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28 失われた歴史と黒き竜


 大司教へ声を掛けるなり、眼前で四つん這いになっていたマリーが険しい目を向けてきた。


「ちょっと、大司教様に何という口の利き方をするんですか。謝罪してください!」


「マリー、良いんだ。続けてくれ」


 大司教は笑っているが、彼女の機嫌を損ねると、これからに支障をきたすかもしれない。


「この街にも大きな寺院があった……大司教の寺院にもラヴィーヌの像が置かれていましたが、竜の信仰はいつ失われたんですか」


「その話か。私も詳しい所はわからない。過去の文献は王城の書庫へ収められている。立ち入る権利を与えられているのは教皇だけだ」


「教皇、ですか」


「ただ、竜が地上から姿を消した後、各地の寺院へ祀られていた竜の石像が女神像に差し替えられた。国民たちは、女神ラヴィーヌへ信仰を変えられたと聞いている」


「強引に信仰を歪められたんですか? 確か、過去の諸王国会議で決められたという話ですが」


 セリーヌがそんなことを言っていたが、大司教は眉根に皺を寄せて唸る。


「失われた歴史ということになるな。私の聞いた限りでは、黒き竜が人々に災いをもたらし、忌み嫌われる存在となったとか……」


「黒き竜? それは初耳です」


 まさか炎竜王えんりゅうおうなのだろうか。


「前から思ってたっスけど、リュシアンの旦那は竜の話となると、目の色が変わるっスね」


 呑気な声を上げたのはエドモンだ。手にした小型ナイフの背を使い、缶詰へこびり付いた加工肉の破片を丁寧に集めている。あぐらをかいた足下には、ラグが寄り添っている。


 続いて口を開いたのは、シルヴィさんだ。


「そうよねぇ〜。あたしを追いかけてくれないクセに、竜のこととなると人が変わったようにグイグイ行くんだから。妬けちゃうわ」


 心の内まで見透かすように俺を見つめ、水袋を口へ運んでいる。隆起する喉元を追うも、インナーの谷間へ視線が吸い寄せられる。


「前に言いましたよね。小さい頃から竜が好きだったって。冒険者になった以上、いつか本物の竜を見てみたいんですよ」


「君がそんなに夢想家だったとは意外だよ。まさか、竜を探すために冒険者になった、なんて言い出すんじゃないだろうね」


 ナルシスは、馬車に繋がれた馬を撫でながら笑みを浮かべている。

 気付けば、みんなの視線が俺へ向いていた。ナルシスやレオンの過去を知った今、俺だけ話さないというのも気が引けてしまう。


「兄貴を探してる……冒険者登録は抹消されて、二年近くも連絡が取れないままなんだ」


 周囲は沈黙に包まれた。面白おかしくするつもりもないし、驚くほどの理由でもない。シルヴィさんやエドモンには話しているし、今更、特別な反応もないだろう。


「お気楽な理由だね……あんたの剣に殺意が足りないのはそういうことか」


 木陰で大木に背中を預けていたレオンが歩み出してきた。


 軽蔑するような冷めた視線に、胸の奥が微かに痛む。故郷を襲撃され、行き場をなくしたこいつに比べたら、俺の旅する理由など馬鹿馬鹿しいものだろう。


「そういう言い方は止めなさい」


 シルヴィさんの険しい声を受けても、すました顔で態度を変えない。


「フェリクスさんから、碧色と行動を共にして学べって言われたけど何もない。俺たちは目指す場所が違う。絶対に交わらない」


「レオンは内面を磨かなくちゃダメなの。ひとりで何でもできると思ったら大間違いよ」


 溜め息と共にレオンが背を向け、気まずい空気の中で食事は終わりを迎えた。

 ラグも定位置の左肩へ戻り、各々が後片付けを始める。そうしていると、いつの間にかアルバン、モーリス、リーズが側にいた。


 ようやく魔の手から解放されたものの、彼等の顔には疲労の色が濃い。特にリーズは、精神的にも肉体的にも限界が近いだろう。


 彼女の体へ残されていた傷や痣は、マリーの癒やしにより消えた。だが、心に負った傷までは癒やせるはずもない。モーリスが渡した上着をそのまま着ているが、袖をまくり上げなければならないほどサイズが合っていない。下へ身に付けるものもなく、上着が途切れた股下は素足が剥き出しだ。


「揉めていたようですが、大丈夫ですか」


「悪い。変な所を見せたな」


 アルバンから不安そうな顔を向けられ、恥ずかしくなってきた。しかし、レオンの不満も無理はない。求めるものも、目指すものも違う。


「実は、折り入ってお願いがあります」


「今度はおまえらかよ。どうした」


「リーズの母親は重い病気をわずらっています。そこでぜひ、マリーさんに私たちの街まで同行して頂き、力を貸して欲しいんです」


「そうか。三人の旅の目的はそれだったな」


「私からも、どうかお願いします」


 腰を折り、深々と頭を下げるリーズ。もちろん協力してやりたいのだが。


「俺も俺で、街へ戻って一刻も早く無実を証明しなきゃならないんだ」


「ひとりでも大丈夫です。行かせてください」


 側にいたマリーがすかさず声を上げた。


「そうもいかねぇだろ。せめて護衛代わりに、ひとりやふたり……」


 困って視線を巡らせると、見越したようにあいつと視線が交わった。その瞬間、言葉は必要性を失った。互いに頷き合う。


 色々と気に入らない所はあるものの、実力は折り紙付きだ。しかもフェリクスさんが目を付けるほどの男だ。まだまだ、俺の知らない長所が多分にあるのかもしれない。


 近付いてきたその肩へ、そっと手を掛ける。


「頼めるか。癪だけど、安心して任せられるのはおまえしかいない」


「だろうね。それにしても、あんたがそんなことを言うなんて意外だよ」


 その口元へ浮かぶ笑みは、あざけりにも、悦に入ったものにも見える。だが、そんなものは些細なこと。優劣を争うつもりはないし、快くマリーの護衛に就いてくれればそれでいい。


「これでも、おまえの力は認めてるんだ」


 レオンは激しく身じろぎし、肩へ置いた俺の手を振り落とした。そのまま、獲物を睨むような鋭い視線を向けてくる。


「偉そうに……あんたが使う、身体強化の魔法なんて絶対に認めない。実力は俺の方が上だ。必ず越えてみせるから」


 全身へ気迫を漲らせたレオン。マリーを気に掛けている以上、確実にやり遂げるだろう。


「それなら、あんたも行きなさい」


 シルヴィさんは、エドモンを肘で小突いた。


「オイラっスか!? 街に戻って休ませて欲しいっスよ……果実水かじつすいを片手に、ベッドへ寝転んで魔導書を読む。あれが最高っス」


「あら。肝心な時に側にいられなかったって謝ってたのは、どこの誰よ?」


 腰に手を当てたシルヴィさんが恨めしそうな視線を投げると、小太り魔導師は苦笑する。


「勘弁して欲しいっス。だったら、あねさんが行けばいいじゃないっスか」


 思わぬ反撃にシルヴィさんは別段慌てた様子もなく、さも当然のような顔。


「あたしはほら、リュシー担当だから。アンナがいたら頼むんだけど……それに、あの()だってレオンとあんたに魔法を教わりたいって言ってくれてるんだし、一石二鳥でしょ」


「それ、オイラに何の得があるんスか?」


 エドモンが言うことは最もだ。しかもシルヴィさん、俺担当だとか意味が分からない。ただひとつ言えることは、この二人が会話をしても不毛だということ。


「エドモン、おまえも一緒に行け」


 腰に下げた革袋の一つを取り外し、胸元を目掛けて放り投げた。


「その金で、リーズに服を選ばせてやれ。残りは好きに使って構わねぇから」


「いいんスか!?」


 呆気に取られているエドモン。だがそれは、アルバンたち三人も同様だ。


「街道に出て、馬車に乗る路銀もいるだろ。食費と宿泊費を払っても釣りは十分に出る」


「さすが旦那、太っ腹っス!」


 浮かれるエドモンを尻目に、リーズがそそくさと歩み寄ってきた。


「本当にありがとうございます。この御恩は決して忘れません」


 深々と頭を下げ、満面の笑みのリーズ。その明るさに、こちらまで気持ちが軽くなる。良く見れば、目鼻立ちのはっきりした可愛らしい顔だ。


「恩だとか、そんな大層なもんじゃねぇだろ。俺はただ、自分の無実を晴らすついでに、偶然あんたたちを助けただけなんだ」


 困って頭を掻いた時だった。


「がう、がうっ!」


 ラグの鳴き声と共に聞こえてきたのは、かすかな馬のいななきだ。


 街の外へ視線を向けると、土煙を上げながら近付いて来る数頭の馬と馬車の姿が。それらが次第に鮮明なシルエットを描き出し、水竜女王の言葉が頭を過ぎった。


「複数の足音って、あれのことか?」


 先頭を走る二頭の馬。一方は見事な白馬だ。


「びゅんびゅん丸!」


 ナルシスの声が背後から聞こえ、そこにまたがるアンナの姿を視認した。しかし、なぜか腰にはロープが伸び、それを掴むのは隣の馬に跨がった男。それはまさしく、グラセールで撒いたはずの衛兵長だ。


 程なく、俺たちは廃墟の入口で邂逅。衛兵長は馬上から鋭い視線を投げ続け、二台の馬車から次々と現れた衛兵に囲まれてしまった。


「みんな。このおじさん、アンナがいくら言っても信じてくれないんだよ」


 アンナが口を開いた直後、抜き放った剣で視界を遮ったのは衛兵長だ。


「リュシアン=バティスト。大司教ジョフロワ誘拐の容疑で拘束する!」


 背後を取られていた衛兵のひとりに、右腕を強く捻り上げられた。

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