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第十七話「鷹ノ巣山・晴天その2」

 あれから二週間が経った。桐生さんは高山君の言う通りのスーパー問題児というわけではなかった。ただ、威圧的な外見から友達ができるというわけでもなく、休み時間はイヤホンをして眠りこけていた。うつ伏せで寝るわけではなく、頬杖をついたまま眠るので、寝顔をこちらに晒してくれている。ううむ眼福。正直、私は彼女のことを好いていた。

 何か確信になるようなことがあるわけでもない。ただ私と彼女は素行不良と真面目な女という分かりやすい相違以外の何かに彼女との違いを見出していた。たぶんその違いは私にとって羨ましいものであるに違いないと感じていた。


 彼女は授業中もきちんと授業を受けているようだった。眠ったり、誰かと話すわけでもなく、先生からの質問にもきちんと答える。少しばかり問題の難易度が上がっても正解を叩き出す。これには先生も文句を言えず、私はというと実は彼女が秀才なんじゃないかと尻に火がついたような思いだった。金髪に負ける私ではないはずだ。定期テストに向けて早速力を入れ始めていた。




 放課後は部活に明け暮れる。中学から続けていた陸上。私はとにかく走ることが好きだ。というか走っている時間が好きだ。

 余計なことを考えたり考えなかったり、誰の邪魔も入らない時間。間隔の小さい自分の拍動に集中しているだけの時間が好きだ。おかげで中学では校内での記録を出すと言った快挙も成し遂げられた。


「いいタイムじゃないか。一年生でこれは見事だぞ」


 白線を踏んだまだ息の整わない私に陸上部顧問の内藤先生が声をかけてくる。


「お前には期待してるからな。この調子で頑張れよ」


 褒められることは嬉しいが、触るな。


「は、はい。ありがとうございます」


 腕の体毛が濃い、丸みを帯びた手が私の肩を掴んだままだ。いい加減離せ。


 練習後の更衣室で先輩に「向井さん目ぇ点けられちゃったね」と言われた。ご愁傷様とでも言わんばかりだ。


「ってことはやっぱ前からあんな感じなんですか?」


「そうだよ。向井さんの体育の担当、ウチの内藤でしょ?女子の担当なんだけどさ、みんなから嫌われてるよ。セクハラクソハゲオヤジってね」


 カタカナにすると何かそういう名前の生き物のような気がした。


「特に真面目な子は狙われやすいからね。自分が好かれてるとか勘違いしてんじゃない?向井さんもたまには刃向かったりしなきゃ駄目だよ?」


「あぁ……はい……そうですよね」


 それはたぶん無理な話だ。みんなからの期待を一挙に背負って何かを成し遂げるのが私に与えられた役割だと小学校の頃から錯覚してきた。そうする必要がないのは分かっていても、そうしなければどう生きていけばいいのかも分からない。あくまで芯を持った人間という体裁の下、本当のところは他人に依存しなければ生きていけない人間なのだ。

 ここで下手に刃向かって変な印象を持たれたらそれはある意味私にとっての致命傷だ。みんなのために、私のために耐えるべきを耐えなければならない。


「向井は髪切った方がいいんじゃないか?これからの季節炎天下の中で走るんじゃ暑苦しいだろ?それに俺は髪切った方が似合うと思うぞ」


 愛想の良い返事とともに、私は数日後に伸ばしていた髪を切った。


「いや、今年の新入生はお前ぐらいしか期待できないかもなぁ。あぁ、今のは内密にな。あまりにも実力差があるもんだからつい滑っちまったよ」


 脂ぎった手で握られた手は数十分後によく洗い流した。


「いい脚だなぁ。これだけ締まってる脚はお前ぐらいの女子じゃなかなかいないぞ」


 触れられた足を洗うために、シューズと靴下を濡らした。

 嫌悪するべきを嫌悪せず、犬のようにしっぽを振る。こうしなければ、いざ優等生という名のレールから外れた時に私は途方に暮れてしまう。


 ただ、同時に何か一線を越えられたら、と考えると悪寒と恐怖が止まらなかった。常に笑顔を振りまきながら、心の中では助けを求めていた。




 私の、というかクラス内最大の事件はそれから間もない頃に起こった。

 体育の時間中、バレーボールで目覚ましい活躍を見せた桐生さんはウチの顧問の内藤先生に呼び出されていた。耳をすませば頭髪がどうこうと声が聞こえた。いい加減諦めればいいのに。たぶん桐生さんの活躍にわずかながらのやる気でも見出したのだろう。お前は頭髪と教師に対する態度を改めれば素晴らしいのにとかなんとか。内藤先生は顔の良い女子には優しいという話を他の女子や男子からも聞いていた。私にとっては今更の話だ。

 私も他の生徒もどうせいつものことだからと競技に集中していた。その時だった。


「っ……気安く触んじゃねぇっ!!」


 桐生さんの怒号とともに振りほどかれた先生の腕。体育館中の時が止まった。


「桐生!人が指導してやってるになんだその態度は!!」


「それとこれとは関係ねぇだろ!!」


 バレーボールが体育館の床をバウンドする音だけが響く。


「っ……!やっぱりお前はこの学校にはふさわしくない!みんなの邪魔なんだよ!真面目にやってる奴を見てみろ!お前だけが浮いてるの分かってんのか!?浮いてるのがカッコいいとでも思ってんのか!?今に見てろ桐生!お前そのままだとロクでもない人間にしか……」


 桐生さんを見下ろすその顔に、小さな拳がめり込んだ。鼻を抑えながら後退する先生は信じられないことが起こったように、目を丸くしたまま、しばらく声をあげなかった。


「内藤先生!」


 体育館の後方で男子の指導をしていた伊藤先生が駆け寄った。


「桐生!お前何やったか分かってんのか!?」


 桐生さんはまだ怒りに震えていた。でもそれ以上抵抗することはなかった。


「と、とりあえず!お前らは続けてろ!桐生……!着いてこい!」


 そのまま彼女は伊藤先生に手を引かれて私たちの前から姿を消した。

 何度も鼻を拭って手にあふれた血だまりを確認する内藤先生を見て、私は心の中で笑っていた。


 ああ、そうだ。私はやっぱり彼女のことが好きだ。私にないものばかりを彼女は持っている。これで最後にするべきではない。


 間も無くして、桐生明日香の退学処分が決定した。




挿絵(By みてみん)


 蒼天を穿つ稲村岩を見上げる。やはり何度見ても心を奪われる。思えば日原鍾乳洞に行った時もその姿を見上げていた。民家の裏の階段を降りて、橋を渡るとそこからは登山道らしき道が続く。

 早朝の風の冷たさを浴びながら沢沿いにこの稲村岩を迂回しながら尾根道へと登って行くらしい。感慨深いものだ。羨望の眼差しで見上げたあの岩の真下を歩いているのだから。

 多くの鍾乳洞を目的に日原へと来た観光客はあの岩に深い印象を植えつけられるのだろう。でもそこまで行こうとは思わない。むしろ行けるとさえ思わない。どんな場所であれ、登山口というものはひっそりとそこにあって、登山が目的でないのなら道標に気づくこともない。ある意味、登山口というものは人間界と自然界を隔てていると言っても過言ではないのかもしれない。


挿絵(By みてみん)


 沢が終わるとそこから一気に登り始める。奥まで続く傾斜はなだらかに見えて、ふくらはぎが悲鳴をあげていることを見るに急登なのだろう。


「ここは奥多摩三大急登の一つなんだよ。奥多摩三大急登って言っても全く決まってなくて、登る人の感覚で言ってるから実際は十個くらいあるんだ」


「なんか、アバウトだな」


「そう。でもこの鷹ノ巣山稲村岩尾根ルートは必ずと言っていいほど奥多摩三大急登に名を連ねてくるすごいやつなんだ」


「分かりやすく言うと、この前の大倉尾根が七キロかけて千百メートル上がってくのに対して、この稲村岩岩尾根ルートは半分以下の三キロで同じ標高を上げてくんだ。どういう登山道になるか分かるだろ?」


「ものすごい急登になるってことですか」


「登れば分かるさ」


 いや、すでにもう急登なんだよな。写真を撮ってみたが目に見えるほどの傾斜ではないのが残念だ。はやくも喘ぎ始めている。


「うおっとストップ」


 会長が立ち止まる先には大きな倒木が斜めに倒れかかっている。登山道を阻むような倒木はこれまで何度かあったが、これはいつもと雰囲気が違う。

 見れば倒木に張り紙があった。


挿絵(By みてみん)


『危険!倒木には絶対触れないでください!』


 その紙が貼られたと思しき日付からまだ一週間も経っていない。これの意味するところはつまり、


「予定外の倒木ってことか」


「絶対に触れないでってこれ、普通には通れないじゃん。触ったらずずーんっていくやつじゃん」


「どうやって進む?」


「屈むしかねぇだろ」


 背の低い桐生が先陣を切る。


「桐生ストップ!ダメだ!ザックが当たりそう!」


「……めんどくせぇな」


 態勢の立て直し。まずザックを向こうに通してから自分が屈んで倒木を下るというステップを踏まなければならない。これは本当に予定外のことなんだろう。最近のゲリラ豪雨で崩れたのかもしれない。張り紙が貼ってなかったらと思うと本当に恐ろしい。


「しかし静かだねぇ。人の気配ないよ」


 確かにここに入ってから登山者の姿を見ていない。平日だからある程度は仕方ないのだろうが、登山客は駐車場付近で数人見かけていた。後ろから彼らが来ているような気配もない。会長の熊鈴だけが不気味に鳴り響いている。

 今までの登山道と違うところは稲村岩を迂回し始めてから人の手が入ったような所が少ないことだ。道標もほとんどなく、ピンク色のテープが幹に巻き付けられていることと、ある程度道が踏み固められていることから自分が登山道から外れてはいないという確認に繋げるほかない。道迷いというものも十分にあり得る登山道である。


 休む間もない急登が続いてようやく分岐の道標が見える。喘ぎ声混じりの息切れの中、その道標に書かれた文字を読むと絶望すら覚えた。


『石尾根縦走路』


 登山を始めてから一時間弱、俺たちはまだ鷹ノ巣山にすら入っていなかったのだ。

挿絵(写真)付いてる!!丁寧丁寧丁寧!最初からこうすりゃよかったんやなって。

時間があれば今までのお話にも写真添付しますわ。本当ですよ。なんかみてみんのサイズ制限かいくぐるのがかったるいですけど。写真があるのとないのとじゃ雲泥の差ですからね。

これでアクセス数稼げると違うの?


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