14 赤竜の記憶
俺たちの眼前で、竜の魔力体が砂のように崩れてゆく。ふと過ぎった切なさを抱え、崩れゆく身体へ触れる。直後、ある映像が頭の中へ流れ込んできた。
それは、辺りで燃え盛る紅蓮の炎と、四方を取り囲む大勢の人影。各々が武器を持ち、鎧に身を固めているが、恐らく騎士たちだ。
「殺すな、生け捕りにしろ!」
狂気に彩られた目で次々と押し寄せる人影。それらを見ながら、胸の中へ言いようのない悲しみが広がってゆく。
この感情は、きっと俺のものじゃない。この光景を見ている誰かの心だ。
『哀れな。何がおまえたちを変えた? やはり共存など夢物語。ガルディア様、この現実をご覧になっておられますか?』
声は徐々に遠ざかる。頭の中へ流れ込んでいた映像が薄れ、現実に引き戻されていた。
「今の光景はまさか……」
砂のように崩れた魔力体を両手ですくう。あれは赤竜の記憶なのだろうか。だとすれば、過去に何があったのか。共存など夢物語。竜が消えた原因は、人間のせいなのか。
「リュシー、どうかした?」
「え? あぁ、何でもありませんよ。竜を倒したら気が抜けちゃって」
シルヴィさんの言葉を笑みで誤魔化した。
力を使い果たしたセリーヌは、再びシルヴィさんの肩を借りて立ち上がった。手にした魔道杖は先端の宝石が砕け、半ばから折れ曲がっている。やはり、竜臨活性と竜術には耐えられなかったか。
「賊どもも気になる。戻りましょうか」
「賊といえば、リュシーはどうやってあの商人の正体を見抜いたわけ?」
歩き出すと、シルヴィさんが尋ねてきた。
「思い込みって奴ですよ。あいつの服装、いかにも商人ですって姿でしたよね? それが逆に胡散臭いなって。それに、俺を見て一目で冒険者の方って言ってきたんですよ。剣を持っただけの農夫かもしれないのに」
「なるほどねぇ」
「で、あいつの手を見て確信しました。商人と言うにはほど遠い、荒れて傷だらけのいかつい手。恐らく敵だなって」
「しばらく見ない間に見違えたわね。彼、脅したら色々と吐いてくれたわよ。リュシーの言う通りだったわ」
そうだ。もっと褒め称えるがいい。なんて気持ちがいいんだろう。
「へぇ。意外と鋭いのか」
「意外って、どういう意味だ?」
レオンを睨んだその時、雷鳴のような轟音が大気を震わせた。身体の奥底、魂までもが揺さぶられるような感覚に、思わず身震いする。
危険を感じた野鳥の群れが一斉に飛び去り、辺りは喧噪に包まれた。
「なんだ。地震でも起きたのか?」
「違うね。これは魔獣の咆哮だよ」
こんな時でも落ち着き払ったレオン。なかなか肝の据わった奴だ。
「魔獣って……」
もう戦う力はない。頼むからそっとしておいて欲しい。それはセリーヌも同じだろう。
「セリーヌ、どうした?」
心の声の同意を求めるようにあいつを見ると、青白い顔で辺りを見回していた。
「この声は……まさか」
「どうしたの? 震えてるけど大丈夫?」
その身体を支えているシルヴィさんが、心配そうに横顔を覗き込んだ。
「大丈夫です。心配しないでください……」
力なく無理に笑って見せるセリーヌ。
「どんな魔獣か知らねぇが、余計な奴まで刺激しちまったか……今の状態じゃ何もできねぇ。とりあえず逃げるぞ」
「はい。それしかありません」
珍しく素直なセリーヌに思わず拍子抜けだ。いつもこうなら、もっと可愛いのに。
☆☆☆
「だから言ったじゃありませんか……」
崩れた洞窟の前へ戻るなり、俺はその光景に頭を抱えてしまった。もう溜め息しか出ない。
大木の根元へ、刃物で切られたロープが寂しげに転がっている。ドミニク、ブノワ、その他の四人の賊。彼等の姿がどこにもない。
「シルヴィさんが見張っていてくれたら、こうはならなかったのに」
「オッケー。あたしが悪かったわ」
素直に頭を下げる所は可愛いんだが。
「そんなに潔くされても何も解決しません。報復されたらどうするつもりですか? ヴァルネットの街が狙われるんですよ?」
ほんのり赤ら顔で余裕の笑みを浮かべている。事の重大さをわかっているんだろうか。
「いや……それは俺も同じか」
あいつらに止めを刺す機会は何度もあった。それを半端な正義感で救い、非情になりきれなかった俺の罪。最も罪深いのはこの俺だ。
「それなら大丈夫。しばらくあの街に滞在することになりそうだから。何かあったら責任を持って対処してあげる」
「は? どういうことですか?」
「その話は後、後。まずは街道に出て、馬車を拾いましょ」
「俺、馬で来たんで。ナルシスも無事に街へ向かっていると思いますけど、確認しながら戻りますから」
「あら、残念……そういうことなら、この娘をお願いしてもいい? あたしとレオンはこの後の準備もあるから。夜に、牡鹿亭で落ち合いましょう」
ぐったりとしたセリーヌを預けられても、それはそれで困る。なんだか変に緊張するだろうが。
「馬車に乗せた方が……」
「レオン、いいから行くわよ」
腕を掴まれたレオンが強制連行されると、嵐が過ぎ去ったように辺りは静まり返った。肩を貸しながらセリーヌの腰を遠慮がちに支え、獣道を辿って馬の待つ出口へ急ぐ。
「セリーヌ、ひとつ聞きたかったんだ」
「なんでしょうか? いやらしい質問以外ならば、お答えします」
「おまえなぁ、シャルロットみたいなこと言うなよ。俺がいつも、スケベなことばっかり考えてるみてぇだろうが」
呆れて溜め息を漏らすと、セリーヌは頬を膨らませた。
「私の下着姿を見ていたではありませんか。まさかとは思いますが、私が気を失っている間に、何かしたのではありませんか?」
空いている右手で、即座に胸元を隠された。
「そこまで非道じゃねぇ! 俺が知りたいのは、洞窟にあった神殿のことだ」
「え? 神殿、ですか?」
「そこで、意外そうな顔をするな!」
とてつもない悲しみだ。いっそのこと、下着姿を魔力映写で収めてやれば良かった。
「あの神殿は、竜を崇拝し祈りを捧げるための場所です。地底湖がありましたよね? あの場で身を清め、皆、竜へ祈ったのです」
「竜に祈りを? どうして街へ造らずに、こんな場所に造ったんだ?」
その問いに、目を丸くしている。
「本当に無知なのですね。恐らくあの場所は、竜が人々の前から去った後に造られた物です。信仰は禁じられたそうですが、一部の信者が隠れて祈りを続けていたのでしょう」
「信仰が禁じられた? どうして?」
「私もそこまでの経緯は存じません。ただ、この大陸で開かれた過去の諸王国会議で決定されたと聞いています」
余り深く突っ込むと、一層バカ扱いされるので止めておこう。これ以上、印象を悪くするのは得策じゃない。
竜と人の共存時代があったのは明らかだ。あの映像では生け捕りにしろと叫んでいたが、人に襲われたことが原因で竜は姿を消したのだろうか。だとすれば、襲った理由は何なのか。そして、竜を殺してはならない理由があったのか。この出来事の背後には複雑な事情がありそうだ。
☆☆☆
大森林を抜け、ようやく馬を発見。その背へ跨がり、セリーヌの細い体を引き上げた。
間もなく地平へ沈もうとしている夕日が眩しい。大地が一面、茜色に染め上げられ、大自然の息吹に感嘆の声が漏れてしまう。
「綺麗だな……」
「何ですか、急に。リュシアンさんは誰にでも、そういったことを平然と仰るのですか?」
むすっとした顔で突き放された。どうも話が噛み合っていない。
「は? おまえのことじゃねぇよ」
「はわわっ! 違うのですか?」
目を丸くして取り乱す姿が愛らしい。また、いつもの他愛ないやり取りが戻って来た。そんなことが素直に嬉しく思える。
「まぁいいや……おまえもな」
「何か仰いましたか?」
「なんでもねぇよ」
慌てて前を向き、馬を馴らすようにゆっくりと歩みを進める。たまにはこんな時間もいいだろう。今は、セリーヌを無事に助けられたという余韻に浸らせて欲しい。みんな無事で本当に良かった。
賊を取り逃がし、仮面の男のとどめは赤竜に横取りされた。更に神器まで失う始末。振り返ると良い所なしだが、それはそれだ。まぁ、どうにかなるだろう。
「セリーヌの新しい杖も探さねぇとな」
「はい。見付かるでしょうか?」
「大丈夫だろ。俺だって、この魔剣を探し当てたくらいだし」
ベルトの両脇を遠慮がちに握っているセリーヌの手。それが視界に映り、なんとも可愛らしく思えてしまう。
後は、こいつとのやり取りでボロを出さないことだ。竜眼による記憶の書き換えは二十四時間以内に限られると言っていた。どうにかやり過ごし、この記憶を保持してみせる。
「なぁ。杖を失った以上、今までより苦労すると思うんだ……その、なんだ……俺が守る、って言うと違うな……手伝わせて欲しいんだ。俺とパーティを組まないか?」
どうして、こんなに緊張するんだ。
「もちろん報酬は半々。そこはきちんとするから。俺と組めば、ランクAまでの依頼だって受注できる。悪い話じゃねぇだろ?」
すると、背中へ何かが当たる感覚がした。不覚にも一気に加速してゆく動悸。この鼓動がセリーヌにも伝わっているんじゃないかと思うと、顔から火が出そうなほど熱くなる。