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第十六話「鷹ノ巣山・晴天その1」

 志望校はなんの変哲も無い高校の名前を書いていた。特別頭のいい進学校でもなければ、バカ高だと揶揄されるようなこともない高校を受ける。その旨を面談で先生に伝えたとき、先生は困った顔をして言った。


「向井さんの成績ならもうちょっと上を狙ってもいいんじゃないかしら。内申だって申し分ないし、何か理由でもあるの?」


「今は……何があっても入れるような高校を選びたいんです。出来れば家から近い方がいいかな、とか思ってます」


 本当は理由がなかったからだ。上を目指したところでやりたい事がない。いつまでも学生のままじゃいられないのは分かってるけど、自分が大人になった時のことが考えられないのだ。


「堅実なのはあなたらしいんだけど……まぁいいわ。貴女が決めた進路だもの。先生ね、向井さんならなんでも出来ると思ってるから。どんな事があったって自分の夢を叶えられる。そんな子だと思ってるの。応援してるからね」


 心の中でため息をついた。だから夢がないんだって。


 我が家の教育方針はかなり緩い方だ。自由にのびのびと、遊ぶときは遊び、勉強するときは勉強する。姉はそんな流れに上手く乗って大企業に就職した。私はその流れの中でもがいていた。

 いっそのこと縛り付けてくれれば私はその通りに動けたのかもしれない。自由だからこそ、人はもがく。自由だからこそ、束縛を求める。気づけば私は私自身を束縛していたのかもしれない。



 高校の入学式で初めてその人物に出会った。他校に比べれば緩い校則だけど、それでも決して許されないであろう金髪の少女が堂々と私の二つ前の席に座っていた。

 なんだこいつは。たぶん誰もがそう思ったことだろう。

 簡単に入れたとはいえ、そこそこ偏差値の高い学校だ。普段から遊び呆けているような生徒とは無縁である。そのはずだ。なんでこんな見るからにヤンキーな少女がこの高校に?後方では先輩方の「ヤベー奴入ってんじゃん」という声さえ聞こえた。


 数日後、自己紹介の時間がやってきた。金髪の少女は結局染め直すことなく、あくまで派手に視界に映り続ける。先生の鋭い視線が常に彼女に浴びせられてはいたが、彼女は全くと言っていいほど気にも留めていないようだった。


「桐生、明日香…………よろしく」


 教壇に立って名前だけを述べて去ろうとする桐生さんに先生が声をかけた。その声に静かな怒りを孕んでいた。

「桐生。まずはお前その髪の毛なんとかしてこい。休み明けまでに染め直さなかったら入学早々停学処分だぞ。……おい桐生!名前呼んでんだから返事くらいしろ!」


 後ろからだったからよく分からないけど、桐生さんはきっと先生を睨みつけていたのだろう。先生が歯を食いしばりながら憎悪とも思しき感情をその顔に湛えていた。入学早々張り詰めた空気が教室に漂った。

 

 平々凡々のスクールライフが送れればいいとは何かの漫画の主人公みたいな言い分だけど、それは誰しも当たり前のことだ。それを乱すような輩がいるのなら、早々に立ち退いてもらいたい。ましてやここにいるほとんどの人間が進学先や就職先を気にするような人間だ。彼らと彼女との溝は深まっていくのだろう。


「えーと、向井楓です」結局誰もその空気を変えることはないままに私の出番がやってきた「趣味は音楽を聴くことと甘いものを食べることです。部活は陸上部に入ろうかなって思ってます。皆さんとは仲良く楽しくやっていきたいと思ってます。よろしくお願いします」


「いよっ!会長!!」


 中学からの友人からいらない声援が送られてきた。


「なんだ?向井は中学の時生徒会長だったのか?」


「ええ、まぁ。高校でもやるかどうかは分からないけど、一応立候補くらいは考えてます」


「じゃあ、あれだな。向井はもう学級委員で決まりだな。でゆくゆくは生徒会長だ。出世コースだなぁおい」


 先生のよく分からない冗談まじりのヨイショに苦笑いしながら教壇を去る。ふと目があった桐生さんの目は鋭く、睨まれているのかと思った。ただその目は私を追ってはいなかった。安堵したと同時に少しショックを覚えた。不思議な話である。


 その日の放課後、いの一番に桐生さんが教室を出ると、誰かが大きなため息をついた。


「なんで桐生がこんなとこいんだよ……」


 その言葉に気になって声の主の彼に声をかけてみた。


「高山くん……だっけ?あの桐生さんと同じ中学だったの?」


「あっ、委員長」


「まだ委員長じゃないんだなこれが。委員決め明日でしょう」


「でも全会一致で向井さんが委員長だと思うよ。だって他にやりたがる奴いないだろうし」


「まぁそうだろうね。先生からの妙な期待もあるしさぁ。んで、桐生さんってどんな人?」


「見ての通りっつーか、それ以上だよ。委員長は関わらない方がいいよ。あいつ今まで何回も暴力沙汰起こしてんだもん。義務教育の場出ちゃったら、もうここにいられるのも何週間?って感じ」


「でも可愛いよねぇ。モテてたでしょ」


「……そりゃあ顔は文句ないけどさ。あいつのこと知ってる奴は中身まで知っちゃってるからモテるも何もないよ」


「悪い子には見えないんだけどねぇ。ただちょっと自由奔放すぎるだけで」


「委員長、眼鏡の度合ってないんじゃない?」


「視力は関係ないよねぇ」


 結局私は委員長になって、クラスのほとんどの人と打ち解け、会話の中心人物になっていた。それはまるでそういったレールを自分で敷いて、その上を走るような、あまりにも必然的な流れだった。こうなることをすべて予期していたような気にもなる。


 ただ一人、桐生明日香という存在は私の敷いたレール上にはいなかった。手を伸ばしても届かない距離の彼女に触れるには私は一度レールから降りる必要があったのだ。




 


 すっげぇ晴れてる。五月も半ば、降り続いたゲリラ豪雨やらなんやらが嘘のように晴れ渡った今日。

早朝、東京は青梅市のコンビニで休憩がてら三人並んでタバコを吸っていた。

 向かうは奥多摩にある鷹ノ巣山。聞いたこともない。ただ今一度確認した地図のルートには見覚えがあった。


「何度見てもこれ日原街道だよなぁ」


 二年くらい前に一度興味が湧いて日原鍾乳洞へ出かけたことがある。鍾乳洞は日原街道の突き当たりにある規模の大きいもので、大きな広間や人一人がギリギリ通れる場所から鍾乳石を眺めたりと、確かに見事な空間だった。

 ただそこに行くまでの道がとにかく狭い。峠道とも呼べるくねくねした道は時折車一台しか通れないほどの狭さになって、見通しの悪い場所では教習所の教本でしかみることがないと思っていた警笛鳴らせの標識がいくつもあるような場所だ。速そうな車やいかつい車でさえ、日原街道では速度を落としながら進んでいく。


「いちいちビビってんじゃねぇ。タマついてんのか」


 いや、そうは言っても。幸い鍾乳洞も開いてない時間なので車が少ないことは目に見えているがそれでも不安は拭えないものだ。

 運転手たるもの、ある程度自分の運転に苦手意識を持っていなければならないというのは自分の座右の銘である。


 それから一時間ほどで、見覚えのある奥多摩駅周辺から日原街道へと進んでいく。若干の勾配がある道に住居が立ち並んではいるが、それを超えると幅員減少の標識が続いて真下に清流の流れる狭い狭い道のお出ましだ。


「頼むからすれ違わないでくれよ……」


 意外にも無理な話だった。ブレーキランプの点滅は留まることを知らない。

 すっかり日は昇っているが、そこは山間部。薄暗い道にランプをつけなければならない。年中太陽が山に隠れるという昔話をどこかで聞いたような気がするが、そんな村がどこかにあってもおかしくないんじゃないかとさえ思った。

 日原街道に入ってから数キロ走ってトンネルを抜けると、そこにも集落がある。自然にあふれた場所ではあるが、不便ではないのだろうか。交番や郵便局はあるみたいだが。


「高山、駐車場通り過ぎたよ」


「えっ、マジ!?どこ!?どこにあった!?」


「知らん。この辺はバス使ってるから駐車場なんて見たことねぇ」


 なんてことだ。もっとよく注視しとけば良かった。この道じゃUターンすら至難の業だ。

 『稲村岩を経て鷹ノ巣山登山口』の看板が目に入ったまま通り過ぎる。と、登山口はみっけたもんね。


「どうすんだこれ。このままじゃどんどん山奥進んでくぞ」


「あれ、この先の日原鍾乳洞の駐車場でUターン出来るよ。これは行ったことあるから絶対大丈夫」


 ふとバックミラーにライトを点けながら自分の車を追う車が見えた。こんな時間にこの先に用がある人がいるのか。二台の車が狭い道を進んでいく。



「えーっと、待って、ここだ。割とトンネルを出てすぐだ。この辺に駐車場あったんだ」


 無事辿り着いた日原鍾乳洞駐車場でもう一度位置を確認する。後ろに着いていた車は駐車場で止まった自分たちを追い越して先に進んでいった。確かこの先は落石で通行止になっていたはずだが……あれ、戻ってきた。んで駐車場に止まった。さては向かう先同じだったな?


「とりあえず引き返してトンネルの近くにそれっぽい場所探そう」


 車を出して数分、日原鍾乳洞駐車場付近で何やらデカい影が道路の脇に「「鹿だー!!!!」」


「鹿だ!!すごい!!メス!!すごい!!完全なナチュラルの鹿だ!!デカい!!」


 会長と俺、突然のサプライズに歓喜の声。


「鹿くらいいるだろ。日原だぞここ」


 桐生、鹿を前にしても相変わらずの桐生節。

 ……いや、確かにそうかもしれませんがね。私たちこの辺の住民じゃないんです。鹿と無縁な埼玉の地方都市住みなんです。

 いや、でも迷って良かった。さすが日原。自然が豊かな証拠だ。


 結局駐車場はすぐに見つかった。白線も何も無いようなコンクリートの空き地。料金制と聞いてはいたがそれらを払うシステムさえ見当たらない。これは見逃してもしょうがない。

 見れば小さな小屋に駐車料金を払うポストがあった。なんて簡易的な料金所でしょう。人すらいない。


 駐車場を抜けてすぐ近くのバス停が最後のトイレ休憩所らしく、そこで用を済ませる。交番前のポストに登山届けを提出し、先ほど見かけた看板の下へ。いや、アナログ多いなここ。なんか建物も木造のものが残ってて昭和の名残がある。今令和だぞ。


「じゃあ向かいますか。鷹ノ巣山」


 よろしくお願いします。会長と律儀に登山口の前でお辞儀した後、急な階段を下って行く。

 新緑の中に異質な白色を輝かせる稲村岩は、まるでこれからの登山の厳しさを物語るように厳然とそびえ立っていた。

山に登れないなら山行録を書けばいいじゃない。三日連続の投稿です。こっからはこうはいかないぞ。

今回の鷹ノ巣山稲村岩尾根ルートですが、マジで登ってください。難所も無いので初心者でも行けるはずです。あの気持ちを誰かと分かち合いたい。そのために書いてる。山なんて登らなきゃよかったと初めて思わせてくれた山です。でもまた行きたいな。

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