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22 制御不能の破壊衝動


 このまま、こんな所で死ぬのか。中途半端で呆気ない最後だ。兄を見付けることも、セリーヌとの約束を果たすこともできずに。


 いや。セリーヌとは言葉を交わしたわけじゃない。これは俺の勝手な意地だ。それを認めてしまうと、妙なこだわりが途端に薄れてゆくから不思議なものだ。後はただ、この流れに身を任せて、ゆっくりと落ちていけばいい。ただどこまでも、身と心を委ねて。


 薄れゆく意識。でも、その中でただ一つだけ、運命に抗うような意思がある。


 誰かが俺を呼んでいる。水底へ沈んでゆくような状況の中、水面みなもの上から、覗き込むように見下ろしてくる謎の意思。


“がう、がうっ!”


 聞き慣れたその声が、眠りを妨げるように聴覚を刺激する。覚醒を促す。

 どうかそっとしておいてくれ。俺はもう、ゆっくり眠りたい。


“がう、がうっ!”


 あらがえと、もう一度立ち上がれと訴えているようで。でも、もうそんな力は残っていない。最後の一滴まで絞り尽くしたはずだ。


“がう、がうっ!”


 だが、それに反応したのは予想すらしていなかった別の意思。聴覚を刺激するその声は、始めから“そいつ”へ呼びかけていたのか。


 熱い。右腕が焼けているように熱い。その熱が徐々に体を覆い、生きるための力を全身へ行き渡らせてゆく。


“人間を許さぬ……灼熱の炎を浴びせ、魂までも焼き尽くしてくれよう……”


 水底から、突き上げるような声が響いた。その声が、魂を、心を震わせる。胸に宿った炎がこの身を焦がした。それは激しい恨みと怒りの炎。全てを焼き尽くす紅蓮の業火。


「うがあぁぁぁぁ!」


 気付けば、天に向かって吠えていた。


 何事もなかったように起き上がった体だが、自分の物とは思えない。俺の体へ誰かが入り込み、視覚を共有しながら世界を見ているような、全く現実味のない光景が広がっていた。


 制御できない。止まれない。


「どうなってやがる」


 受け入れがたい現実に驚愕しているG。


 勢いよく地を蹴った俺の体は、瞬く間にその眼前へと迫っていた。この力は竜臨活性ドラグーン・フォースと同等。いや、それ以上。


 熱を帯びた右拳が唸りを上げる。魔獣に食らい付かれたことなど嘘だと思うような、力強く勢いに満ちた拳。


 横手から頬を打たれたGの体が大きく揺れ、奴の体は軽々と宙を舞っていた。肩から地面へ落ちると、魔獣の死骸を巻き込みながら滑るように遠ざかってゆく。


 恐ろしいほどの破壊衝動が込み上げてくる。それが膨大なエネルギーとなって、この体を突き動かし続ける。徹底的に破壊しろと心の声が告げる。俺に更なる力を与えてくれる。


「があぁっ!」


 倒れたままのGを追い、地面を蹴ったこの体が大きく跳躍。それはまさに驚異的な跳躍力だった。まるで人間が、空を飛ぶ力を手に入れたのではないかと錯覚するほどに。


 弓なりに反った体を空中で引き戻し、背中を丸めた前傾姿勢を取る。そのまま全体重を乗せ、落下の勢いと共に敵の体を狙って着地。


 足裏へ伝ったのは鈍い感触。眼下には、頭を抱えて絶叫するGの姿が。


 どうやら落下の勢いを利用して、こいつの両膝を踏み潰してしまったらしい。なんと脆いのか。まるで、枯れ木で作った人形を相手にしているようなもの。


 苦しみ悶えるこのクズの姿が余りに滑稽で。気付けば俺の口元は、だらしないほどに緩みきっていた。しかし、制裁はこの程度では終わらない。更なる追撃を加えるため、再び右拳が振り上げられた。


 涙すら浮かべ、恐怖に引きつるGの顔が映った。そして、ささやかな抵抗を見せるように、必死に伸ばされた両手。


 俺の体も釣られるように両手を伸ばし、即座に敵の両手首を掴み取っていた。


「まだだ……死にたくねー……」


 このクズは、同じように命乞いをしてきた多くの命を蹂躙してきたはずだ。この両手に、どれだけの命が奪われたのか。


 思い知れ。恐怖しろ。命を奪われる苦しみを、その身へ深く刻み込め。


 指先へ力が込もる。それは魔獣を、いや、竜の再臨を想起させるほどの力強さ。


「ぐあぁぁぁぁ!」


 裂けてしまうのではないかと思うほどの大口を開け、Gは絶叫する。歯の何本かは失われ、口内は血で赤く染まっている。


 その腕へ突き立てた爪が、紙のように脆い皮膚を突き破り、肉を抉る。


 滴る鮮血は鮮やかな赤。この身に宿る激情を映したような炎の赤と結びつく。それが興奮を高める。更なる狂喜へ導いてゆく。暗く深い奈落の狂喜へ。


「うがあぁぁぁぁ!」


 知らぬ間に、口から獣のような雄叫びが漏れた。止めどなく溢れる力。これを止めるすべが果たしてあるのだろうか。


 荒ぶる勢いを持て余すように、Gの両腕を強く握りしめていた。直後、二本の腕はあり得ない方向へ軽々と折れ曲がる。


 Gは叫ぶことすらままならず、激痛に身を仰け反らせる。その様を見下ろしながらも、この怒りはとどまる所を知らない。


 鮮血に染まったこの両手が、Gの両頬を包み込む。勢いよく引き上げながら、その鼻を目掛けて頭突きを見舞っていた。


 鼻がへし折れ、赤い物を撒き散らしたG。恐怖だけが滲む二つの瞳が、助けを乞うように俺を見つめていた。


 そんな目を向けられると、この現実を在り在りと見せ付けられているようで。またいつもの、甘い自分が顔を覗かせてしまう。決意が鈍る。しかし、見えない力は尚もこの体を突き動かした。もう、俺にも止められない。


 二つの瞳から逃がれたいと願った俺。それが悪かったとでも言うのだろうか。Gの頬を押さえていた両手は、まるで意思を持ったように位置を変えてゆく。両手の親指がGの視線を遮るように、両目の瞼を押さえ込む。


 次に起こる展開が容易に想像できた。でも、そこまでを望んだわけじゃない。Gが動けなくなるだけで十分だ。


 命を奪うのは容易い。だが、そんなやり方で終わらせてしまうのは生温いというのが俺の持論だ。自らの罪と向き合い、それを償わせること。それこそが本当に大事なことだと思う。しかし、こいつに対してどうしようもないほどの怒りを感じていたのも事実。この力は、俺の本心の現れなのか。


 そして、俺が抱いていたのは青臭い正義感なのだと思い知る。現実は、どこまでも残酷でしかなかった。


 獲物へ牙を突き立てるように、生々しい感触が親指を伝う。耳へ届いたのは壮絶なGの悲鳴。その声を更に絞り出そうと、二本の親指が傷跡を更に深く抉り、乱暴に掻き乱す。


 俺が狂ったのか。それとも狂わされたのか。もう正常な思考すら維持できない。水面の上から俺を見下ろしていた一つの意識。あれはまさしく悪魔だろうか。俺は破壊の渦に翻弄されるだけの、ちっぽけな存在に成り果てたのだろう。抗うことは許されず、悪魔の宿ったこの体は、Gの命を奪えば満足してくれるのだろうか。


 頼むから、もう止めてくれ……


 赤い物が滴る両手をだらしなく垂らし、眼下で痙攣するGを見下ろしていた。敵は想像を絶する痛みに耐えかね、気を失ったようだ。しかし、獲物を求める俺の視線は、敵の心臓部をじっと見据えていた。

 右腕に力が込められ、それと連動するように拳が強く握られた。後はそれを、狙った位置へ振り下ろすだけ。


 誰でもいい。誰か、助けてくれ。


 そんな俺の願いとは裏腹に、前屈みになった体は狙いを定めて右肘を掲げる。これが突き出された時、間違いなくGの命は尽きる。


 止まれ。ここまでやれば充分だ。


 水底から必死に叫んだ。しかし、その声が水面へ届くことはない。無色透明だが、大きな歪みを持つ厚い壁で隔絶された世界。それが、今の場所。


 そんな俺をあざ笑うかのように、右拳は狙い違わず振り下ろされて。


水竜流嚥ヴォロンテ・ロウラ!」


 その時だ。横手の死角から、体を覆う程の巨大な水流弾が飛んできた。


 俺は体を大きく弾かれながらも、どうにか両腕を振り上げた。その動きに合わせて、水流弾は上空へ弾き飛ばされる。


「そこまでです!」


 薄闇の中、凜とした声が響いた。全てを戒め、自らを規律と化し、厳しく諭すような力強さを持って。


 だが、俺の胸中に湧いたのは怒り。破壊行為の邪魔をされたことを疎ましく思いながら、感情の矛先が声の主を追う。


 そこに佇んでいたのは、純白の長衣に身を包んだ一人の少女。触れただけで壊れてしまいそうな細い体だというのに、思わずたじろいでしまうほどの力に満ちている。


 だが、制御不能となった俺の体は、そんな存在に対しても容赦という言葉を知らない。明確な敵意を剥き出している。


「うがあぁぁっ!」


 地を駆け、一気に間合いを詰める。

 しかし、その光景を目の当たりにしても、少女は全くひるまない。


 優雅にも見えるほどゆっくりとかざされた右手。そこを起点に球体状の魔力結界が展開。彼女の体を瞬時に覆い隠した。


 直後、俺の右拳が結界を真正面から打つ。障害の全てを粉砕するような怒気を秘めた一撃が、結界の表面に大きな波紋を巻き起こした。


 しかし、ただそれだけ。


 荒ぶる力は瞬時にいなされ、まさに水面を打つかのごとく威力を殺された。衝撃は結界の表面を滑ると、彼女の周囲と背後の大地を荒々しく削り取り、吹き流されてゆく。


 水色をした半透明の結界。その向こうで、聖女は薄く微笑んで。


炎竜王えんりゅうおうセルジオンともあろう御方が、この私をお忘れですか」


 その目は全てを見透かしたように、俺の心を強く捕らえたのだった。

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