09 竜は名を呼び、夢は爪痕を残す
白い空間の中へ、我が家よりも巨大な影が現れる。
いぶし銀の鱗。岩肌のように重厚な皮膚。背には巨大な翼。
伝承画でしか見たことのない存在だ。
「竜……」
見上げた先で、黄金色の瞳がこちらを見下ろしていた。
縦に裂けた瞳孔が、心の奥まで覗き込むように細められる。
「本物……なんだよな?」
状況が理解できない。興奮も相まって、頭の中が混乱していた。
あの日、尋ね人が来ていると呼び出され、街外れで中年の行商人と会った。
『おまえが、リュシアン・バティストか。仲間から預かってきた』
差し出されたのは、細長い布包だった。
紐を解く前から、見覚えのある筆跡が目に入る。
ジェラルド・バティスト。間違いなく、兄からの荷物だ。
『詳しいことは聞いてない。ただ、必ず渡せと言われただけだ』
商人はそれだけ告げて立ち去った。
包みの中には、一本の長剣、黒い手帳、そして赤子の拳ほどの宝玉が入っていた。
宝玉へ触れた瞬間、碧色の光が弾けた。
『我を呼んだのは、汝か』
「え!? えぇ!?」
低く響く男の声が、頭の内側へ直接流れ込んできた。
周囲を見回しても誰もいない。
『どこを見ている。話しているのは我だ』
「嘘だろ……」
『信じられぬのも無理はない』
声に合わせるように、竜の瞳が鈍く輝く。
伝承では、竜は思念で会話すると語られていた。
「二百年も前に消えた存在だろ……」
『その通り。我々は人の前から姿を消した……だが、今はそれについて語る時ではない。残された時間はわずかだ』
「時間がわずか?」
『これは運命の悪戯か。あるいは時代が汝を選んだか。見れば、混じっているようだな。資格を有する者か』
「混じってる? 資格?」
竜だけが納得していて、話がまるで見えない。
『我の意識が途絶える前に……汝へ、力の一部を授ける……』
「力? そんなもん、いらねぇって」
右手の甲が碧色に染まった。
光は腕を這い上がるように広がり、肘を越え、肩まで飲み込んでいく。
「がっ……あぁぁぁっ!」
爪の先から異物が入り込んでくるような激痛。
焼けるような感覚が腕の中を這い上がってくる。
『邪悪なものを……討て……そして……』
余りの激痛で思考は飛んでいた。
何かを言われたはずだが、覚えていない。
※ ※ ※
「リュシアンさん、目を覚まされましたか。間もなく、ヴァルネットに到着しますよ」
鈴を転がすような声と、肩へ触れる温もりが、穏やかに覚醒を促してくる。
「悪い……寝ちまったのか」
「お疲れだったのでしょう。本日は陽気も良く、うたた寝には最適ですから」
「依頼も無事に終わったしな」
眠った勢いで、もう一度膝枕をしてもらえたら最高だったのに。
そんな考えが浮かび、慌てて振り払う。
「がうっ、がうっ!」
左肩の上でラグが鳴いた。
街へ入った馬車は、ゆっくり速度を落としていく。
※ ※ ※
ヴァルネットに戻ったその日の午後。
三人で冒険者ギルドに顔を出すと、泣き出しそうな顔のシャルロットが駆け寄ってきた。
「リュシアンさん、怪我はなかったですか? 本当に心配したんですよ」
「あぁ、問題ねぇ。おまえは衝立の具合だけ気にしてくれればいい」
「ひどっ! っていうか、昨日のこと、まだ根に持ってるんですね」
「まぁな。俺は心が狭い男だ」
「そんなこと、自分で言わないでください」
軽口を交わしながらも、声の奥には安堵の色が滲んでいる。こういうところは、素直に可愛いと思う。
「とにかく、お帰りなさい。ささ、受付で討伐報告を済ませてください」
談笑していたセリーヌとナルシスを呼び、報酬受領の手続きへ向かう。
報告されたルーヴの数は想定より多く、ランクールの街長が追加報酬を申し出てくれた。
しかし、セリーヌは迷いなく首を振った。
『そのお金は、どうか復興にお使いください』
柔らかな声に、街長は感激を隠せない。
しかも彼女は、人目を避けるように紙幣の束まで差し出していた。冒険者登録の際に換金した宝石を、惜しげもなく寄付したらしい。豪胆というより、自然体での優しさが眩しかった。
『街長。すみませんが、少しいいですか?』
セリーヌとナルシスをさりげなく引き離し、俺は街長と言葉を交わした。
寄付を無駄にしないよう釘を刺し、俺自身の目的も伝えてある。
あの街長なら、きっと上手くやってくれる。そう信じられた。
「結局、報酬は三万ブランか。ひとり一万ずつだな。セリーヌがランクDへ昇格するには、累計三十万ブランの功績が必要なんだ」
「このような戦いを、幾度も……おふたりとも、ずいぶん研鑽を積まれてきたのですね」
長い道のりだが、彼女なら必ず辿り着くはずだ。
「今回は共闘になったけど、本来は後追いで受けた依頼には先発者に優先権があるんだ」
セリーヌを見つめ、説明を続ける。
「達成すれば、ギルドと先発者に手数料を払って報酬を分け合う。偶然の遭遇でも原則は同じだ……最悪、偶然を装った横取りも起こり得る」
忠告しながら、ふと重要なことに思い当たった。
「ちょっと待て。ルーヴ・ジュモゥ……あの大型魔獣の報酬はどうなるんだ?」
身を乗り出して女性職員に詰め寄ると、ナルシスも割り込んでくる。
「命を落としかけた、危険極まりない相手だったんだ。見合った報酬を頼むよ」
「おまえはダメだ。俺とセリーヌで山分けだ」
「待ちたまえ! 僕の閃光玉がなければ、君もやられていただろう」
「じゃあ百歩譲って、閃光玉の代金だけ払ってやる。それで我慢しろ」
「おふたりとも、少しは恥を知りなさい」
セリーヌの叱責は、よく通る。
「山分けなんて、とんでもない。ナルシスさんは一割。リュシアンさんは三割。そして私が六割を……」
とんでもない守銭奴がいた。
俺とナルシスは、同時に冷めた目を向ける。
「あの……冗談ですからね。そんな目で見ないでください……仲良く三等分で、よろしいではありませんか……」
顔を真っ赤にして俯く姿は、妙に愛嬌がある。
「あの~。ちょっと」
中年の女性職員が声を張る。
「大型魔獣については、正式な討伐依頼が確認できません。対象外ですので、報酬は発生しません」
「冗談だろ。どう見ても討伐対象ランクAかSの相手だったぞ」
「私に言われても困ります!」
この開き直り方。ベテランの貫禄ってやつか。
「ってことは、泣き寝入りかよ……」
「ギルド本部の調査隊から、非常に稀少な個体だと連絡が来ています。研究対象になれば報酬検討の余地はありますが……遺体の損傷が激しすぎる、と」
彼女は少し間を置き、言葉を続ける。
「まるで、伝説に残る竜撃のようだ、と」
心臓が、大きく跳ねた。
辺りの職員までもが手を止め、伺うような視線を向けてくる。
「それは大げさだ。強力な魔導具もたくさん使ったからな……」
天をも破壊すると言われた竜の一撃。それが、竜撃だ。
俺の力の正体を示す言葉でもある。変に触れられるわけにはいかない。
「がう?」
左肩の上でラグが首を傾げ、セリーヌが静かに近づいてきた。
「危険な魔獣は退治できました。それで十分です」
穏やかな微笑みを見ているだけで、こちらの気分まで軽くなる。
「嬉しいので、今夜は山盛りのボンゴ虫をいただきたい気分です。いかがですか?」
「いや……まったく」
思わず顔が引きつる。
そういえば、彼女は少し残念な人でもあった。
助けを求めて、ナルシスを見る。
「竜撃とは、興味深いね」
面倒な男が、妙なところへ食いついてきた。
「いや、今はボンゴ虫の話だろ……」
「あいにく、僕は満腹でね」
「じゃあ、これにて解散だな」
「待ちたまえ」
逃げかけた腕を掴まれた。
腕輪に巻いていた黒のバンダナが床へ落ち、ナルシスの目が見開かれる。
「その腕輪……赤ライン。君のランクはAか!?」
「だから秘密にしてたんだよ。面倒だから」
「ナルシスさん、知らなかったんですか?」
「シャルロット。黙ってろ」
誇らしげな彼女を遮ると、ナルシスは震える声を絞り出した。
「ランクA。そして剣が帯びる色……まさか君は、碧色の閃光!?」
ギルド内の視線が、一斉にこちらへ集まる。





