25 冒険と酒と性行為
黙々と飲み始め、それが空になった時だ。不意に聞いてみたくなった。
「初めて人を斬ったのは、いつでした?」
「はは〜ん。それで落ち込んでたってわけ?」
窓から差し込む月明かりが、ほんのり上気した顔を照らしている。悪戯めいた笑みを見せるシルヴィさん。その色気に引き寄せられそうな自分が悲しい。
「あたしはこれでも色々あったのよねぇ……最初に人を斬ろうと思ったのは十五の時。あの時は、本当に殺すつもりだったの」
みんなの詳しい過去を聞いたことはなかったけれど、思ってもみない答えだった。
「まぁ、その時は未遂に終わったけどねぇ……最初は十九の時。冒険者として依頼をこなす途中、賊どもに絡まれてね。アンナも一緒よ。あの娘とは、付き合い長いから」
「盗賊ですか……」
ムスティア大森林の洞窟で戦った賊どもの顔が浮かぶ。彼等は正気を失っていたので割り切れたが、今回は正真正銘の人間相手だ。
「今回の一件で思い知りました……魔獣より、人間の方が何倍も恐ろしい」
炎竜王は人間へ復讐する機会だと言っていたが、竜が人の前から姿を消したのも、その恐ろしさを目の当たりにしたせいだろうか。
ラグは穏やかな寝息を立てている。こいつが言葉を話せたなら、人間をどう思うのか。
「それに気付いただけでも大きな一歩だと思うわよ……あれ。震えてる?」
膝に乗せていた腕へ、シルヴィさんの手が触れて。その温もりが心を癒やしてくれる。
「あたしも最初は、やっぱり震えた」
微笑む姿がいつもと違って見える。
「それを救ってくれたのはフェリクスね。誰だって自分が正しいと思い、自分の正義のために戦ってるって……勝者こそが正義。負ければ悪。単純明快だろ、って言われてね」
「それ、俺も言われました。誰だって死にたくないし、正義のために全身全霊を掛けて戦うんだ、ってヤツですよね」
顔を見合わせ、互いに笑いが漏れる。
「それで随分と楽になったのよね。私が生きるために、私の正義を貫いているんだ。そのための犠牲なんだ、って言い聞かせたの」
「意外ですね。もっと図太い人かと……」
「ちょっと、どういう意味? あたしだって、か弱い乙女なんだからね!」
「痛い……腕をつねるのは止めてください」
唇を尖らせる仕草に、口元のホクロが妙に強調される。それが心をざわつかせる。
「か弱い乙女は、こんなに飲兵衛じゃないと思うわけですよ。俺は……」
「それはリュシーの勝手な基準でしょ。女性を美化しないの。知ってる? お酒を一杯飲むと、おっぱいが大きくなるんだって」
「ウソ!?」
「嘘」
もう、この人にはついて行けない。
「あ、リュシーがエッチな目してる〜。きゃ〜、誰か助けて〜。揉みしだかれる〜」
「揉みしだかれるって……しかも、誰が来るって言うんですか」
「あ。その言い方、なんかやらしいんだぁ……へっへっへ。こんな所になんて誰も来やしねぇよ、みたいなさぁ」
小芝居と共に、悪戯めいた笑みを見せてくる。
「リュシーならいいわよ。嘘かどうか触ってみる? あの頃より大きくなったかも」
外套にくるまったまま、膝を立てて座っているシルヴィさん。膝に頭を乗せて、こっちを見つめてくるのは反則だ。
「確認は結構です」
慌てて目を逸らすと、隣で吹き出す声が。
「元気出たじゃない。もう大丈夫そうね」
「あ……」
シルヴィさんに気を遣わせてしまうなんて。
「これからも何かあったら、溜め込まないでどんどん吐き出しなさい。一緒に戦うだけじゃないのよ。喜びも悲しみも分かち合って支え合う。そのための仲間、でしょ?」
「ありがとうございます……」
なんだかその言葉が堪らなく嬉しくて。これまで堪えていた色々な感情が、止めどなく溢れて止まらなくなってしまう。
気付けば、涙になって頬を伝い落ちていた。
「もぅ、泣かないの。男でしょ。そんなんじゃ、リーダーは勤まらないわよ」
気付けば、その胸へ抱き寄せられていた。
「今日は仕方ないか……あたしには、そういう弱い所を見せてもいいのよ……全部、受け止めてあげるから。安心して」
包み込まれるような温もりと安心感を感じて、全身の力が抜けてゆく。身を委ねながら、意識は急速に遠のいて行った。
☆☆☆
“私と言葉を交わしたければ、明朝、再びこの場を訪れなさい”
あの声が呼んでいる。俺を呼んでいる。
「水竜!?」
不意に目覚めた。窓の外は明るくなり始め、日の出は間もなくだ。闇に目が慣れず、背中が寒い。でも正面に温もりを感じる。
「シルヴィさん!?」
なぜか抱き合って寝ている。しかもどうして裸なのか。嫌な予感を現実とするように、頭上には脱ぎ散らした服がある。
「は?」
いや。ここは落ち着こう。これは何かの間違いだ。きっと夢だ。
酒を飲みながら話をしていて、抱きしめられたのは覚えている。そのまま横になりながら、この人の胸を触ったような。
「どうしたの……」
寝ぼけ眼のシルヴィさんが、見とれてしまうほどの微笑みを湛えている。
「もう一回、しちゃう?」
「は?」
背中へ回されていた腕に強く抱きしめられた。胸に顔を擦り寄せてくる仕草は、これまでの彼女とは別人のように見えて。
「やっぱり最高……しばらく会わない間に上手くなっちゃって……この、暴れん棒め!」
「ぐおっ!?」
あそこを掴むのは勘弁してください。
「さては、ヴァルネットの歓楽街で鍛えたわね? どうなの? 白状しなさい」
「個人依頼の追加報酬だと、何度か強引に連れて行かれて」
これは、やることをやってしまったということか。徐々に頭が覚醒を始め、おぼろげだった記憶が蘇ってきた。
“もう無理、許して。壊れちゃうってばぁ!”
そうだ。確かに思い出した。余りに気持ち良くて、止まらなかったんです。
「あ、また元気になってる」
「ちょ……誰かに見付かったら大変ですから、シルヴィさんは部屋へ戻ってください」
「え〜……イヤだ」
更に密着してくるが、こんなに子供っぽい反応をする人だっただろうか。意外だ。
「俺は朝の散歩に行って来ますから」
「今度は外でしたいの? みんなに隠れて木陰で、とか燃えそう。リュシーも好きねぇ」
この人の頭の中には、冒険と酒と性行為しかないんだろうか。
「本気の散歩です。シルヴィさんは風呂にでも浸かって、シャキッとしてください」
「そうねぇ。一緒に入って、お風呂でする?」
「俺の話、聞いてました?」
どうにか浴室へ向かわせ、衣服を身に付けた。ラグを左肩に、昨日の高台を目指す。
扉を空けた瞬間、霧混じりの清々しい空気が肺を満たした。朝の空気は好きだ。体の中の不純物まで綺麗になった気がするから。
「俺の記憶も、綺麗にして欲しい」
セリーヌにあれだけ迫っておきながら、簡単に陥落してしまった自分が情けない。心が弱り、酔っていたことを差し引いても大罪だ。
「でも、シルヴィさんだから……許してくれ」
行きずりの見知らぬ相手じゃないだけでもいいだろう。それこそフェリクスさんなんて、酔った勢いで街娘に手を出してしまうほどだ。
シルヴィさんは初めての相手だし、自分の中で特別な存在になっているのは否めない。強く拒めないのも、それが原因だろう。
もしもセリーヌに知れたなら、素直に謝って許してもらうしかない。しかしそれ以前に、彼女は俺に好意を持ってくれているのか。気持ちに応えられなくてすみません、と最後に言われたくらいだ。そもそも付き合っているわけでもないし、そこまで罪悪感を感じるのもおかしな話なのかもしれない。
謎の自己弁護と自問自答を胸に歩くと、霧の中へ、見張り役であるアルバンの姿が見えた。散歩に出る旨を伝えると、意外な返事が。
「十分ほど前に、マリーさんも散歩へ行きましたよ。この地域は霧が深いので気をつけて」
「丁度良いから探してみるよ。アルバンも大変だろうけど、引き続き見張りを頼むな」
それはつまり、水竜女王が再び乗り移っている可能性が高い。その予想を現実とするように、高台にはマリーの姿が。
「遅くなりました」
「がうっ!」
声を掛けるとラグも一声吠えた。だが聖女は顔を曇らせ、あらぬ方向を見ていた。
「どうしたんですか?」
「この地へ複数の足音が迫っています。ゆっくりお話することもままならないようです」
「複数の足音?」
恐らく、彼女だけがその気配を察知している。この高台も盆地を見渡せるのだろうが、霧が深く、数メートル先を捉えるのが限界だ。
「俺にはなにも」
「もう少しでわかるはずです」
妙な不安に襲われる。一体、何が近付いているというのだろう。
「恐らく、あなた自身へ関わることです。私に聞きたいこともあるでしょうが、しばらくお預けになりそうですね」
「なんで、こんな時に……」
思わず深い溜め息をこぼしてしまった。