に腰を下ろす。高度感が凄まじい。半径数メートルから先は崖下だ。
「どういう意味だ」
あくまで桐生は笑って返した。踏みかけた地雷は作動しなかったようだ。
「……でもなんつーか、俺と二人で良かったのか?会長いた方が、」
「別に……あいつは来れないんだからしょうがねぇだろ。ここはバスじゃ来れないとこだからお前がいないとダメなんだよ」
「まぁ、タクシー運転手の役を負ってるのは理解してるさ」
「……感謝くらいしてる。ありがとな」
一瞬だけ鼓動が強くなった。あの桐生から感謝の言葉が出たとかそういうことで驚いたわけじゃない。
その声に、その姿に、あの頃まで持っていたはずの感情を揺り起こされるような、そんな感覚なのだ。
「……それに誰と行こうが結局は独りだ。景色は共有できても感情は共有できねぇ。お前がこれを見て何を思ってんのかも知らねぇし、この景色に何も思わないやつだっているかもしれねぇ。どこまでいっても人間は孤独だってこと、改めて思い知るためにここにいるんだよ」
「……寂しい話だな」
「そうか?でもあたしは満ち足りてる。これがいい。これが好きだ」
皮肉でもなんでもなく、彼女は笑った。
小さな体躯を貫く彼女の太い芯。それは決して揺るがないことだろう。
誰かと生きていくために俺は何度揺らいだことだろう。孤独を受け入れるフリをして誰かに縋ろうとした。大げさなことではないが満たされぬ自分を死に追いやろうとも考えた。それでも生きた。立派なことじゃない。決められなかっただけだ。生きることを決めたわけじゃない。ただいつか来る死を実感も持たずに呆然と待っているだけに過ぎない。
誰に媚びることもなく、自分を貫き通して生きる桐生に憧れていたのは言うまでもなかったはずだ。
ああ、畜生。
分かってる。分かってるさ。もういい大人だ。自分を誤魔化すような歳でもねぇよ。
俺は桐生の事が好きだ。たぶん、ずっと前から。あの高尾山の山頂で出会った時に、心臓が止まりそうになったのは、馬鹿みたいに追いかけていたあの背中に再会したからだ。
それを無下に口に出すこともできないから今の立場に甘んじて傍にいるだけだ。
「そろそろ行くぞ。まだ始まったばっかだからな」
「……ああ。そうすっか」
俺を追い越して色香を残す彼女の背中は、思えばあの頃と何も変わっていなかった。
「朝霧山遭難事故調査報告書」っていう登山ホラーを書いていたため遅れました。半分嘘です。1500人くらいいるなん山の読者様はもう読んだよなぁ?
https://ncode.syosetu.com/n6071fq/
筆者はこれから八ヶ岳は赤岳に行こうと思います。天気がダメみたいですねクォレハ……




