15 教会への潜入
モーリスを残し、俺たちは寺院の中へ踏み込むことに。だが、これまでのGを考えても、すんなり時計塔へ行けると思えない。
咄嗟に、背後のアルバンを振り返った。
「ここへ来るまでにも罠があった。寺院の中にはもっと強力なやつがあるんだろ?」
「詳しくは分かりませんが、あるとしても少ないと思います。ここはアジトですし、うっかり誰かが作動させれば一大事ですから」
「まぁ、それもそうか……」
Gのことだ。人質を盾に俺たちを脅すのが、一番安全で効率的だろう。
「罠って、なんだか危ない響きでゾクゾクしちゃう。たまんないわ」
「は?」
呆れながら目を向けると、シルヴィさんは水袋を口へ運んでいる。
「って、それ絶対に酒ですよね? こんな時に、何をしてるんですか」
「運動後の水分補給。左腕も痛いし、痛み止めの代わりみたいなものよ」
ほくそ笑みながら、俺の鼻を指先で小突いてくる。まったく、なんて人だ。
「突っ込みどころ満載の返しで、怒る気力も失せてきました」
「えぇ。そんなこと言わないで、どんどん激しく突っ込んできてぇ……」
とりあえず、この人は放っておこう。
ベルトに差した護身用の短剣を引き抜き、建物側面の窓へ歩み寄る。
内部は大聖堂だと言っていたアルバンの言葉通り、精巧な細工の施されたステンドグラスが等間隔に並んでいる。気後れしながらも、短剣の柄頭で手近な一枚を叩き割った。
「俺が罠を確認しながら先行します。時間差で付いて来てください」
竜臨活性の力が残っているうちに、罠を避けながら先行するしかない。正面は敬遠し、脇から侵入する方法を選んだ。
日も落ち、薄暗くなった建物内。最奥には豪華な祭壇が置かれ、その後ろへ大きな翼を広げ両手を組んで祈る金色の女神像が。これは大司教の寺院で見た物と同じ。慈愛の女神ラフィーヌだ。
祭壇へ向けて木製のベンチが等間隔で並び、数百人は軽々と収容できる広さがある。
「あの辺りか」
祭壇の右手にある扉の先へ、上階へ続く階段があるという。だが、ある異変に気付いた。
扉は既に開け放たれている。しかも、反対の壁には数本の矢が深々と突き刺さっていた。
「扉を開けた瞬間に、ズドンってわけか」
やはり罠があった。アルバンへ酒瓶グリグリの刑が確定し、ニコラが上階へ向かった可能性が濃厚になった。それを裏付けるように、床には点々と血痕が続いている。
竜臨活性のお陰で体が軽い。数十メートルを瞬く間に走り抜け、扉の先を覗き見た。
正面には別棟へ続く通路。右手には上階へ続く階段。頭上へ配置された魔力灯が足下を照らしているが、辺りに人の気配はない。
Gの指示通りに上へ向かうしかないが、『あの話』が本当だとしたら、ニコラの行動理由が全くわからない。
「とりあえず、行くしかねぇか」
階段を登った四層目へ向かえば、時計塔のフロアに辿り着くという話だ。それを信じて二階へ進んだ。
二階の踊り場へやってくると、周囲には炎で焼けた後が。恐らく何かの罠があったのだろうが、ご丁寧に解除して回ってくれるニコラへ礼を言うしかない。アルバンが知らないことと、ニコラでも回避できないということは、即席で後付けされた罠なのだろう。
踊り場の先へ空間が広がっているが、ここに用はない。無視して三階へ向かうと、そこには足跡が残るほどに積もった黒の粉塵。これは恐らく、俺がかけられた毒粉塵と同じ物だ。こちら側を徹底的に潰す作戦だろう
腰に下げた水袋を取り、粉塵が巻き上がらぬよう周囲へばらまいた。解毒薬を飲んだ俺はともかく、一口含んだだけのシルヴィさんと、予防のないアルバンには充分な脅威だ。
時計塔はこの上。この調子だとニコラが踏み込んでいてもおかしくないが、油断は禁物だ。足音を殺し、一気に四階へ進んだ。
途中、目に付いたのは焼け焦げた跡。だが、それだけじゃない。壁と階段の一部が所々削れている。恐らく魔法だ。上階から放たれたか、魔法石がばらまかれたのだろう。
階段を数段残して四階を覗くと、踊り場の先へ一枚の扉が見えた。その先に小部屋があるという話だ。
「一気に突っ込むか……」
正直、何があるか分からない。扉も閉ざされている以上、警戒のしようもない。
深呼吸して次の動きに備える。体は疲弊しているが、立ち止まるわけにも挫けるわけにもいかない。もう一息で全てが終わる。自分自身へ言い聞かせ、力と気力を奮い立たせた。
木製扉の脇へしゃがみ、手にした短剣を口へ咥える。右手に閃光玉、左手で扉のノッカーを掴む。
扉を一気に引き開けた直後、室内から火球の魔法が飛び出した。それに続き、ひとりの男性剣士が突きを仕掛けて駆け出してくる。
思わぬ展開に驚きながらも閃光玉を放り込む。室内から、女性の悲鳴が漏れてきた。
素早く立ち上がる。軽量鎧に身を包んだ男性剣士の腰を狙い、肘と肩を使って体当たりを仕掛けた。
男がうつ伏せに倒れ、長剣が床を転がる。だが、鎧に身を包んだ相手では、さすがにこちらへの反動も大きい。
肩の痛みを堪え、即座に男の背へ馬乗りになった。短剣を右手へ持ち直した今、後は敵の首をひと突きするだけ。
その時だ。重りを纏ったように動きが鈍り、激しい脱力感に襲われた。後一歩というこの時に、竜臨活性が切れるとは。
股の間で、剣士が素早く仰向けになる。狙い澄ました俺の短剣は、右手首を強く掴まれ抵抗された。このまま降ろすだけだというのに、力が入らない。
「くそっ」
歯を食いしばり、左手を添えて強引に押し込む。その最中、右手の紋章からラグが飛び出してくるのが見えた。
「がう、がうっ!」
声援を送っているつもりだろうか。余計に気が散って仕方ない。
「どうした? 碧色の閃光」
男は余裕の笑みすら浮かべて、挑発するように俺を見上げていた。その表情に、怒りと悔しさが込み上げる。
焦る気持ちを抑え、舌で『それ』を転がした。前歯で噛み付き起動させ、男の顔へと落下させる。
「うわっ! があぁっ!」
男の顔が炎に包まれた。こいつの顔へ落としたのは、炎の力を宿した赤い魔法石だ。竜臨活性が切れることは想定済み。それを見越して、次の手を用意しておいたのだ。
突然のことに男は混乱していた。驚きと痛みに呻く壮絶な顔を眺め下ろしながら、ゆっくりと確実に、喉へ短剣を突き刺した。
肉を裂く生々しい感触が両手を伝い、込み上げる強烈な吐き気を必死に押し留めた。
苦しい。新鮮な空気が欲しい。
胸の中へ広がる、どす黒い気配。決して拭い去れないそれを吐き出すように深呼吸をして、顔を上げた時だった。
「そこまでよ。武器を捨てて」
室内から漏れる女の声。魔力灯が照らし出すのは、ふたつの人影だった。
眼前の異様な光景に言葉が出ない。
黒の法衣を纏う、長髪で細身の女。そいつが、隣の女の喉元へ短剣を添えていた。
狙われているショートヘアの女は、口だけでなく両手も後ろに縛られている。しかも身に付けているのは下着だけ。体へ残された無数の痣と擦り傷を見るに、ただ事ではない。
「てめぇ……カロルか?」
「だったら何だっていうのよ」
「馬車に乗って、見回りに出たはずだろ?」
問い掛けに、声を出して笑う。
「単純。あの馬車に乗ってたのはひとりだけ。ここへ戻って来る途中、グラセールで攫ってきた知らない男。逃がす時に傷を負わせたから、今頃は野垂れ死んでるんじゃない?」
そういうことか。これが、こいつらの仕掛けた最大の罠というわけだ。
「その人質は本物のリーズなのか? 彼女を大人しく解放すれば、命だけは助けてやるよ」
女は何かを呻いているが、口を塞がれているせいで聞き取ることができない。そしてカロルは、鋭い視線をぶつけてくるだけ。
良く見れば綺麗な顔立ちだ。街へ出れば、そこらの男が放っておかないだけの容姿を持ち合わせながら、深い闇と憎悪が滲んだ瞳。性格の悪さが顔へ滲み出している。
「はん! 交渉はこっちに分があることをお忘れなく。Gに、この子だけでも預かっておいて正解だったわ。あのティランを切り刻むなんて信じられない。あんたの方が化け物ね」
「何とでも言えよ。とりあえず、さっさとリーズを離したらどうなんだ?」
「あんた、自分の立場がわからないみたいね。この子が死んでもいいの?」
意地の悪い笑みを睨んだ時だ。背後から慌ただしい足音が近付いてきた。
「カロル! リーズ!」
駆けつけたのはアルバンだ。ということは、人質は本物のリーズ。面倒なことになった。
「いらっしゃい。ようやく到着ね……モーリスが下にいるのが見えるけど、彼は居残りなの? 残念だけど、まぁいいわ。あなたとは、ゆっくり話したかったから」
醜悪な笑みを浮かべる魔導師。その口端が大きく持ち上がると同時に、言いしれぬ不安が胸を埋め尽くしていた。