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24 大司教の懺悔


「リーズとマリーは眠ったわ」


「ありがとうございます」


 居間へ戻ってきたシルヴィさんへ短い礼を述べ、短い息を吐き出した。背中を預けた木製の椅子が、頼りなく軋んだ音を立てる。


 廃墟とはいえ、一味も手直しをしていたらしい。こうして夜を明かせる建物が残っていたのは幸いだった。敵の拠点だった大聖堂が焼け落ちた今、彼女たちを休ませる場所を確保することが一番の課題だったから。


 左肩にラグ。テーブルの向かいには、アルバンとモーリス。隣には大司教が座っている。


 窓辺に立って外を伺うレオンは、Gを収めた馬車でも見つめているのだろうか。今回の敗北に腹を立て、すこぶる機嫌が悪い。


 それにしても、Gの自害は誰も想像していなかっただろう。水竜女王の力で一命を取り留めたはずが、意識を取り戻すと同時に舌を噛み切っていたなんて。


 Gにも聞きたいことがあった。カロルが触れていたように、背後に大きな力の存在を感じたのは確かだ。事件の主犯として、遺体を衛兵へ引き渡すことにしたが、やり切れない気持ちだけが残っている。


 その後、この建物を見付け、荷物一式を部屋の片隅へ積み上げた。缶詰や携帯食料で空腹を満たし、ようやく寛ぎ始めたところだ。


「ちょっと!」


 不意に声を荒げたのはシルヴィさんだ。


 驚いた全員の視線が集まり、彼女を目にした途端、俺の斜め向かいへ座るモーリスは真っ赤な顔で硬直した。それはきっと、口にしている酒のせいだけじゃない。


 結い上げていた黒髪は降ろされ、下着同然のインナー姿という解放具合。程良く締まった体付きと、豊満な胸は凶器と呼ぶべきだろう。初見の衝撃は絶大だ。


「あたしに寝かしつけを頼んで、男共は酒盛りってわけ? 信じらんない! しかもそれ、どっから持って来たのよ」


 左手を腰に当て、右手で木製テーブルを小突いて詰問するシルヴィさん。


 至近距離で迫られたモーリスが緊張した面持ちで仰け反る。それを避け、苦しげな顔のアルバン。実に面白い反応だ。


「倉庫を調べていたら偶然に見付けたんです。まだ十分にありますから」


「もぅ。早く言いなさいっての!」


 テーブルを回り込んできたシルヴィさんは、なぜか俺の隣へ立った。


「おっじゃましま〜す」


 俺の膝上へ横向きに座り、首へ抱き付いてくるという始末。


「がうっ!?」


 慌てたラグは、テーブルの隅へ飛び去った。


「あの……なにしてるんですか?」


「なぁに。椅子が足りないんだから仕方ないでしょ? あたしが座ってあげてるんだから、もっと喜んでよ。好きにしていいのよ」


 入浴直後なのだろう。清潔な香りと共に、体の火照りまで伝わってくる。


「はいはい。席は譲りますから」


 抱き上げ、入れ替わりながら降ろしたが、相変わらず細身の上に軽い。


「え〜。リュシーと一緒がいい〜」


 足をバタつかせ、テーブルを両手で叩く。


「駄々っ子かよ!?」


「あら。こんな子供がいると思う?」


 下着一枚で隠されただけの胸。それを下から持ち上げ、魔性の笑みを浮かべている。


「そこのお酒を一瓶あげますから、静かに」


 満面の笑みで酒を手にするシルヴィさんを横目に、その奥へ座る大司教を見た。


「で、ジョフロワ。あんたに残ってもらったのは、じっくり話をしたかったからだ」


 その顔には疲れが見えるが、全てを覚悟したような目には、まだ力が宿っている。


「見ただろ。この街の惨状を。この切っ掛けが本当にあんたなら、Gもろとも衛兵へ突き出すつもりだ。申し開きがあるか?」


 すると、強い眼差しで見つめ返してきた。


「私は捕まるわけにも死ぬわけにもいかない。成さねばならないことがある」


「最初に会った時にも言ってたな。この街を襲ってまで、何をしようとしてるんだ」


 どうせ、ろくでもない理由だろう。人の命を奪ってまで何を成すのか。


「魔獣に襲われ、身寄りを失った孤児。彼等を預かり、孤児院を経営している。患者の治療で頂いたお布施を運営資金にしていたが、それも底を突いた。金が必要だった。孤児院を失えば、子供たちはどうなる」


 思いも寄らない告白に言葉が出ない。


「孤児院ねぇ。だったら、職業訓練校に預ければ良かったんじゃないの?」


 シルヴィさんが、酒瓶を手につぶやく。


 職業訓練校は孤児を預かる国の施設だ。寝食を保証され、児童は希望する職業の技術と知識を学ぶ。成人である十八才を迎えると施設を卒業し、就職後の給金からそれまでの学費を返済してゆく保護制度だ。


「現実はどうかね。食べることには困らないが、宿舎という住まいを与えられるのは成績の優秀な者だけだ。それ以外の子供たちは身を寄せ合い、貧民街での生活を余儀なくされている。そんな彼等を救うのが私の役目だ」


 自らの言葉を噛み締めるように、ゆっくりと言葉を紡いでいる。そこにはなぜか、苦悩の色が複雑に織り交ぜられていた。


「最初はそれで満足だった。しかし、私の心にも悪魔が住んでいたのだよ……名声を、地位を得たい。そんな欲望が顔を覗かせた」


「で、マリーの力に目を付けたのか。それにしたって、街まで襲うのはやりすぎだ」


「君には分からんか……教皇まで上り詰めるには圧倒的な力と功績が必要なのだよ。それには私自身が神にも等しい奇跡を行使し、影響力を持つ必要があるのだ」


「それでマリーを取り込んだ、ってわけか」


「彼女を隷属させるには、深い恐怖を植え付ける必要があった。心を砕き、全ての希望を見失うほどの悲しみも。私の心は魔獣よりも恐ろしく、そして醜い……」


 テーブルの上で組み合わされた大司教の両手が震えている。恐怖と罪に囚われながら、こいつも必死に戦ってきたのだろう。


「で、マリーを都合良く誘い出し、Gたちを雇って街を襲わせた。そこからは、彼女の力を知ったGたちに狙われる羽目になった」


「そういうことだ。結局、悪行はできない。神はご覧になっていらっしゃる」


 懺悔を聞きながら、溜め息と共に髪を掻き毟った。考えがまとまらない。


「結局、自分でも罪を認識してるわけだろ。どんな理由があろうと、絶対に許せねぇよ」


 舌打ちと共に、大司教の目を見据えた。


「衛兵へ突き出してやりたい気持ちは変わらねぇ。でも、あんたが捕まればマリーはどうなる? 孤児どもはどうなる?」


 マリーの顔が頭を過ぎった。


「あいつは、あんたを恩人だって言ってる。道を示してくれた偉大な人だってな……そんな人の正体が悪魔だと知ったら、あいつは生きる希望を無くしちまうかもしれねぇ……」


「じゃあ、どうするわけ?」


 シルヴィさんが不安げな目を向けてくる。


「ジョフロワ。あんたがマリーを自由にすれば、今回の件は目をつぶる。その代わり、罪を背負って人々の癒やしを続けるんだ。死ぬまでずっとな……孤児院は最悪、解体だな。おまえの屋敷か、霊峰の寺院で預かってやれ」


「良いのか?」


「良いも悪いも、それしかねぇだろうが。他にどうしろって言うんだ。でも俺は、あんたを絶対に許さねぇ。人の命を救えるほどの力を持ちながら、闇に墜ちやがって」


 怒りのやり場を失い、堪らず床を強く踏み付けていた。直後、肩に手を置かれる感触。なぜかそこには、レオンが立っていた。


「碧色にしては良い判断だと思うよ。世の中、全てが白と黒に分けられるわけじゃないから。灰色も、時には必要なんだよ」


「偉そうに言いやがって。イライラするぜ」


「俺も孤児なんだ。心の拠り所を失う辛さは分かる。彼女のことを思うなら、それが最良の選択だと思っただけ」


「ありがとう……君たちの心遣いに感謝する」


 涙ぐむ大司教を見ながら、これで良かったのだと自分自身へ強く言い聞かせた。


☆☆☆


 外套がいとうへくるまったまま、溜め息と共に身を起こした。居間の壁へ背中を預ける。視界の隅で、丸まって熟睡するラグが羨ましい。


 時刻は深夜を回った。レオン、アルバン、モーリスは三人交代で、外の見張りをしてくれている。控えのふたりは今頃、別室で仮眠中だ。


 大司教の件は落ち着いたものの、一人になった途端、別の問題が心の奥底から大きく迫り上がってきた。


 今になって恐怖で腕が震えている。今回の戦いで、剣士ふたりの命を奪った。そして危うく、Gまで殺すところだった。


 加えて、ニコラとカロル。救える可能性があったはずの命が失われた。


 こうして目を閉じると、二人の剣士が死に際に見せた顔が蘇ってくる。恐ろしい呪縛のように心を締め付け、眠ることを妨げる。


「あらあら。眠れないんでちゅか〜?」


 首筋へ当たる冷たい感触に顔を上げると、シルヴィさんが立っていた。まだ酔いが抜けていないのだろうか。見間違いでなければ、その両手には酒瓶が握られている。


「どうしたんですか、こんな時間に」


「リュシー、起きてるかなぁって。で、どうしたの? お姉さんに話してごらんなさい」


 興味津々の様子で隣へしゃがんだかと思えば、何やら不満げな顔だ。


「ちょっと。どうして一人で外套にくるまってるわけ? あぁ、寒いなぁ……ひとりぼっちで寒いなぁ……凍えちゃうよぉ……」


「そんな格好してるから……うごっ!」


 酒瓶の底で頬を突かれた。


「あのね。優しさが足りないんじゃないの? これがあの()なら、絶対に違うクセに!」


 セリーヌの顔が浮かんだ途端、外套を強引に引き剥がされ、勝手に入り込まれた。


「あ。リュシーの臭いがする〜」


 外套へ鼻先を擦り付ける仕草が、小動物のようで可愛らしく見えるから不思議だ。


 すると彼女は上機嫌の微笑みを湛えたまま、酒を差し出してくる。


 新しい拷問だろうか。


「飲めと?」


「うん、うん」


 満面の笑みで頷いているが、確かに飲めば忘れられるかも。ここは酒の力に頼ろう。

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