04 夜を越えて
島の夜は、驚くほど静かだった。
遠くで波の砕ける音だけが、規則正しく耳に届く。松明の火は風に揺れ、地面に影を落としている。
簡単な宴が終わり、みんながそれぞれの家へ戻ったあとも、すぐには眠れなかった。
一日で決まったことが、多すぎる。
小道を抜け、用意された客用の家屋へ戻ろうとしたとき、隣に足音が並んだ。
「眠れませんか」
振り向くと、セリーヌが立っていた。
戦いの装備ではなく、島の民族衣装に身を包んでいる。この姿を見るのは、久しぶりの気がする。
「正直に言えばな」
小さく息を吐く。
「頭が、追いついてねぇ」
「奇遇ですね」
セリーヌも、わずかに肩をすくめた。
「わたくしもです」
並んで歩き、家屋の前で足を止める。
吹き抜ける風が、彼女の髪を揺らした。
「婚約のことだけどさ……」
少し間を置いて、口を開く。
「本当に、あれでよかったのか」
問いというより、確かめるための言葉だ。
「はい」
迷いのない即答。
「後悔はしておりません」
セリーヌは俺を見上げる。ほんの一瞬、言葉を探すように視線を伏せた。
「リュシアンさんは、約束を守ってくださいました。災厄の魔獣を討ち果たした暁には、身も心も捧げると……そう、お約束いたしました」
静かな声。その奥に、確かな決意がある。
「誰の隣に立つのか。以前から、決めていたことです」
胸の奥に、ゆっくりと重みが沈んでいく。
「守っていただくばかりでなく……あなたの隣に、寄り添う存在でありたいのです」
言葉が、真っ直ぐに届く。
「それと……」
少しだけ間を空け、彼女は続ける。
「リュシアンさんに、父の面影を見ていたのかもしれません」
息が止まりかける。
「強くて、優しくて……それでいて、無理をするところが」
神竜の意志でも、島の掟でもない。
彼女自身が選び取った道だった。
「きっと、こう思っていらっしゃるでしょう」
静かに、言葉が重なる。
「わたくしを守ったことなどない、と」
図星で、言葉が詰まる。
「違うのか」
「はい」
セリーヌは、やわらかく微笑んだ。
「守られてばかりの人間が、あのような決断はできません」
島を出ること。
両親を失った場所を、背にすること。
「リュシアンさんは、わたくしに“選ばせて”くださいました。だから、わたくしはあなたを選んだのです」
背中を押された記憶が、胸の奥で繋がる。
「夢を、夢のままで終わらせるのか……」
彼女が星空を見上げ、小さくつぶやいた。
思い出す。
あの日、俺が口にした言葉。
『何があっても、生きろ』
言葉が重なり、苦笑が漏れる。
「わたくしは、リュシアンさんと共に生きると決めております」
家屋の扉が閉じられ、外界の音が遠ざかる。
灯りは弱く、影が壁に揺れている。
しばしの沈黙があった。
「初めて……ですね」
それを破ったのは、セリーヌだった。
「ああ」
ぎこちないやり取りに、小さな笑いがこぼれる。
でも、軽く流せる夜じゃない。
触れた指先。
互いの体温を確かめるように、ゆっくりと距離が縮まる。
先にあったのは情欲じゃない。
失うことへの、静かな恐れだった。
ラモナ島へ行けば、生きて帰れないかもしれないという予感。
「リュシアンさん」
彼女は、俺の胸に額を預ける。
「もし、戻れなかったら……」
「戻る」
即答した。
「戻ってこられる強さを、俺は選ぶ」
伝えるべき言葉を探し、本音を零す。
「冒険者になるっていう目的を果たして、兄貴を探し出すこともできた。夢にまで見た竜にも出会えたし……こうして、最愛の人とも結ばれた」
自分でも驚くほど、素直な言葉だった。
「これ以上を望むのは、贅沢なんだろうな」
「いいえ」
セリーヌは、ゆっくりと首を振る。
「生きて戻ることは、贅沢ではありません」
そして、わずかに頬を染めながら続けた。
「それに……婚姻が、まだ済んでおりません」
思わず息が漏れる。
約束を交わし、身を寄せる。
静かで、拙く、それでも確かな時間。
戦いの前に許された、唯一の安らぎだった。
※ ※ ※
夜明け前。
薄く差し込む光の中で、目を覚ます。
腕の中で眠るセリーヌの表情は、穏やかだ。
右手を伸ばし、艶やかな髪を撫でる。
ここが、彼女の新たな指定席だ。
守るためだけじゃない。
帰るために、共に在る場所だ。
外で、風竜王テオファヌが低く鳴いた。
出立の時が近い。
理力の宝珠は、まだ遠い。
だが、選ぶべき道は、もう揺れていない。
※ ※ ※
セリーヌが鎧の着用を手伝ってくれる。
そんな小さな喜びを噛みしめつつ、身支度を終えて家屋を出た。
「大丈夫か?」
「まだ、腹部の奥に違和感はありますが……すぐに収まると思います」
「なんだか、悪い……」
「リュシアンさんが謝る必要はありません」
やわらかく首を振る。
「むしろ……ひとつになれたことが嬉しいのです」
言葉に、少しだけ熱が混じる。
「とても、満たされた夜でした」
思わず視線を逸らす。
「俺もだ……幸せだった」
正直すぎる言葉に、自分でも苦笑する。
「無我夢中だったけどな」
「ええ……少し、驚きました」
セリーヌは恥じらいながらも、どこか真剣な目で続ける。
「恥ずかしい姿勢もいくつかあり、男女の営みとは随分と激しいものだと驚きはしましたが……」
セリーヌは恥じらいながらも、疑うような目を向けてきた。
「もしや、あれは普通ではないのですか?」
「いや、普通だって。なんなら、もっと凄いことをやってるからな」
騙しているようで、罪悪感に胸の奥が痛む。
「皆様、精力的なのですね」
「四十八の手があるって言われててさ……」
正当性を主張しようと考えを巡らせる。
「そんなに……」
セリーヌは目を見開き、口元に手を当てた。
「では、生きて戻る必要ができましたね」
「ん? それはどういう……」
「それらすべてを経験させていただかなくてはなりませんから……そうですよね?」
耳まで赤くしたその笑みに、息を呑む。
「おっ、おう……」
答えながら、顔が熱くなるのを止められなかった。





