03 守ると決めた日
一通りの報告が終わると、闘技場を満たしていた熱は、ゆっくりと引いていった。
島民たちは、それぞれの生活へと戻っていく。
見慣れた光景のはずなのに、今日だけは違って見えた。
「同じ日常……でも、同じじゃない」
誰もが何かを失い、何かを背負ったまま、それでも前を向こうとしている。
その姿を見渡しながら、思う。
「この島が負った傷を、俺ごときが癒やすことなんてできない……それでも、ほんの少しでも、軽くする手助けができたら……」
セリーヌの笑顔を守ることで、島民の心に寄り添えるのなら。
横顔を伺うと、広場の端に見覚えのあるふたりの姿があった。
「ジャンさん、オデットさん」
声をかけた瞬間、胸の奥がわずかに揺れる。
母の両親だと知ったのは最近なのに、不思議と小さな頃から一緒にいたような気になる。
「顔を見に来ただけだよ」
ジャンさんが朗らかに笑う。
「嵐の前には、家族の顔を見ておきたくなるものさ」
胸の内を見透かされた気がして、肩をすくめた。
「まいったな……否定はしませんけどね」
俺は、また戦いに向かう。
その事実は、もう疑いようがない。
「また、危ない道に行くんだろう?」
オデットさんの声は責めるものじゃない。
ただ、確かめるように静かだ。
一度息を吸い、頷く。
「理力の宝珠が、まだ敵の手にあります。終わっていません」
口にすると、重さが増す。
それでも、目は逸らさない。
「そう」
オデットさんはそれ以上何も言わず、俺の手を包んだ。
年老いた手の温もりは、思っていたよりも強く、確かだった。
「帰ってきなさい。それができる強さを、あなたはもう持っているんだから」
胸の奥に、深く沈み込む言葉だった。
「はい。行ってきます」
剣よりも、魔法よりも強く、俺を支える言葉だった。
守られる側じゃない。
俺は、帰る場所を守る側になった。
そう思えたことが、何よりも大きかった。
※ ※ ※
その後、俺たち五人は丘へ向かった。
「僕はここで待たせてもらうよ」
青年姿のテオファヌと麓で別れる。
風が草を揺らし、遠くで鳥が鳴いていた。
並ぶふたつの墓標の前で、足が止まる。
イザーク・オービニエ。
リアーヌ・オービニエ。
姿を知るのは、神竜ガルディアが再現してくれた静止画だけだ。
それでも、その穏やかな笑顔は、不思議と胸に残っている。
セリーヌとユリスは墓前に並び、静かに頭を下げた。
その背を見つめながら思う。
このふたりは、どれだけの時間を、この瞬間のために生きてきたのか。
「ついに、悲願を果たすことができました」
セリーヌの声は静かだった。
だが、その一言に積み重ねた年月が宿っている。
「皆の命を奪った魔獣は、もういません」
復讐を果たした、とは言わない。
ただ、事実だけを告げる。
「姉さんは、本当に立派に戦ったんだ」
ユリスは墓石を見つめている。
その背が、微かに震えていた。
「遅くなって、ごめんなさい」
誰のせいでもない。
それでも、セリーヌは謝る。
その想いに、胸が締めつけられる。
「悪い。先に行っててくれないか」
親子としての対話が終わった。
穏やかな顔になったふたりへ告げると、コームさんを含めた足音が遠ざかっていった。
振り返らない。
今、顔を見たら、言葉が変わってしまう。
残ったのは、俺と、ふたつの墓標だけだ。
風が吹き、草が擦れる音がする。
この場所は驚くほど静かだ。
「イザークさん。リアーヌさん……」
そっと名を呼ぶ。
セリーヌとユリスの両親。
そして、俺がまだ何者でもなかった頃に失われた人たち。
復讐は終わった。
魔獣は討たれた。
理屈の上では、すべて片が付いている。
それでも、胸の奥に沈んでいるものは、消えてくれない。
「すみませんでした……」
誰に聞かせるでもなく、言葉が零れた。
遅かった。
「もっと早く、強くなれていれば……」
意味のない仮定だとわかっている。
それでも、考えずにはいられなかった。
墓前に膝をつき、視線を落とす。
冷たい石の感触が、現実を突きつけてくる。
「セリーヌさんは……本当に、強いです」
声がわずかに掠れる。
「強くあろうとして……無理をして……それでも、弱さを見せない」
思い浮かぶのは、あの笑顔だった。
その裏で、どれほどのものを抱えてきたのか。
「俺は……守っているつもりで、何度も彼女に救われていました」
不思議なものだ。
剣を振るう理由も、戦う意味も、気付けば全部、彼女に繋がっていた。
「俺はきっと、本能で理解してる……英雄になりたいわけでも、救世主になりたいわけでもないんです」
ただ、失いたくないだけだ。
「誓います」
墓標を前に、背筋を伸ばす。
「セリーヌさんのことは、俺が一生守ります」
はっきりと、言い切った。
「笑っている時も……迷っている時も……弱くなった時も……間違えた時も」
言葉を選ばなかった。
綺麗な誓いにするつもりはない。
「剣が折れても、力が尽きても……俺が俺である限り……離れません」
少し間を置いて、息を吸う。
「あなたたちが守れなかったぶんまで……なんて言いません。それは傲慢だ」
でも、と続ける。
「それでも、これから先、彼女が失うものがあるのなら、その前に、俺が立ちます」
答えは返ってこない。
それでも、不思議と胸は静かだった。
振り返ると、少し離れた場所にコームさんが立っていた。
いつからいたのかはわからない。
だが、聞かれて困る言葉でもなかった。
「立ち去るべきだったがな……あれを聞いてしまっては、足が動かなかった」
気まずそうに言いながら、側の大木に立てかけてあった剣を手に取る。
「それ……ジャメルさんの……」
「あんな最期を迎えたが、私にとっては旧友だ。ロランやオラースと同じように、形見として連れ帰ってきた」
寂しそうに微笑む姿は、急激に老いてしまったような錯覚がした。
「勝手に誓って、すみません」
「謝ることではない」
短く言い、隣に立つ。
しばらく、ふたりで墓を見つめた。
「重いな……」
つぶやくと、コームさんは小さく笑った。
「重くていいのだ」
その言葉が、妙に胸に残った。
証人はひとりいればいい。
それで十分だ。
夕日が傾き、影が長く伸びる。
立ち上がり、最後にもう一度、墓標へ頭を下げた。
守ると決めた。
「もう、迷わない」
丘を下りる足取りは、来た時よりも少しだけ重く。
それでも、確かだった。





