07 白髪の老剣士
「しっかし、リュー兄ってやっぱりスケベだよねぇ。マリーちゃんの映写を見た途端、釘付けだったよね? 固まってたよね?」
「スケベとは違うだろうが! あまりの美少女っぷりに、驚いただけだ」
儚さと色気が入り交じる、切れ長の目と長い睫毛。すっと通った鼻と、蕾のような唇。それら全てが小さな顔に詰め込まれ、美の宝船が形成されていた。そして、煌めく長い黒髪は、さながら宝船を運び顕界と夢世界を結ぶ海のようで。
だが、ここで現実に返った。セリーヌにあそこまで言っておきながら、映写の美少女へ釘付けになってしまうとは。
そっと様子を伺うと、俺たちから僅かに距離を取っている。街を眺めてぼんやりと歩いているが、元気がないのが気になる。
「で、本命はセリちゃん、と。アンナのクロスボウを貸してあげるから、恋の矢を打ち込んでメロメロにしてみたら?」
背負った魔導弓を取り出し、セリーヌの背中へ狙いを定める仕草をしている。
「おまえは本当に一言多いな。それに、街中でそんなものを取り出すな」
「うわぁ。リュー兄が怒ったぁ!」
やっぱり連れてくるんじゃなかった。
食事の後、アルシェ夫妻とは店の前で別れ、明朝にアンターニュへ続く山道入口で待ち合わせをした。今夜はこのまま宿へ戻って、ひとり静かに眠るだけだ。昨晩は眠りが浅かったこともあり、強烈な睡魔に襲われている。
「ねぇ、リュー兄。気付いてる?」
そっとささやいてくるアンナ。その表情に、ただならぬ雰囲気を感じた。
「何のことだ?」
だが、余りの眠気に頭がぼんやりする。
「もう。肝心な時に役立たず!」
振り向き様、アンナはクロスボウを構えた。
闇夜を貫くように飛んだ一本の矢。視界の端では、セリーヌも魔導杖を身構えている。
「なんなんだ!?」
振り向きながら、腰の魔剣を引き抜いた時だ。視界に入ったのはひとりの人影。身を逸らし、黄金色の矢を避けて駆け込んでくる。
賊だろうか。しかし、それを即座に否定した。動きが洗練され過ぎている。並の相手でないことは容易に想像が付いた。
胸元を狙って振り抜いた魔剣の一閃。しかし、相手の繰り出してきた一降りに、それは真っ向から受け止められていた。
街路へ等間隔に配置された魔力灯。その灯りが、相手の姿を浮かび上がらせる。
男。深い皺の刻まれた顔は五十近いだろうか。獲物を狙うような鋭い目が印象的だが、多くの戦いを経てきた戦士の貫禄がある。
ベージュに染まった外套を羽織っているが、恐らくその下も戦闘装備を身に付けている。
矢を避け、剣の一閃を受ける。かなりの手練れと見て間違いない。
「お待ちください! 敵ではありません」
不意に声を上げたのはセリーヌだ。杖を降ろした彼女は、優しさを湛えた笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「は? 敵じゃない、って……」
呆気に取られていると、眼前の男は素早く剣を収めた。立ち振る舞いにも隙がない。
男は外套のフードを脱ぎ去り、白髪混じりの頭髪を露わにする。
「セリーヌ様。お元気そうで何よりです」
「コームも。顔を見られて安心しました」
様付けとはどういうことだ。多少抜けているところもあるセリーヌだが、実は高貴な身分なのだろうか。神器を持っていたり、長老から首飾りを貰ったり、確かにそれらしいフシはある。この男は知り合いということか。
「彼等はセリーヌ様の従者ですかな? 背後から狙うような仕草を目にして、思わず飛び出してしまいました。失礼」
従者という言葉に怒りが込み上げた。するとセリーヌは、怒っているようで困ったようにも見える複雑な顔をした。
「彼等は従者などではありません。共に旅をする、対等な間柄です」
その一言に、多少は気分が晴れた。
「おまえが紛らわしいことするからだ」
魔剣を収めてアンナを見ると、大きく頬を膨らませていた。
「アンナのせい!? その前から、このおじさんの闘気が伝わってきてたよ」
釣られて男を見る。すると彼もまた、こちらへ鋭い視線を向けていた。
「少々、よろしいですかな?」
男は、セリーヌを黙って見つめている。
「おふたりは先に宿へ戻っていてください。私は彼と話がありますので」
「いや、いくらその人が一緒でも、こんな夜遅くに残していけるかよ」
それでなくとも賊に攫われたばかりだというのに。セリーヌもセリーヌで、もっと警戒するべきだ。
「ほら、リュー兄。ジャマになるだけなんだから、大人しく宿に戻るよ」
セリーヌと男からの拒絶するような視線。アンナに強く腕を引かれた。
俺が入り込む余地はない。渋々離れ、アンナと共に宿へ向かう。
「あのおじさん、何者だろうね? リュー兄はセリちゃんのこと、どこまで知ってんの?」
「ほんのうわべだけだろうな……複雑な事情がありそうだけど、話してくれねぇ。そこまで踏み込んだこともないんだ」
「そんなんで仲間って言えんの? もっと腹を割って話せばいいのに」
下手なことを聞いて、嫌われたくないという想いが強い。それほどまでに、セリーヌへのめり込んでしまった俺がいる。
そっと背後を伺った。魔力灯の光も十分に行き届かない暗がりで、言葉を交わし続けている。時折、セリーヌが身振り手振りを交えているが、男は腕を組んだまま、それを黙って聞いていた。
「『聞いてください。あの方は、なんとムッツリスケベなのです! 私の胸ばかり見て』。『なにっ! その話は真ですか? そんな害悪は、今すぐ斬って捨てねば!』」
隣から聞こえてきたインチキ芝居へ、凍えるような視線を放ってやった。
「おまえ、楽しいか?」
「うん。割とね」
呆れを込めた溜め息が漏れる。俺は重い気持ちを引きずりながら宿を目指した。
☆☆☆
「じゃあ、行くか」
翌朝、宿の前で顔を合わせた俺たち。側に立つセリーヌは何事もなかったように、いつもの穏やかな佇まいだ。コームという名の剣士の姿もない。聞いたところで答えてくれるとも思えない。そっとしておくことにした。
気持ちを切り替え、当初の目的に専念だ。アルシェ夫妻と待ち合わせた霊峰の入口は、この街の最奥。舗装された石畳を歩きながら、穏やかな時間の流れる街並みを眺めた。
山々に囲まれたこの街は、商業的な趣よりも保養地といった雰囲気だ。自然に囲まれ、都市とは一線を画した開放感。それを裏付けるように、街の一角には富裕層の豪邸も建ち並んでいる。
大司教もこの街を選ぶほどだ。人々の喧噪や俗世との繋がりを絶つには打って付けの場所なのかもしれない。以前に依頼で立ち寄った際は滞在期間も短かったため、この街の特徴に全く気が付かなかった。
「ここって温泉街なんだね。リュー兄も、宿の露天風呂、行った?」
「あぁ、もちろん。広くて気持ち良かったよなぁ。最高の開放感だったよ」
「アンナは、セリちゃんと入ったんだよ。いいでしょ? リュー兄が見たら鼻血モノだよ。見事な体型なんだから!」
「へぇ〜……」
平静を装いつつも、気になって仕方ない。バスタオル一枚のセリーヌ。どんな攻撃魔法も上回る、驚異的な破壊力だ。
と思いつつも、先日には下着姿を間近で拝見させて頂いたわけだが、それはそれ。下着とタオルでは趣が違うんだ。絶対に。
「ボン、キュッ、ボンって! 胸を触らせてもらったんだけど、大きくてずっしりしてるのに柔らかいの! とにかく凄いよ」
「大ざっぱな感想をありがとう。ざっくり過ぎて、逆に伝わらねぇわ」
何気なくセリーヌへ視線を向けるが、ぼんやりとして心ここにあらず。
「どうした。大丈夫か?」
「え? はい。大丈夫です」
気のない返事が返ってくるだけだ。
「昨日の男、コームって言ったっけ? あの人に、何か言われたのか?」
「いえ。本当に何でもありませんから」
力のない笑みに、どうしようもなく不安になってしまう。俺だってあれだけの告白をしたのだ。もっと頼ってくれてもいいだろうに。
「何かあったら言ってくれよ。俺にできることは何でも力になるから」
「はい。ありがとうございます」
「リュー兄にできるのは、セリちゃんをスケベな目で見ないことくらいじゃない?」
「うるせぇ。おまえは黙れ」
ニヤニヤと笑う、アンナの額をつねってみた。
「いだっ。暴力反対!」
「だったら、必要なこと以外は喋るな」
子共の喧嘩のような言い合いを続け、俺たちは歩みを進めた。
☆☆☆
「なんだこれ……」
街の奥へ来ると、石造りの大きな門がそびえ立っていた。それはまるで外界からの侵入者を拒む居城のようだ。
門前には人々が行列を作り、僅かに離れた場所でアルシェ夫妻を見付けた。
「この行列は何ですか?」
「あら、リュシアンさんは初めてですか? 治療を求める患者が、受付を済ませるために列を作っているんですよ」
歩き始めたメラニーさんに続き、俺たちも列の最後尾へ並んだ。
「さすが高名な大司教ってわけか。大忙しだろうけど、魔力が持つのか?」
セリーヌやエドモンが使う癒やしの魔法は、軽傷でも十分から二十分の時間を要する。持続型魔法のため魔力の消耗も激しく、一日に三十人程度を癒やすのが限度だろう。
「それは……全員が、大司教様の治療を受けられるわけではないんですよ」
「どういうことですか?」
訳がわからず、思わず問い返していた。