06 奇跡の裏側
呆然と立ち尽くしていると、茂みを掻き分けて人影が現れた。思わず息を呑む。
「セリーヌ……」
それ以上の言葉が続かない。 彼女は一度足を止め、どこか戸惑うような表情を浮かべてから、静かにこちらへ歩み寄ってきた。
「ありがとう。助かったよ」
短く礼を告げると、小さく頷いたセリーヌが、そっと俺の左肩へ手を添える。
「水竜癒命」
青白く淡い光が傷口を包み込む。じんわりとした温もりを伴い、痛みを溶かしていく。
「すみませんでした……昨晩から、色々ありすぎて……どう接して良いのか、わからなくなってしまって」
「どうって、今まで通りだろうが」
「よろしいのですか?」
驚きに見開かれた瞳。その顔が、見る間に赤く染まる。
「あの……私はてっきり……身体を求められているのだとばかり……」
図星を突かれたようで、思わず言葉に詰まる。
どうやら俺の機嫌の悪さを、そこに結びつけたらしい。
「まぁ、否定はしないけどな。でも、それは長老とやらに話を通してからだろ」
わざと軽く肩をすくめてみせる。
「認めてもらえるように動く。だから……呪いが解けたら、故郷の島に案内してくれないか」
「え? それはまさか……」
視線が泳ぎ、露骨に動揺している。
「そのまさかだよ。俺は本気だ」
口にしてから、自分でも驚くほど真っ直ぐな言葉だった。だが、引き返すつもりはない。
「困ります……私の目的は、災厄の魔獣を討ち滅ぼすことです。一族の無念を晴らすまでは……私だけ幸せになることなどできません」
「だったら、倒せばいいだろうが」
「え?」
「その魔獣を倒せばいいんだろ。セリーヌが心置きなく笑えるようになるなら、どこまででも付き合ってやるよ」
気付けば言葉が溢れていた。
「どんな相手だろうが、俺が全部ぶっ倒してやる」
沈黙が落ちる。
セリーヌはただ、じっとこちらを見つめていた。
「リュシアンさん……そこまで……」
瞳の奥に揺れる光を見て、ようやく涙に気付く。
「おい……泣くほどのことかよ」
「すみません……なんだか、胸がいっぱいで……」
どうしていいかわからず、頭を掻きむしる。
「そんな顔してると、また俺が泣かせたみたいになるだろ……特に、そこにいる奴にな。いい加減に出て来い!」
応えるように、数メートル後方の頭上で葉が揺れた。続いて、軽やかな着地音。
「なんか、いい雰囲気だったから……これは是非、みんなに報告しないとね」
「やめろ。それだけは本気でやめろ」
セリーヌの手から離れ、背後に迫った声の主を振り返った。アンナだ。
「おまえにも助けられた。ありがとな」
「えへへ。余計なお世話じゃなかった?」
赤い短髪に掛かった葉を振り払い、いたずらめいた笑みを見せる。
「で、他はどうした?」
「知らない」
「は?」
「リュー兄の動きが怪しかったから、ひとりで追ってきたの」
呆れを通り越して、感心すら覚える。
「おまえを甘く見た俺の落ち度だな……帰れって言っても無駄なんだろ?」
「うん」
「即答かよ……」
面倒な奴に見つかった。
だが、セリーヌとこのまま悶々と旅を続けるのも生殺しだ。むしろ緩和剤になるだろう。
「ちょうどいい。俺たちはカルキエに向かってる。手を貸してくれ」
「リュシアンさん。よろしいのですか?」
セリーヌは戸惑いを浮かべている。
みんなに迷惑は掛けられない、などと格好を付けてしまったが、すべて撤回だ。
「大丈夫だ。問題ない」
「アンナに任せて。で、何の依頼なの?」
いつもは能天気なくせに、今日は食い気味に詰めてくる。
こいつのことだ。俺が呪いを受けたなどと知ったら大騒ぎだろう。
しかも先日の戦いでは賊に逃げられ、仮面の男は赤竜に横取りされるという踏んだり蹴ったりの結末。
あざ笑う、レオンの顔まで頭を過ぎる。
「大司教に会いにな。実はこの間の戦いで、セリーヌが強い呪いを受けちまってさ」
「え?」
間抜けな声を上げるセリーヌ。
頼むから、うまく話を合わせてくれ。
「呪い? 大丈夫?」
アンナは深刻な顔でセリーヌを伺う。
「心配ない。魔法の威力が低下して、疲れやすくなるって類の呪いらしいんだ」
「魔法の威力が低下って、さっきの雷で魔獣は一網打尽なんだけど……セリちゃん凄い」
「だから心配ないって言っただろ。セリーヌの魔力は桁違いだからな」
「そっか。でも急がないとね」
苦しい言い逃れだったが、どうにか誤魔化せた。
討伐の証拠を魔力映写で記録し、馬車へ戻る。
アンナは走って追いついたらしい。その脚力と運動能力は、もはや驚く気にもならない。
「大丈夫でしたか!? 心配しましたよ」
御者に事情を説明すると、アンナの料金を取らずに乗せてくれた。
再び走り出した馬車の中、ようやく息をついたその時だった。
「随分とお強いんですね……皆さん、冒険者の方たちですか?」
隣に座る女性が、遠慮がちに声をかけてきた。疲れた表情だが、整った顔立ちをしている。
横には同年代の男性の姿もある。薬指の指輪を見るに、夫婦で間違いないだろう。
「えぇ……まぁ」
「強いなんてもんじゃないよ。このリュー兄は、碧色の閃光って呼ばれてるんだから! ムッツリスケベだけどね」
「おい。さり気なく、余計な情報をぶっ込むんじゃねぇ」
一瞬で評価が地に落ちた気がする。周囲の視線が痛い。
向かいに座る男の子から、不思議なものでも見るように凝視されていた。
「お母さん、ムッツリってなぁに?」
「しっ……あとでね……」
「後って、いつ? ねぇ? ねぇ?」
もうやめてくれ。
そんな空気の中、女性が意を決したように口を開いた。
「あなた方の強さを見込んで、お願いがあります」
「お願い、ですか?」
「こんなスケベで大丈夫? いだっ!」
アンナのおでこを平手打ち。いい音が響いた。
「ここでは話しづらいので……カルキエに着いてから、お時間を頂けませんか?」
ただならぬ様子に、思わず顔を見合わせる。
「すみませんが、先を急ぐ身なので……霊峰アンターニュで、大司教様に会わないといけないんですよ」
「実は……私たちのお願いも、大司教様に関係する話なんです」
※ ※ ※
「それで、話っていうのは?」
その夜。カルキエの食堂。
六人掛けのテーブルを挟み、向かいに座る夫婦、クロードさんとメラニーさんが口を開いた。
「娘のことなんです……十七歳で、マリーと言います」
話を聞きながら、料理へ手を伸ばす。山の恵みを活かした色鮮やかな皿が並び、香りだけで食欲を刺激してくる。
「娘は生まれつき強い魔力を持っていました。ところがある日、より強い力に目覚めたんです」
「具体的には?」
「病気を和らげ、どんな怪我も治してしまう、癒やしの力なんです」
思わず手が止まる。
大司教の奇跡と、同じだ。
「一年前、司祭が訪ねてきました。修行のために預けてほしいと」
「それで預けたのか」
「はい……ですが、その後は連絡もなく……会いに行っても、門前払いです」
声が震えている。
「定期的に、お金だけが送られてくるんです……まるで、娘を売ったみたいに……」
重苦しい沈黙が落ちる。
「衛兵は?」
「まったく取り合ってくれません」
寺院から手が回っている可能性もある。これは厄介な問題になりそうだ。
「つまり大司教側は、マリーちゃんを手放したくない理由があるってこと?」
アンナは料理を頬張りながら、遠慮なく核心へ触れてしまう。
「リュシアンさん。それはまさか……」
周囲を伺い、セリーヌが遠慮がちに声を上げる。
「あぁ。大司教の“奇跡”が、マリーを指しているのなら……全部繋がる」
「どうか、娘に会えるよう上手く取り計らって頂けませんか?」
助祭のブリジットを連れてくるべきだった。
そう思った矢先、メラニーさんが一枚の映写記録を見せてくる。
「これが、マリーです」
口にしていたものを飲み込みながら、言葉を失った。





