01 怨念の残滓
変色した右腕を診てもらおうと、俺の部屋で眠るセリーヌを尋ねた。ノックをすると中から返事があった。幸い起きているらしい。
「入るぞ……」
扉を開けると、花のような香しさが鼻孔をくすぐった。ここは俺の部屋なのか。
長袖シャツにベスト、下はロングスカートという軽装姿が新鮮だ。こうして見ると、どこにでもいる普通の女性。いや、これほどの美女がそうそういるはずもない。
「どうされましたか。それに私は……」
「ちょっと診てほしいんだ」
袖を捲り、変わり果てた右腕を晒す。セリーヌは口元に手を当て、驚きに目を見開いた。
「昨日の竜が残した、怨念の残滓かと……呪い、と言った方がわかりやすいかもしれませんね。それも、かなり強い力です」
「セリーヌの魔法でもダメなのか?」
「あいにく、呪いを解くような術はありません。司祭様のような聖職者の力があれば……」
「聖職者? となると寺院か。ナルシスの見舞いついでに話を聞いてみるか」
壁に掛けられた時計を確認すると、時刻は六時。治療院が開くまでには二時間もある。
「ところで、私はどうしてここで眠っていたのですか? それにその……下着姿で」
真っ赤な顔で恥じらう姿が可愛い。
「覚えてねぇのか? 酔ったおまえを負ぶってきたら、勝手に脱ぎ出したんだぞ」
「はわわっ、すみません! てっきり、リュシアンさんに襲われたのだとばかり」
「俺はケダモノか!?」
その後、酔っ払いどもを叩き起こし、牡鹿亭の清掃と後片付けに奔走。浴室と調理場を借りたセリーヌは法衣と下着を洗濯し、ナルシスへ差し入れる甘辛ボンゴ虫を作り上げた。
すると、セリーヌをいたく気に入ったイザベルさんは彼女にだけ入浴を勧め、その他はまとめて大衆浴場へ。うるさい面々も消え、俺とセリーヌは寺院へ移動を開始した。
穏やかな日差しが差し込むメイン・ストリート。石畳をこんな風に並び歩いていると、なんだか妙な錯覚がしてしまう。
「皆さんとは、長いお付き合いなのですか?」
「いや、レオンは昨日、初めて会った。他の四人とは一年半ほど旅をしたんだ。フェリクスさんっていう人も一緒にな」
旅立った、あの日の記憶が蘇る。
「兄貴を探して旅に出た早々、魔獣に囲まれてさ。そこを助けてもらったのが始まりだ」
「なんだか羨ましいです。私は旅に出てから二年間近く、ずっとひとりですから」
寂しげな姿に胸が苦しくなる。でも、こいつはもうひとりじゃない。孤独にはさせない。
「ひとりだった、の間違いだろ?」
「はい。その通りですね……」
口ではそう言いながら、どうしてこんなにも儚い微笑みを浮かべるのだろう。
絆は得たが、神器を失った。こいつの胸中にも複雑な想いがあるのかも。
「二年近くもひとり旅って、そんなに探しても見付からない捜し物なのか?」
確か、大型魔獣を追っているはず。
「そうですね……このアンドル大陸へ渡ってきた際、仲間たちとは別れました。各地へ散ったので、顔を会わせる機会もありません」
「仲間と会えないのは寂しいよな」
「ですが、ひとり旅にも慣れました。道行く先で、皆さんとても良くしてくださいますし」
後ろ手に組んで力強く微笑む彼女を見ながら、これまでの旅路を想像してみた。
「でも、あんな法衣を掴まされただろ? 慣れたって言う割に、危なっかしいよな」
「その話はもう忘れてください」
頬を膨らませる仕草を見て、口元が緩んでしまう。
「もう少し警戒した方がいいぞ。昨日の盗賊みたいに、善人ばっかりじゃねぇんだし」
「私は、皆さんをもっと信じたいのです。信じるに値すると、この目で確かめたい……」
不意につぶやかれたのは、思ってもみない一言だった。
「はわわっ! 何でもありません!」
明らかに取り乱しているんだが。
「それはそうと、昨晩は勉強させて頂きました。男性はいやらしい方ばかりなのだと。その……女性の……胸が大好きで……探求という名目で、観察なさっているのですよね?」
「いきなり凄ぇ話を持ってきたな……って、そんなどうでもいいことは覚えてるのかよ」
反論の余地はありません。
そうして寺院へ着いた俺たち。受付で見舞いの旨を伝え、ナルシスが運ばれた個室へ。
「姫!? まさかこんな所まで足を運んで頂けるとは、光栄の極み!」
大げさにベッドから飛び起き、金髪を振り乱しながら正座するナルシス。
意外と元気そうだな。残念の極みだよ。
いつものように、俺には顔を向けようともしない。腹いせに早速、切り札を投入しよう。
「セリーヌ。差し入れを渡してやれよ」
「そうでしたね」
「まさか姫から差し入れとは! 僕はもう、喜びでおかしくなりそうです!」
いや。既におかしいだろうが。
そうして喜々とした顔で、包みを受け取る。
「何ですか? 開けてもよろしいですか!?」
こいつの反応が楽しみで、口元がニヤけてしまう。そして、開封したナルシスの顔が絶望に染まったのを見逃さない。
「おや? どうした、ナルシス君。急に顔色が悪くなったんじゃないか?」
そこで初めて、救いを求めるように俺を見つめてきた。
「どうやらそのようだ……姫から、大好きな甘辛ボンゴ虫の差し入れだというのにまさかの腹痛とは……リュシアン=バティスト。せっかくなので君が食べてくれないか?」
まさかそう来たか。
「待て。セリーヌの好意を無下にするつもりか? おまえのために、一生懸命作ってきてくれたのに」
「ぐぬぅ……」
眉間にシワ寄せ、うなるナルシス。
よほど嫌なんだろう。確かに、俺が食べろと言われても断固拒否するが。しかもこれは、大森林で捕まえた特大サイズだ。
迷わず、天へ召されてくれ。
「ナルシスさん。ご無理はなさらず、体調の良い時に召し上がってください」
「申し訳ありません。お言葉に甘えて」
ナルシスが安堵の表情で丁寧に包みを戻していると、入口の扉がノックされた。顔を覗かせたのは、助祭のブリジットだ。
「あら? あなたは……昨日の」
「どうも。昨日はお世話になりました」
「良かった……お元気そうで安心しましたわ。今日は……ナルシスさんのお見舞いに?」
エクボの浮かぶ笑顔に見とれてしまう。
「えぇ、まぁ。こいつも面倒かけてすみません。脱走するわ、過労で舞い戻るわ。俺としては、一生ここにいて欲しいくらいですよ」
「うふふふ……楽しい方。一生いられては……寺院が困ってしまいますわ。救いを求める方は……後を絶ちませんから」
朗らかに微笑んでいるが、俺は本気だ。
「ナルシス。ここにいたら迷惑だってよ」
「勝手に話をねじ曲げないでくれ。君は本当に失礼な男だな!」
「ほぅ。恩人に対してその態度か? ペンダント、忘れたわけじゃねぇんだぞ?」
「ぐぬぬぬ……」
布団を握って悔しがる甘えん坊剣士。
「リュシアンさん、ここは寺院なのですよ。余り騒ぐと他の方のご迷惑です」
「おぉ……悪い……」
どうして俺が、セリーヌに怒られる。
だがここで、別の目的を思い出した。
「そうだった」
ブリジットを廊下へ連れ出し、呪いについての情報を得ようと言葉を探す。
「実は、仲間が強力な呪いを受けて困ってるんだ。上位司祭を紹介してもらえませんか?」
「呪いですか……それはお困りですね……当院の司祭でも難しいかもしれませんが……」
「何か心当たりが?」
「ここから馬車で三日ほどの場所に……カルキエの街があります。その奥にそびえる霊峰……アンターニュはご存じですか?」
「カルキエなら以前に行ったことがありますよ。小さな街でしたけど、みんな朗らかでのんびりできる所でしたね。霊峰っていうのは知りませんけど、何があるんですか?」
「この地方の寺院を束ねる大司教……ジョフロワ様が住んでいらっしゃるのです。最近、苦行を乗り越え……人々を癒やす奇跡の力を身に付けたとか。あの方ならきっと……呪いを解くこともできるはずですわ」
「大司教、ジョフロワ」
これは有力な情報が手に入った。今はその人にすがるしかない。
ナルシスに挨拶を済ませ、セリーヌと共に寺院を後にする。早速、旅の支度だ。
「癒やしの魔法も多少は気休めになるかもしれません。昨日のご恩返しを兼ねて、私も一緒に参ります。よろしいですか?」
「本当か!? 来てくれるなら心強いよ」
ついに念願のふたり旅だ。
「ですが、その前に魔導杖を……」
「それなら問題ねぇ。カルキエへ向かう途中、シャンパージェを経由する。あの街は鉱石の採掘で有名な街だ。上物の杖も手に入る」
「やっと見付けた! 探したのよ」
横手からの声に顔を向けると、シルヴィさんとレオンの姿があった。
「仲良く、湯上がり密会ってわけ?」
「え? いや、いや……」
「違います! 今し方、ナルシスさんのお見舞いを済ませたところです!」
セリーヌさん。なにもそこまで全力否定しなくても。言葉の刃が深く突き刺さったよ。
「そう。まぁ、何でもいいわ……」
シルヴィさんは興味なさげに言い放ち、右手に持った果実酒の瓶を口へ運ぶ。
「朝から飲んでるんですか?」
「湯上がりの一杯よ。どう?」
「遠慮します」
げんなりすると、レオンの咳払いが聞こえた。
「無駄話をしている場合じゃない。ふたりとも、一緒にギルドへ来てもらおうか」
「ギルド? 何の用だよ?」
「レオン、急かさないで。きちんと説明してあげなきゃダメでしょ? 昨日こなした依頼の、報酬受領の手続きにね」
「依頼? 俺とセリーヌって、何か関係してましたっけ?」
全く思い当たるフシがない。一体、どういうことだろうか。