12 暴れん坊の大型魔獣
シルヴィさんが手にする解毒薬。それが本物だというのなら、今すぐに欲しい。
「リュシー。これが欲しいんでしょ? お姉さんへ正直に言ってごらんなさい……大丈夫よ。怖がらなくていいんだから」
「だ、か、ら、それが本物だっていう確証は? そんな危険を冒さなくても、三十分で毒は消えるみたいですから」
からかうような笑みを浮かべるシルヴィさんへ、言い返した時だった。
『クックッ……俺が、そんなお人好しだと思うか? 十分以内に建物へ入ってこなけりゃ、人質をひとり殺す。まずはリーズからか』
通話石から漏れたGの声に、舌打ちする。
「ホント、イヤな奴」
時計塔を見上げるシルヴィさん。その奥へ、こちらを伺うアルバンとモーリスの姿。ふたりは既に鎧を纏い、次の戦いに備えている。
「こちらの方は碧色さんのお仲間ですか? 何というか、凄いですね」
恐ろしい物でも見るようなアルバンの顔。対してモーリスは、シルヴィさんの姿態へ熱い視線を這わせているんだが。
確かに顔立ちは綺麗だし、体つきも申し分ない。裸同然の装備に加え、この色気と卑猥な性格。ハマる奴はハマるだろう。
「あら、可愛いボウヤたち。あたしのリュシーがお世話になったみたいね」
妖艶な笑みを向けられたアルバンの顔は引きつり、モーリスは顔を赤くして目を逸らす。
「お世話になっているのは我々の方です。巻き込んでしまってすみません」
「謝ることなんてないわ。あたしたちも、Gって男に用があるんだし。あら? 丁度いいから、どっちかが毒味役をしてくれない?」
「シルヴィさん。初対面の相手に無茶な頼みは止めてください」
冗談だろうが、何を言い出すんだか。
「だったら適任の男がいるぜ」
モーリスは意地悪く微笑みながら親指を上げ、肩越しに背後を示した。
釣られるように視線を向ければ、寺院の入口扉へ寄り掛かる、ニコラの姿。
「ニコラで試すつもりなのかい!?」
アルバンが抗議の声を上げる。
「裏切り者だ。信用することも、生かしておくこともできねぇ」
「だからって……」
「オッケー。その案、頂きね」
アルバンの眼前へ斧槍を突き出し、シルヴィさんは話を打ち切った。
当のニコラは敵意を漲らせ、こちらを鋭く睨んでいる。つい先程まで仲間だった存在が、敵という認識へ変わってしまった。
見えない壁がそそり立ち、互いの気持ちと距離を遠ざけてゆく。吹き荒れる風は、どんな言葉すら掻き消してしまうだろう。
ニコラが背を預ける扉には、真っ赤な血が付いていた。恐らく、動き回るだけでも相当な労力のはず。寺院へ逃げ込み仲間と合流するつもりか、右手は入口扉の閂へ触れている。
「僕とカロルを引き裂こうとする君たちなんて、ここで死ねばいいんだ!」
閂が抜かれると同時に、こちらへ向けて大きく開いた扉。それはまさに地獄への入口か。屋内に見えたのは信じられない物だった。
「魔獣!?」
先程襲われたワニ型魔獣クロコディル。見た目は同じだが、体の大きさはその比じゃない。全長十メートル近い超大物だ。
『ニコラ、段取りを台無しにしやがって……まぁいい。その魔獣はペットのティランだ。暴れん坊だから、せいぜい気を付けるんだな』
Gの余裕は、こいつの存在があったからだ。しかし、これ程の大型魔獣をどんな方法で手懐けたのか。
「くそっ、ふざけやがって」
「あらら? ちょっとヤバイかもね〜」
シルヴィさんは意を決したように、手にした解毒薬の栓を抜き取る。するとなぜか、それを一気に飲み干した。
「は? 何してるんですか?」
近付いてきた彼女に顔を押さえ込まれた。抗議の声を上げる間もなく、薄紅色をした艶やかな唇が、俺の唇へ重ねられていた。
「んぐうっ!?」
舌を差し込まれ、口を強引にこじ開けられた。直後、どろりとした苦みのある液体が舌を滑り、喉へと流れ込む。
『クックッ……バカどもが随分と思い切ったな。特別に、それは本物だと伝えておいてやるが、事前に服用する物だ。多少の解毒効果は見込めるだろうが、どこまで効くかな?』
「うえぇっ。マズっ!」
顔をしかめていると、離れたシルヴィさんは、口元を伝う白い液体を指先ですくった。
「うふふ。続きは今夜ね」
「は?」
大きく伸びをしたシルヴィさんは、斧槍を担いで前へ出てゆく。
「ボウヤたちも下がりなさい。悪いけど足手纏いよ」
戦姫の先には、ようやく狭い檻から外界へ解き放たれた魔獣の姿がある。
血の臭いに誘われたのか、地面に転がるDの遺体を丸呑みにした。さすがに鎧を纏ったMは口にできなかったのか、兜の脱げた頭部だけが囓り取られている。
余りの凶暴さに不安が過ぎり、シルヴィさんの後ろ姿を目で追った。
「深血薔薇の残存魔力は大丈夫ですか?」
魔導武器も、素材となっている魔鉱石のランクで含有魔力量が異なる。あの斧槍は数発程度の魔力量しかなかったはずだ。使い果たせば自然回復を待つしかない。
「お姉さんに任せなさいって。さてと、盛大に逝かせてあげるわ」
戦姫が駆け出すと同時に、アルバンへ視線を送った。毒さえ消えればどうにかなる。
「俺の革袋から、魔力石を取ってくれ」
視線の先では既に、戦姫と魔獣との戦いが始まっていた。
先程の小型と同様、外皮は思いの外に厚い。上段から勢いよく振り下ろされた斧槍の刃先さえ、難なく弾かれてしまう。
目障りな虫を払うように、轟音と共に振るわれる尾。側の瓦礫を打ち砕き、戦姫へ迫る。
だがそこは、経験豊富な紅の戦姫。敵の背へ飛び乗り、振るわれた尾を難なく避けた。
「碧色さん。これで良いですか?」
「それを右手に乗せてくれ。早く!」
手の平には中型の魔力石。そこへ意識を集中し、内包された魔力を引き出しにかかる。
「きゃっ!」
魔獣の背から振り落とされた戦姫が、僅かに体勢を崩しながら地面へ落下。そこを狙ったように、魔獣が大きく口を開いて身構えた。
「気を付けろ、何かやるつもりだ!」
モーリスが声を上げると同時に、魔獣は喉の奥から大きな塊を吐き出す。
「伏せろ。水流弾だ!」
視界に飛び込んだのは圧縮された水の塊。そういえば、アンナが言っていたはずだ。クロコディルは体内の袋へ水を溜め、それを魔力球のように吐き出す種類がいると。
体勢を崩していた戦姫は、攻撃を避けきれなかった。半身を飲み込まれ、その勢いで旋回しながら大きく弾き飛ばされてしまう。
水流弾は地面を抉り、敷地の壁すら突き破った。その先で、建物が倒壊する激しい物音と、立ちこめる土煙。
右腕一本で必死に身を起こそうとするシルヴィさん。そこに覗いた加護の腕輪。魔力障壁の残量ラインは既に黄色だ。
「シルヴィさん!?」
倒れたままの彼女を狙って、魔獣は体をくねらせ突進。このままでは間違いなく餌食にされてしまう。
体の奥底に眠る力を呼び起こすように、心臓が一つ大きく脈打った。それが毒の呪縛を断ち切る合図だったのか、不意に体は軽くなり、自由と活力を取り戻す。
「させるかよ……」
鋭く大きな牙を剥き、シルヴィさんを飲み込もうとする魔獣。だが俺の踏み込みが、その速度を凌駕した。
「鈍くせぇんだよ。ザコが!」
シルヴィさんを左肩へ担ぎ上げ、魔獣の鼻先を掠めすぎる。すれ違い様、手にした魔剣へ怒りを込め、魔獣の右目へ斬撃を見舞った。
苦しみ悶える魔獣。激しく暴れているが、それに巻き込まれないよう慌てて距離を取る。
『碧色。てめー、なんで動ける?』
左手へ握ったままの通話石から、動揺するGの声が漏れてきた。
「こっちにも手札は残ってるってことだ。いい気になってんじゃねぇ」
これまで余裕を見せていたものの、さすがに驚きを隠せないようだ。
『なるほど。その髪の色と関係があるみてーだな。何をしやがった?』
「教えるわけねぇだろうが。その腐った脳ミソで考えたらどうだ?」
シルヴィさんの体をそっと降ろし、アルバンへ通話石を放った。
「持っててくれ。そいつの汚ねぇ声を聞くだけで、耳が腐りそうだ」
「リュシー。ゴメンね」
「後は任せてください」
ここで竜臨活性を使ってしまったのは誤算だが、出し渋っても仕方がない。シルヴィさんを救えたのだから、ここが一番の使いどころだったということだ。
本当に危ない所だった。魔力石から力を引き出したのも、ある種の賭け。毒の効果は残っているが、力を高めれば、きっとラグが復活すると見込んだのは正解だった。
それを待っていたように、右手の紋章からラグが飛び出してきた。即座に力を取り込み、シルヴィさんの下へ飛び込んだのだ。
今は、竜臨活性で無理矢理に体を動かしている状態だ。効果が切れてしまえば、毒の影響で動けなくなるかもしれない。でも、それを気にしている場合じゃない。
「G、待ってろよ。このワニを斬り刻んだら、次はてめぇの番だ」
ここから反撃だ。目に物を見せてやる。
竜骨魔剣を握る手に力を込め、腰を落として身構えた。