10 交わらない刃
断崖を背にしているおかげで、後ろから襲われる心配はない。それだけが救いだった。
じりじりと距離を詰めてくる冒険者たちを見据えながら、生温い風が森を抜けていく。
低く身構えたアンナが、素早く周囲を伺う。
「アンナが後衛に斬り込むよ。弓と魔導師を抑えるから、前をお願い。断崖の横にアレニエが掘った洞窟があるの。お爺さんはそこに」
言い終えるより早く、アンナが地を蹴った。
それに呼応するように、三十人近い冒険者たちが一斉に襲いかかってくる。
「轟響創造!」
セリーヌの杖が横薙ぎに振るわれ、軌跡に沿って電撃が奔った。続けざまにナルシスの閃光玉が炸裂し、白光が森を染める。
だが、敵は止まらない。
白目を剥いた異様な顔のまま、痛みも恐怖も感じていないように突進してくる。視覚が残っているのかさえ怪しい。閃光玉も効いていないのだろう。
シモンとナルシスが怒声を上げながら迎え撃む一方で、後方からは魔法と矢が雨のように降り注いでいる。アンナひとりでは、とても抑え切れない。
「がうっ」
左肩の上から、ラグの警告が飛んだ。
「わかってる」
俺も火球の接近には気付いていた。
神竜剣には魔力が宿っている。並の攻撃魔法なら、斬り裂ける。
横薙ぎに剣を振るうと、火球が真っ二つに裂けた。熱風だけが周囲へ散っていく。
「ルノーさんを早く」
中堅衛兵を促し、断崖の洞窟へ向かわせる。それでも、胸の奥には重い葛藤が残っていた。
できれば、人は斬りたくない。
叶わない願いだとわかっていても、どうしても割り切れなかった。
だが、現実はそんな甘さを許してくれない。
前方では、セリーヌが複数人に杖を押さえ込まれ、魔法を封じられている。シモンとナルシスも大勢に囲まれ、押し込まれていた。
「くそっ」
駆け出そうとしても、身体に力が入らない。
それでも、セリーヌだけは見捨てられない。守りたいという気持ち以上に、彼女の魔法なら、この状況を覆せるという希望がある。
「人を斬れないなんて言ってられねぇ……」
剣を握り直す。もう迷っている暇はない。
セリーヌを助けるためなら、人も斬る。
覚悟を決めて踏み込んだ、その時だった。
「蒼駆ける風、自由の証。この身へ宿りて敵を裂け。斬駆創造!」
森の奥から突風が吹き荒れ、幾筋もの風刃が飛来した。頬を掠めた風が、肌を裂くように鋭い。
木々の葉が細切れになって舞い、風刃が敵陣を切り裂いていく。
その刃は仲間を避けるように駆け抜け、十名近い前衛が一気に崩れ落ちた。
「誰だ……」
森の奥へ目をこらす。茂みを押し分け、ひとりの男が姿を現した。
茶色がかった髪が風に揺れている。切れ長の瞳は戦場を静かに見据え、右手には細身の長剣が握られていた。
敵の斬撃を剣で流し、返す刃で喉を裂く。
左手に宿した風が足元を抉り、その隙へ剣撃が叩き込まれた。
剣と魔法がひとつの旋律のように噛み合い、前衛がひとり、またひとりと沈んでいく。
「魔法剣士か……」
尋常じゃない強さだ。たったひとりで、戦場そのものを支配している。
最近、ギルドで噂になっている男のことが頭をよぎった。
『剣も魔法も並外れた、神の申し子みたいな奴がいるんだよ』
もし、あれがこいつなら。
「強い……」
風刃が通り過ぎるたび、背筋が震えた。
「後ろは崩すね」
アンナが後衛に駆け込んでいく。
逆手に構えた双短剣が敵を翻弄する。男の風刃が道を切り開き、魔法や矢の集中を分断した。
ふたりの連携は、異常に噛み合っている。
「終わったか」
男は無造作に剣を収めた。感情の欠片もない視線に、不快感がじわりと広がる。
そこへ、アンナが駆け寄った。
「ありがとね、レン君。助かったよ」
「森にいた魔獣の方が、まだ歯応えがある」
男の素っ気ない返しに、俺は目を見開いた。
「アンナ。知り合いなのか!?」
「そっか。リュー兄は知らないんだっけ」
アンナがいたずらっぽく笑う。
「リュー兄が抜けた後、フェリさんが“秘蔵っ子”だって連れてきたの。年もランクもリュー兄と同じ。二物の神者って言えばわかるでしょ」
その名に、胸の奥がざわついた。
「こいつが?」
やはり、ギルドで噂になっていた人物だ。
「レオン・アルカン……なにが神だ」
吐き捨てると、ナルシスが割り込んできた。
「君が“二物の神者”か。僕はナルシス・アブラーム。会えて光栄だよ」
差し出された手を、レオンは一瞥すらしない。そのまま、俺に歩み寄ってきた。
視線がぶつかり、空気が張り詰める。
込み上げる怒りを抑えきれず、レオンの軽量鎧の襟元を掴み上げていた。
「どうして皆殺しにした。魔獣じゃねぇ、人間なんだぞ」
「そんなことで怒る?」
レオンは眉ひとつ動かさない。
「どう見ても自我は失われてた。殺さなきゃ、こっちが死んでた。それだけだよ」
あまりにも無感情だった。
まるで呼吸をするように、人を斬る。
「抵抗さえ封じればよかったんだ。自我を取り戻す方法があったかもしれねぇだろ」
レオンは冷え切った目で鼻を鳴らした。
「命の奪い合いの最中に、そこまで考える余裕ある? あんたの言ってることは綺麗事だ。その間に、あの三人は殺されてるよ」
視線の先に、セリーヌ、ナルシス、シモンの姿を捉え、胸の奥が軋んだ。
確かに、その通りだった。俺が迷っている間にも、仲間は危険に晒されていた。
それでも、人を斬ることを簡単には受け入れられない。
アンナが割って入り、俺の腕に触れる。
「リュー兄……レン君の言う通りだよ。アンナも迷ったけど、迷ってたら誰かが死んでた。これしかなかったんだよ」
アンナの顔には苦悩が浮かんでいる。
これが普通の反応だ。それなのに、レオンには何もない。
「セリーヌは敵の自由を奪うように雷を撃った。でも、おまえは違う。平然と命を刈っていく。そんな奴、信じられるかよ」
レオンの口元に、侮蔑の笑みが浮かぶ。
「碧色の閃光、ぬるいな。口ばっかりで大したことなさそうだね。今も戦ってる姿は見てないけど」
奥歯をきしませ、怒りを必死に噛み殺す。
「ふてぶてしい奴だな。調子に乗ってるんじゃねぇぞ」
睨み付けると、アンナが滑り込んでくる。
「ほら、レン君。揉め事起こすなって、フェリさんに言われたじゃん」
押し返され、レオンが数歩下がった。
「碧色、覚えておきなよ。フェリクスさんが目をかけてるらしいけど、最強は俺だから」
完全に喧嘩を売る口調だ。
「勝手にほざけ。俺は強さを競いたいわけじゃねぇ。大事なものを守れれば、それでいい」
すると、レオンの瞳に初めて感情が灯った。
怒りと敵意。どす黒い気配が、一気に膨れ上がる。
「大事なものを守るには、強さが必要だってわからないか。相手を二度と立ち上がれなくさせるほどの、絶対的な力がね」
凄まじい圧力に息が詰まる。
「そんな力があれば、人を殺してもいいっていうのか」
「殺すんじゃない」
レオンの声が低くなる。
「守るために、斬るんだ」
その言葉が胸に突き刺さった。
反論しようと思っても、言葉が出てこない。
「次に会う時までに、答えと覚悟を決めておきなよ。碧色」
それだけ言うと、レオンは背を向けた。
「おい。待てよ」
呼び止めても、振り返らない。足早に森の奥へ消えていった。
すかさず、アンナが申し訳なさそうにこちらを見てくる。
「変な空気にしちゃってごめんね……アンナたち、そろそろ行くね」
「は? 街に戻って、剣を探してもらった礼くらいさせてくれよ」
レオンへの苛立ちは消えないが、アンナとはもっと話していたかった。
「次の依頼の下見に来ただけだから。魔獣も、レン君がほとんど片付けてくれたみたいだし」
「そっか……みんなにもよろしく伝えてくれ」
「うん。またね、リュー兄」
走り去る背を見送りながら、胸にぽっかり穴が空いたような気がした。
一年半の旅は、確かに俺を成長させてくれた。それでも、レオンの言葉が胸に引っ掛かっている。
強さがあれば、大事なものを守れる。
その言葉を否定しきれない自分が、妙に腹立たしい。
だが、目の前に残った無数の遺体を見れば、力だけで何もかも守れるわけじゃないこともわかる。強くなったとしても、手遅れになれば守れるものはない。
こいつらだって、好きでこんな姿になったわけじゃない。何者かに操られ、命を奪い合うところまで追い込まれた。
ならば、斬る強さだけじゃなく、そもそも命を奪い合わずに済むようにすることも必要なはずだ。
レオンと揉めている場合じゃない。この冒険者たちをけしかけた黒幕が、終末の担い手なら、本当に追うべき相手はそいつだ。
そう考えていたところに、セリーヌが神妙な顔で近付いてきた。
「冒険者の方々から、魔力の余韻が……この力は……」
「終末の担い手か?」
セリーヌは静かに頷いた。
「がるるる……」
左肩の上では、ラグが森の奥を睨み続けている。まるで、まだ何かを追っているように。
「急いでここを離れましょう」
「あぁ……そうだな」
みんなが生きて戻れた。
今は、それだけが何より大事だった。





