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碧色閃光の冒険譚 ~竜の力を宿した俺が、美人魔導師に敵わない〜  作者: 帆ノ風ヒロ / Honoka Hiro
QUEST.01 ランクール編

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08 消された記憶


「くそっ」


 怒りに任せて、剣を振るう。


 風の刃が魔獣の死骸を裂いた。狼の額から黒い体液が溢れ出し、地面へ飛び散る。


 終わったはずなのに、胸の奥の苛立ちは消えない。


 姿も見せず、魔獣を操り、人の命を弄ぶ。


 あの男は、何様のつもりなのか。


「ふざけんじゃねぇ」


 何度、剣を振ったのかわからない。


 荒い呼吸を繰り返すうち、周囲が静まり返っていることに気付いた。


 セリーヌが倒れているナルシスに杖をかざしている。杖の先から放たれる青白い光が、静かに彼の傷を癒やしていた。


 やがて魔法の光が消えると、黄金色に染まっていたセリーヌの髪と瞳も、ゆっくりと元の色へ戻っていった。


 セリーヌと目が合う。その顔には、力の抜けたような笑みが浮かんでいる。


 俺たちはしばらく、何も言えなかった。


「じきに目を覚まされると思います」


「ありがとう。何から何まで悪いな」


 戦いは終わったが、残された謎は大きい。


「なあ。この“竜の力”って……」


 セリーヌは周囲を見回すと、俺のすぐそばまで歩み寄ってきた。そして、誰かに聞かれないようにそっと口元を隠す。


「見付かれば、大騒ぎになります……私は、できれば使いたくない力なのです」


 囁きには、戦闘中にはなかった迷いがある。


「あれだけの力で、戦況をひっくり返して、命まで救えるのにか?」


「だからこそです」


 セリーヌは一瞬、視線を伏せる。


「公にすることを、はばかられる力なのです」


 俺もつられるように声を潜めていた。


 まるで、誰にも知られてはいけない秘密を共有しているようで、妙に落ち着かない。


「ですが、竜眼(りゅうがん)を使えば問題ありません。今回の対処はお任せください」


「竜眼?」


「ご存じないのですか?」


 セリーヌの表情から笑みが消えた。向けられる視線には、さっきまでとは違うものが混じっている。


「あぁ。だから教えてくれ。この力のことを」


「今さら、何を知りたいと仰るのですか」


 穏やかな口調だが、その声には俺を探るような響きが混じっている。


「俺がこの力を得たのは二年前だ」


 右手の紋章へ視線を落とした。


「説明もなく、突然、一方的に与えられた」


「一方的に……」


 セリーヌの瞳に、明らかな疑念が浮かぶ。


 さっきまでの困惑ではない。警戒している。


「おかしいか? この力って、生まれつきのものなのか」


 このままでは、何も聞き出せない。


「あのさ……」


 一瞬、迷ったが、何も知らないままでは終われない。


「記憶をなくしてるみたいなんだ」


 セリーヌの表情が、わずかに揺れた。


「それは……お辛いですね」


 疑っているはずなのに、まず俺を気遣う。


 嘘を重ねている感覚に、胸が少し痛んだ。


 でも、今は仕方がない。


「だから教えてほしい。何か思い出せるかもしれない」


 祈るような気持ちで、セリーヌを見つめた。


 この謎を知る手掛かりは、彼女しかいない。その先に、兄へ繋がる道もあるかもしれない。


「あら? ですが先ほど、二年前に与えられたと仰っていましたよね」


 静かな問いだが、逃げ道はなかった。


「それだけは思い出したんだ」


 咄嗟のことで機転が利かず、浅い答えしか返せない。


 セリーヌの追及はなく、小さく息を吐いた。


「では、どこでその力を?」


 胸の奥に、突き刺さるような感覚がある。


「夢だったのか、現実だったのか……それすらもよくわからないんだけどさ……」


 一度、息を吐く。


「故郷で、目の前に竜が現れたんだ」


 空気が、わずかに張り詰めた。


「故郷……そうですか」


 セリーヌは静かに頷く。


「ちなみに、リュシアンさんが信仰されている属性は?」


「信仰している属性?」


 何のことだかわからない。


「いや……覚えてないな……」


 戸惑っていると、セリーヌの瞳が黄金色に染まった。内側から光を放つ宝石のような、美しく、静かな光だ。


 なぜか、逃げなければと思った。


 理由はわからない。ただ、本能だけが警鐘を鳴らしている。


 その瞳に見つめられ、全身から力が抜けた。


「竜の力に関わる記憶は、消さなければ」


 意識が揺らぐ。膝から力が抜け、立っていられない。


竜術(りゅうじゅつ)も見られてしまいました……」


 遠ざかっていく意識の中で、セリーヌの声だけが聞こえている。


「別の魔法だったことに、すり替えましょう」


 視界が、ゆっくりと暗く沈んでいく。


 最後に見えたのは、俺を見下ろす、どこか悲しそうなセリーヌの顔だった。


※ ※ ※


 温かく、柔らかな感触が頬を包んでいた。


 ほんのり甘い香りまで漂ってくる。どう考えても、いつもの枕じゃない。


「きゃっ。あの……あまり触られると、くすぐったいです……」


 枕が喋った。


 まさかと思いながらも、心地よさに抗えない。腕の中へ抱き寄せ、頬を擦り寄せる。


「あと五分だけ……」


 指先へ伝わる柔らかさが妙に生々しく、離す気になれない。


「あの……本当に困ります……」


 主人を拒むなんて意味がわからない。


 それにしても、素晴らしい枕だ。


 後頭部を支える絶妙な弾力。横を向けば耳が自然に収まる柔らかな窪み。まさしく俺のために作られた形状だ。


 至福に浸っていると、隣で何かが暴れる気配がした。


「ちょっと、ナルシスさん」


「いい加減に起きたまえ」


 頬を叩かれ、意識が一気に浮上する。


 目を開けると、隣にはナルシスが寝ていた。


「どうして君が姫の膝枕で、僕が上着なんだ。どう考えても逆じゃないか」


 奴は、丸められた白い長衣を枕にしている。


「膝枕?」


 恐る恐る顔を上げた。


 視界に柔らかな双丘が迫り、その向こうでセリーヌが困ったように微笑んでいた。


 恥ずかしさが一気に込み上げ、飛び起きる。


「がうっ」


 左肩に、ラグが舞い降りてきた。


「あれ……力が消えてる」


 目線を上げると、黒い前髪が映り込んだ。


 身体を満たしていた高揚感も消え、竜の力を使った代償である、塞ぎ込みたくなるほどの倦怠感が全身にのしかかっている。


 それでも、眠ったお陰でいつもような酷さじゃない。竜の力も、普段は三十分ほど続く。それ以上、気を失っていたらしい。


「俺は……どうして倒れてたんだ?」


 膝の感触が忘れられず、思考が妙に鈍い。


「何か、大事なことを忘れてる気がする……」


 いや、気のせいだ。膝枕以上に大事なことなんて、あるはずがない。


 ナルシスは悔しさを隠そうともしない。


 実に愉快だ。俺は選ばれたんだ。


 長衣を脱いだセリーヌは、身体の線がよくわかる紺色の法衣姿になっていた。


 この法衣を手掛けた職人は天才に違いない。


「魔獣を退治した後、それを操っていた男性と話したことは覚えていらっしゃいますか?」


「もちろん。忘れるわけがねぇ」


 怒りが、ゆっくりと腹の底から蘇ってきた。


「あの後、怒りに任せて魔獣の顔を斬りました。ですが、足を滑らせ、頭を打って気を失われてしまったのです」


「そうか……ようやく記憶が繋がった」


 セリーヌの援護を受けながら魔獣を追い詰め、竜の力で半身を吹き飛ばした。


 残る半身は、セリーヌが使った“爆発属性の魔法”を受けて息絶えた。


 それでも、胸の奥には棘が刺さったような違和感だけが残っている。


 何か大切なことを思い出しかけるたび、その輪郭だけが霧の中へ溶けていくようだった。


 すると、ナルシスが笑い声を上げた。


「君と姫が、あの魔獣を倒したのかい?」


 ナルシスが上体を起こし、値踏みするようにこちらを見てくる。


「そんな古びた剣で、どうにかできる相手ではなかっただろう」


 視線はそのまま、セリーヌに向いた。


「すべてお見通しだよ。姫の素晴らしい魔法で魔獣を仕留めたんだね。彼のような下民に、みすみす手柄を渡すことはない。そんな奥ゆかしさも実に眩しいね」


 魔獣を操っていた男、“終末の担い手”よりも腹立たしい。


「おい。そろそろ殴ってもいいか」


「やめたまえ。怪我人だぞ」


「その割に元気そうだな」


 睨むと、ナルシスは大げさに肩を竦めた。


「僕ほどになると、気合いで治るのさ」


「しっかり死にかけてただろうが。吐息(ブレス)を受けて、吹っ飛んだのは誰だ」


 軽口を叩き合ううちに、張り詰めていた空気が少しだけ緩んでいく。


 その後、街の人々の手も借りながら魔獣の処理を終え、俺たちは宿で一夜を明かした。


※ ※ ※


 翌朝、街長への報告を済ませた俺たちは、帰りの馬車乗り場へ向かっていた。


「姫。帰路だけも、びゅんびゅん丸に乗ってみないかい?」


 ナルシスが白馬の手綱を引きながら、最後の悪あがきを始める。


「馬車での移動が気に入ってしまったので」


 セリーヌは微笑み、やんわりと断った。


「ぐぬぅ……そうですか……」


 肩を落とす姿が妙に面白い。


「仕方ない……では、ヴァルネットで」


 ナルシスは別れの挨拶を済ませると、すぐに俺を睨んできた。


「くれぐれも、姫に失礼のないようにな」


「わかった、わかった。さっさと行け」


 落ち込むナルシスを見送り、ほくそ笑む。


 これでようやく、セリーヌとふたりきりだ。


 意気揚々と馬車に乗り込み、向かい合わせの木製ベンチに並んで腰を下ろす。


「そうだ。セリーヌの目的は果たせたのか?」


「はい。お陰様で滞りなく」


 魔獣のリーダーだけじゃなく、事件の黒幕まで取り逃がした。


 俺にとっては中途半端な結果だが、依頼を解決するための手は打ってある。彼女が満足しているなら、今回はそれでいい。


「でも、なんであの依頼にこだわったんだ?」


「今は、まだお話しできません。この依頼が完全に終わった後に」


 人差し指を唇へ当てる仕草に、思わず笑みが零れた。


「なんだよ、それ」


「内緒事も、たまには必要なのです」


 窓の外では、朝の陽射しが草原を照らす。


 依頼も終わった。命も助かった。隣には、美人で不思議な魔導師までいる。


 悪くない帰り道だ。


 もっと親しくなる絶好の機会だと思っていたのに、強烈な眠気が押し寄せてきた。


「悪い……ちょっと眠い……」


「ふふっ。お疲れだったのでしょう」


 視界がゆっくり霞んでいく。


 揺れる馬車の振動。暖かな陽射し。そして、どこか安心する彼女の声。


 夢が待っている。


 なぜか、そんな予感があった。

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